彼女が拳を握るのは 4
しばらくして。
未だに調子を取り戻さない衛を、藍は腰に手を当てて見下ろした。
「ほら、奥月、いつまでやってるのよ」
「お、女の人には、事の重大さが理解できんのですよ……」
掠れるような声でなんとかそれだけを言う衛。
仕方ないなあ、と、藍は溜め息をつくと、惚けた表情の一年生二人に歩み寄った。
「頑張ったね、紫乃ちゃん」
「あ、藍先輩ぃぃ」
紫乃は緊張が解けたのか、優香と同じく、地面にへたりこんでいる。その手は、優香の両手をしっかりと握っていた。
「さてと、優香ちゃん」
「はい。あの、私……」
笑顔で自分を見下ろす藍を、優香も見上げる。その顔は不安に彩られてはいたが、もう先程までの混乱はないようだった。
「えーっと、まず、分かってることから話すね。優香ちゃんが聞いた、藤見が亘田に占領されてて、明後日にはウチが攻め込まれる、っていう噂ね。知ってるの、優香ちゃんだけなの」
「そ、そんなはずないです。だってクラスの人も、みんな……」
「多分、クラスの人達が言ってたのは、亘田で能力開発がされてて、その開発を受けた能力者が他校の侵略を狙ってる、ってとこまでだったと思うの。どうかな、覚えてる?」
「え……。でも、あれ? 言われてみれば」
戸惑う優香に、藍は優しく語りかけた。
「何でそんなことになっちゃったのかは、今、私の友達が調べてるんだけど、よかったら、教えてくれないかな? 優香ちゃんが、誰にその噂を聞いたのか」
優香は少しだけ、紫乃と見つめ合うと、やがてこくりと頷いた。
「はい。お話し、します」
◇
優香がその噂を聞いたのも、やはり金曜日のことだった。
その時の優香は、突如発現した自分の能力を完全に持て余していた所だった。
どうやら相当に希少なものであるらしいことは、能力の登録申請を行なった際の教員の反応で窺い知れたので、早速図書室で分厚い能力者年鑑を引っ張りだし、自分に何が出来るのかを調べてみた。
何と過去二十六年間、全国で二百弱しか発現しなかった『星』属性の中でも、さらに希少な能力であることが分かり、一瞬小躍りしそうになった優香だったが、じゃあこの能力で何をするのかと考え、途端に陰鬱な気持ちになった。
(どうしよう、こんなの人前で使ったら、絶対目立っちゃう)
中心グループの人達からはやっかみを受けるかもしれないし、仲良くなりたい人達には余計敬遠されてしまうかもしれない。かと言って、自分の能力を秘密にしているような人と、誰が友達になってくれるというのだろう。
優香はすっかり途方にくれてしまい、結局その日も、殆ど誰とも喋らずに一日を過ごした。
たまたま優香の席の近くでされていた例の噂話を、偶然耳にしたのはそんな時だった。
当然その時は、優香もその噂を間に受けたりはしなかった。どの道彼女には、その噂について意見を交わし合うべき相手もいなかったのだ。ただ、下駄箱前やトイレなどで、何回か同じような話がされているのを聞いて、やけに流行っている噂なのだな、と感じただけだった。
「え……優香、クラスにともだむぎゅ」
「紫乃。私達、仲直りしたばかりでしょ」
「あ、あい」
状況が変わったのは日曜日のことだった。
駅前の本屋を冷やかしていた優香は、部活の先輩の市村杏子にばったりと出会った。
優香と同じくらいの長身に、大人びた顔つき、肩まで伸びる柔らかそうな髪は、緩く波打っている。
まだそんなに言葉を交わしたことは多くなったが、優しくて親しみやすいと、他の一年生がよく話していたのを、優香は思い出した。彼女も自分のことは気にかけてくれていたらしい。折角だからと隣の喫茶店でお茶をすることになった。
可愛らしい丸テーブルに腰を落ち着けた市村先輩は、自分がよくここの喫茶店を利用すること、自分も本を読むのが好きなのだということなどを、ゆったりとした口調で話してくれた。
柔らかく、深みのある、不思議と心を惹きつける声だった。優香はすっかり普段の人見知りを忘れ、うっとり顔で先輩の声に聞き入った。先輩に対する緊張が完全に解けた頃、優香はふと、クラスで流行っていた噂話を思い出した。亘田の多重能力者。他校への侵略。
「先輩は、知ってますか?」
そう問いかけた優香に、杏子は表情を暗くして答えた。
「ええ、三年生でも、話題になってるわ。もう藤見はやられてしまったんですってね」
優香は、その時初めて、この話が現実的な危機を伴っていることを知った。
最初はやはり眉唾だった優香も、先輩の話を聞いている内に段々と猜疑心をなくしていき、水曜日には橋町が狙われるかもしれない、と言われた時には、もうすっかり先輩の話を信じ込んでしまっていた。
「今の生徒会は頼りにならないの。先生方も、あまりあてにはできないわ」
「ウチにも誰か強力な能力者がいれば、対抗できるかもしれないけど」
「それこそ、多重能力者みたいな、ね」
「それでも、やっぱりウチが戦場になるのは怖いわね」
「戦い向きの能力じゃない子の方が多いんだもの。本当に戦う気があるなら、こちらから攻めに行くべきよ」
「巽君は動こうとしないわ」
「分からないことじゃないの。下手に騒ぎを大きくして、恥をかくのはイヤだものね」
「けど、私たちと違って、彼らには戦う力があるのよ。それなのに何もしないなんて……」
「まあ、何もできない私が、何を言ってもしょうがないわね」
滑らかな、ベルベッドの声。
潮が満ちるように、ゆっくりと、優香の心を侵す。
優香は、自分が棘だらけの茨道の入口に立っていることに気付いた。
私はこれから、この道を往かねばならない。
引き返すことは許されない。
立ち止まることも許されない。
こんなことを、聞いてしまっては。
本当の所、そんなわけはなかった。
優香がそんな道に踏み入る必要なんてない。
知らない振りをして、聞かなかったふりをして、全てを投げ出して日常へと帰ることだってできた。
しかし優香には、その手の中に、どうしても捨てられないものがあったのだ。
それを手放すことだけは、どうしても出来なかったのだ。
(紫乃)
大切な、友達。
彼女とは、もう分かり合えないのかもしれない。
私達はもう、別の生き物になってしまったのだから。
(紫乃を守らなきゃ)
でも、それがどうした?
紫乃が好きだ。
それだけは、その気持ちだけは、まだ失くしてない。
なら、戦わなくちゃ。
考えただけで膝が震えるけど。
でも、私は戦う。
私には、その『力』がある。
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