彼女が拳を握るのは 4

 しばらくして。

 未だに調子を取り戻さない衛を、藍は腰に手を当てて見下ろした。

「ほら、奥月、いつまでやってるのよ」

「お、女の人には、事の重大さが理解できんのですよ……」

 掠れるような声でなんとかそれだけを言う衛。

 仕方ないなあ、と、藍は溜め息をつくと、惚けた表情の一年生二人に歩み寄った。


「頑張ったね、紫乃ちゃん」

「あ、藍先輩ぃぃ」

 紫乃は緊張が解けたのか、優香と同じく、地面にへたりこんでいる。その手は、優香の両手をしっかりと握っていた。

「さてと、優香ちゃん」

「はい。あの、私……」

 笑顔で自分を見下ろす藍を、優香も見上げる。その顔は不安に彩られてはいたが、もう先程までの混乱はないようだった。


「えーっと、まず、分かってることから話すね。優香ちゃんが聞いた、藤見が亘田に占領されてて、明後日にはウチが攻め込まれる、っていう噂ね。知ってるの、優香ちゃんだけなの」

「そ、そんなはずないです。だってクラスの人も、みんな……」

「多分、クラスの人達が言ってたのは、亘田で能力開発がされてて、その開発を受けた能力者が他校の侵略を狙ってる、ってとこまでだったと思うの。どうかな、覚えてる?」

「え……。でも、あれ? 言われてみれば」


 戸惑う優香に、藍は優しく語りかけた。

「何でそんなことになっちゃったのかは、今、私の友達が調べてるんだけど、よかったら、教えてくれないかな? 優香ちゃんが、誰にその噂を聞いたのか」


 優香は少しだけ、紫乃と見つめ合うと、やがてこくりと頷いた。


「はい。お話し、します」



 優香がその噂を聞いたのも、やはり金曜日のことだった。

 その時の優香は、突如発現した自分の能力を完全に持て余していた所だった。

 どうやら相当に希少なものであるらしいことは、能力の登録申請を行なった際の教員の反応で窺い知れたので、早速図書室で分厚い能力者年鑑を引っ張りだし、自分に何が出来るのかを調べてみた。

 何と過去二十六年間、全国で二百弱しか発現しなかった『星』属性の中でも、さらに希少な能力であることが分かり、一瞬小躍りしそうになった優香だったが、じゃあこの能力で何をするのかと考え、途端に陰鬱な気持ちになった。


(どうしよう、こんなの人前で使ったら、絶対目立っちゃう)

 中心グループの人達からはやっかみを受けるかもしれないし、仲良くなりたい人達には余計敬遠されてしまうかもしれない。かと言って、自分の能力を秘密にしているような人と、誰が友達になってくれるというのだろう。

 優香はすっかり途方にくれてしまい、結局その日も、殆ど誰とも喋らずに一日を過ごした。


 たまたま優香の席の近くでされていた例の噂話を、偶然耳にしたのはそんな時だった。

 当然その時は、優香もその噂を間に受けたりはしなかった。どの道彼女には、その噂について意見を交わし合うべき相手もいなかったのだ。ただ、下駄箱前やトイレなどで、何回か同じような話がされているのを聞いて、やけに流行っている噂なのだな、と感じただけだった。


「え……優香、クラスにともだむぎゅ」

「紫乃。私達、仲直りしたばかりでしょ」

「あ、あい」


 状況が変わったのは日曜日のことだった。

 駅前の本屋を冷やかしていた優香は、部活の先輩の市村杏子にばったりと出会った。

 優香と同じくらいの長身に、大人びた顔つき、肩まで伸びる柔らかそうな髪は、緩く波打っている。

 まだそんなに言葉を交わしたことは多くなったが、優しくて親しみやすいと、他の一年生がよく話していたのを、優香は思い出した。彼女も自分のことは気にかけてくれていたらしい。折角だからと隣の喫茶店でお茶をすることになった。


 可愛らしい丸テーブルに腰を落ち着けた市村先輩は、自分がよくここの喫茶店を利用すること、自分も本を読むのが好きなのだということなどを、ゆったりとした口調で話してくれた。

 柔らかく、深みのある、不思議と心を惹きつける声だった。優香はすっかり普段の人見知りを忘れ、うっとり顔で先輩の声に聞き入った。先輩に対する緊張が完全に解けた頃、優香はふと、クラスで流行っていた噂話を思い出した。亘田の多重能力者。他校への侵略。


「先輩は、知ってますか?」

 そう問いかけた優香に、杏子は表情を暗くして答えた。

「ええ、三年生でも、話題になってるわ。もう藤見はやられてしまったんですってね」

 優香は、その時初めて、この話が現実的な危機を伴っていることを知った。

 最初はやはり眉唾だった優香も、先輩の話を聞いている内に段々と猜疑心をなくしていき、水曜日には橋町が狙われるかもしれない、と言われた時には、もうすっかり先輩の話を信じ込んでしまっていた。


「今の生徒会は頼りにならないの。先生方も、あまりあてにはできないわ」

「ウチにも誰か強力な能力者がいれば、対抗できるかもしれないけど」

「それこそ、多重能力者みたいな、ね」

「それでも、やっぱりウチが戦場になるのは怖いわね」

「戦い向きの能力じゃない子の方が多いんだもの。本当に戦う気があるなら、こちらから攻めに行くべきよ」

「巽君は動こうとしないわ」

「分からないことじゃないの。下手に騒ぎを大きくして、恥をかくのはイヤだものね」

「けど、私たちと違って、彼らには戦う力があるのよ。それなのに何もしないなんて……」

「まあ、何もできない私が、何を言ってもしょうがないわね」


 滑らかな、ベルベッドの声。

 潮が満ちるように、ゆっくりと、優香の心を侵す。 

 優香は、自分が棘だらけの茨道の入口に立っていることに気付いた。


 私はこれから、この道を往かねばならない。

 引き返すことは許されない。

 立ち止まることも許されない。

 こんなことを、聞いてしまっては。


 本当の所、そんなわけはなかった。

 優香がそんな道に踏み入る必要なんてない。

 知らない振りをして、聞かなかったふりをして、全てを投げ出して日常へと帰ることだってできた。

 しかし優香には、その手の中に、どうしても捨てられないものがあったのだ。

 それを手放すことだけは、どうしても出来なかったのだ。


(紫乃)


 大切な、友達。

 彼女とは、もう分かり合えないのかもしれない。

 私達はもう、別の生き物になってしまったのだから。


(紫乃を守らなきゃ)


 でも、それがどうした?

 紫乃が好きだ。

 それだけは、その気持ちだけは、まだ失くしてない。

 なら、戦わなくちゃ。

 考えただけで膝が震えるけど。

 でも、私は戦う。


 私には、その『力』がある。

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