夜を歩く 2

 そんな会話をしている内に、二人は学校へと辿り着いた。

 遊具が一つも置いていない、ただベンチが二つ並んでいるだけの公園を横切ると、橋町中学校の校門が見える。校門前の街灯以外、明かりはない。その唯一の光にぼんやりと照らされ、校舎のシルエットと、その周りを囲う桜の木の枝葉が、黒々と宵闇の中に浮かび上がっていた。

 藍がごくりと唾を飲む。


「行こう」

 かずいはそう言って、校門の柵に手をかけ、えっちらおっちらと登り始めた。

 始めは不気味そうに校舎を見上げていた藍だったが、木のぼりを覚えたばかりの仔熊のようなかずいの動きに、徐々に苛立ちを覚え始める。

 慎重に慎重を期して柵を越え、おっかなびっくり地面を睨むかずいが、今か、いいやまだまだ、と、飛び降りる決意を固める前に、藍は柵を掴むと一息に飛び上がり、軽やかに柵の上に乗ると、隣でバランスを崩したかずいの袖を掴み、一緒になって飛び降りた。


 着地。

 突如訪れた身体的な恐怖に目と口を皿のように開き、声も出せずに蹲るかずいを、藍は無慈悲に引っ立てる。そのまま袖を引っ張り昇降口へと進もうとする藍を、かずいが引き止めた。

「ま、待て、まだ開いてない……」

 だらだらと冷や汗を垂らし、息も切れ切れに言うかずい。

「まずは、職員室だ。響と蓮もそこにいる。だから、ちょっと待て。頼むから……」


 ◇


 職員室は、生徒が体育倉庫を開ける際、スムーズに鍵のやりとりを出来るよう、グラウンドに面して出入口がある。

 藍とかずいは別館の左手に沿って歩いた。

 学校の敷地内には、もう明かりはない。

 校舎とグラウンドを隔てる防砂林が、二人の道行から、僅かな月明かりをも遮っていた。

 いつの間にか、二人の前後関係は逆転していた。

 藍はかずいの背中を掴み、身の丈程の盾を掲げるようにして、行軍していく。掲げられた盾――かずいは、踵が半分浮いていた。


「藍、歩きにくい」

「黙りなさい。いや、やっぱ喋って。何か喋って」

「もう着くって」

 気づけば前方に、昼休みにボールの貸出をする生徒用のパイプ椅子が見えていた。

「え? でも明かり……」

「カーテン閉めてんだろ。目立っちゃまずいからな」

 そう言って、かずいは職員室の扉をノックした。

 二回、三回。

 乾いた音が、夜闇に吸い込まれていく。

 返事はなかった。


「響、蓮、いないのか?」

 かずいが声をかけるも、やはり反応はない。

 ただ、しんとした闇が息づくばかりである。

「ど、どうするの?」

「どっか行ってんのかな」


 ドアノブを掴むと、あっさりと回った。

 開ける。

 暗闇が、二人を迎えた。

 光源の何一つない室内は、数メートル先に何があるかも見えない。


「何か、いい匂い」

 しかし、その奥から、恐らくはカップ麺と思われる、味の濃いスープの匂いが漂ってくる。どうやら少し前までここで食事をしていたらしい。


「響? 蓮?」

 再び呼ばうかずいの声も、暗闇に吸い込まれ、それきり何の音もしなくなった。

「何で懐中電灯持って来なかったのよ」

 かずいの背中から藍の声が聞こえる。

「職員室にあるから持ってこなくて平気だって言われたんだよ」

「誰もいないじゃない!」

 藍の声が湿り気を帯びてきた。かずいは携帯を取り出しコールをかけるが、繋がる気配はなかった。


「仕方ない。鍵と懐中電灯だけもらってこう」

 かずいはそのまま携帯のバックライトを頼りに、鍵の保管庫を探し始める。大凡の場所は分かっているものの、やはり暗闇の中で探すのは難しい。しばらくは、がさごそと手探りに闇の中を進む音が続いた。


「は、早くしてぇ」

 藍は震えながら入口で待っていた。

 その時。


 がさり。


 藍の背後で、葉の揺れる音が聞こえた。

「ひゃ」

 慌てて職員室に飛び込む藍。

 すると、今度は。


 ばたん。


 扉がひとりでに閉まる。


「ひやぁぁぁぁ!」

 唯一見えるかずいの携帯の明かりへひた走る。

 その光が、消えた。

 本物の暗黒が藍を包む。


「うそ、ちょっと、やだ、かずい! かずいぃ!」

 次の瞬間。

 藍の目の前に、ぼう、と、明かりが灯った。

 そこにあったのは。


 ピンクと白の繊維で出来た、皮膚を剥がれた人間の顔であった。


「ひぐっ」

 藍の意識は、そこで途絶えた。

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