ただのクラスメイト 3

 意気揚々と歩を進める蓮と、かずいによく似た、感情の伺えない態度でそれに続く響のさらに後ろを、藍は気まずそうな、奇しくも同時刻の絢香と似たような表情で歩いていた。

 渡り廊下から覗く中庭はひっそりとした闇の中に、植物の持つ水気を仄かに感じさせる。薄ら寒い空気がしっとりと肌に纏わりつき、僅かな月明かりが、木々の輪郭を幽かに浮かび上がらせていた。


 藍の頭の中には、先程のかずいとの押し問答が思い起こされていた。

(あの時は気が動転してたけど、よく考えたら私、二人に対して大分失礼だったんじゃないかしら……)


 教室までとはいえ、二人は快く護衛を引き受けてくれたのに、まるでそれを嫌がるような態度をとってしまった。前を行く二人にそれを気にした様子は見られないが、何とも思わなかったとは限らない。

 謝るべきだろうか。しかし、何と言って?


「御子柴?」

「ひゃいっ?」

 唐突に、蓮の方から声をかけられ、びくりと肩を震わせた。

「安心しろって。日野と約束したからな。少なくとも教室までは、ちゃんと送ってやるよ」

 それはあくまで、明るい口調だった。

「う、うん。ありがとう……」

 気遣わしげな言葉に一瞬安堵を覚えるが、しかし、藍は心の何処かに微かな違和感を覚えた。


(気遣わしげ……?)


 藍がその正体不明の違和感の正体を探る間もなく――

「……俺は、約束してないけどな」

「うぐ」

 直後の響のセリフで、僅かな安堵すら霧消してしまった。


(うぅ。やっぱりさっきのこと、気にしてる?)

 冷や汗が滲むのを感じる。

「まーまー響。そう言いなさんな。大体、ただ見つけてとっ捕まえるのだってつまんねーだろ。護衛対象がいるとか、何かこう、クエストっぽくて燃えるじゃねーか」

「そんなものか」

「そんなもんだって」

「あ、あの!」

 また二人だけの会話が続きそうな気配を察し、藍は思い切って声をかけた。

「あん?」

 蓮が首だけで振り向く。


「その、さっきは、ごめんね? 私、送ってもらう立場なのに、駄々捏ねちゃって」

「んん? あぁ……」

 どうにか搾り出した藍の言葉に、蓮が思案げに首を上に逸した。響は我関せずと、前を向いたままである。数秒悩んだ後に発せられた蓮の声は、やはり平素と変わらない、明るいものだった。

「いやー気にしちゃいねーよ。つーか、こいつも別に機嫌悪くしたわけじゃねーって。これが素なんだよ。なあ?」

「……そうだな」

 響の返事はそっけなかったが、感情の篭らないその声音は、逆に、そこに含むものがないことの証左のように思えた。


「そ、そう?」

 藍の脳裏に、先程別れたばかりの、幼馴染の少年の姿が思い浮かぶ。確か最近、自分も後輩に似たような事を言わなかっただろうか。

 彼は誰も嫌いにならない。

 彼は誰も、好きにならない。

 あの時は冗談のつもりだったのだが。


「く、栗原君は……」

 上ずった藍の問いかけに、ようやく響が反応した。と言っても、気だるげに顔だけ向けただけだったが。

「かずいとは、いつの間に仲良くなったの? あんまり、普段話してる感じしないけど」

「……別に、仲良くしてるわけじゃない」

「え?」

 思わず、呆けた声を出してしまう藍。

「……ただのクラスメイトだ」

 それだけ言うと、響はそれきり黙り込んでしまった。


「あ、あう」

 予想外のリアクションに困惑する藍に、くつくつと笑う、蓮の声が届いた。

「なあ、御子柴」

 無邪気な声で、蓮が笑う。

「な、なに?」


「お前、俺らのこと指して、ただのクラスメイトって、言えるか?」


「……え?」

 その問いに、藍は答えを返すことが出来なかった。

 いや、この場合答えあぐねるという行為が、既に返答のようなものである。そんな藍の顔を見ても、やはり蓮の表情は明るかった。

「かかかっ。別に無理して答えなくていいって。けどよ、なんつーか、日野の奴はさ、言えるんだよな。俺らのこと、『ただのクラスメイト』ってさ」

「……かずい?」


 確かに、彼ならば言えるだろう。

 いや、言うだけならば、藍でも言える。

 けれど、それを本心から言うことができるだろうか。

 燃え盛る爆炎。

 荒れ狂う暴風。

 その中心にいる、『問題児かれら』のことを……。


 しかし、かずいなら。

 彼にとって『クラスメイト』とは、単に『同じクラスに在籍している人』という意味でしかないのだ。

 あの眼で。

 あの、世界の全てに興味を失ったかのような暗い眼で、彼は二人のことを、『ただのクラスメイト』と呼ぶのだろう。

 蓮のことも、響のことも、藍のことも、しずりのことも、親友である衛のことも、ろくに会話もしたことがないような人のことも、彼は『クラスメイト』と呼ぶだろう。


「ぶっちゃけ、人としてはどーかと思うぜ? けどまあ、だからさ。俺らにとっても、あいつは、『ただのクラスメイト』なんだよ」

 その、朗らかな蓮の声を聞いて、藍はようやく先程感じた違和感の正体が分かった。


 藍に対する蓮の態度。これは、優しさではない。

 無関心だ。


 本館の扉を開け、階段を昇り始めた蓮と響の背中を、藍は青い顔で見つめた。

 先程の彼ら二人は、藍の言葉を気にしなかったのではない。藍のこと、、、、を気にしなかったのだ。

 かずいや響にとっての自然体があの無表情なのだとしたら、蓮にとってのそれは、この無邪気な笑顔なのだろう。藍の言葉は、彼らの心に漣一つ立てることはなかった。


 藍は今日、ひょっとしたら自分は、彼らとの距離を縮められるのではないかと思っていた。かずいがあまりにも自然に響と接しているからだ。

 皆が大袈裟に取り立てているだけで、『問題児』も、自分達と同じ、ただの中学生なのではないか。そう思った。

 けれど、今までよりも間近で見た『問題児』二人の姿は、改めて、いや今まで以上に、藍に被我の懸隔を感じさせることになったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る