巷で噂の問題児 1

 数分後。


「はあー、やっぱかずいんチのお茶は美味しいわぁ」

「どういたしまして」


 藍は、かずいの母親がブレンドしたハーブティーを片手に、かずいの机に突っ伏していた。

 かずいはベッドに腰掛け、同じく湯気の立つマグカップを啜っている。

「ありがとね、かずい。話したらすっきりしたわ」

「どういたしまして」

 藍は晴れやかな顔で笑う。


 かずいにとっては、見慣れた光景だ。この幼馴染が、小学五年の頃から同じクラスになり、以来かずいの親友となった奥月衛に片思いをしているのは、良く知っている。

 それに対する衛の態度は、良く分からない。藍は藍ではっきりと口に出して思いを伝えた訳ではないのだから返事も何もあるはずはないのだが、それでも人間関係に疎いかずいでさえ気づく程露骨な藍の態度に衛が全く気づかないとも思えず、しかし衛の藍への態度は、あくまで親しい友人としてのそれなのだった。


 アピールに気づいてもらえない藍がかずいに愚痴を漏らすのも一度や二度ではなく、かずいはその度、藍が落ち着くまで、こうして黙って話を聞くのが習慣だった。

「それでね、かずい。かずいは運命って、あると思う?」

 藍は頬を机に押し付けたまま、首だけでかずいを見ながら問いかけた。

「何だ、まだ続くのか」

「そうよ。まだ続くのよ」

 うんざりしたようにかずいは再び天井を仰ぐ。


「ほら、あたしとかずいは幼馴染で、奥月はあんたの友達でしょ。あたしたちが知り合ったのって、そういう関係があったからじゃない」

「そうだな」

「奥月が私のことを友達としか見てくれないのって、やっぱり最初にそういう出会い方をしたからだと思うのよ」

「そういうもんかね」

 かずいには分からない。

 いや、お前、その命題を提示することで先の自分の失態をなかったことにしてないか、なんてことは、勿論言わない。


「でもさ、それって仕方ないじゃない。私とあんたは幼馴染なんだし、あんたと奥月は、あたしから見ても良い友達だと思うわ。でもさ、それじゃ、あたしの想いがあいつに届かないのは、もう初めから決まってた、ってことになるじゃない。そういうのを、運命っていうんじゃないかなぁ、って」

 かずいは考えた。そして答える。

「俺には分かんないよ」

「何でよ。あんた、未来が見えるんでしょ。それって、運命が存在するってことなんじゃないの?」


 藍は引き下がらなかった。

 かずいは考える。

 自分の能力と運命に関する体系的な考察を、ここで一席ぶってやろうかとも思ったが、流石に今彼女が聞きたいのがそんなことではないことぐらいは分かる。無表情のまま、しばし悩む。

 ところが。

「でもさ、それじゃやっぱりつまんないわよね。決まってることだから諦めるなんて、納得いかないわ。うん。あたし頑張る。諦めてなんかないんだから」

 藍は勝手に自己解決してしまったようだった。


 何だ、やっぱり自分の意見なんか聞く気はなかったんじゃないか、と、かずいは開きかけた口を閉じ、残りのお茶を飲み干した。見れば時計の針は、九時を回っている。流石にそろそろお開きだろう、と、気を緩めたかずいに、藍は容赦なく言い放った。

「よし。それじゃかずい。もうちょっと付き合いなさい」


「おい、いい加減に――」

「今ね、クラスでホラー映画が流行ってるのよ。知って……る訳ないわよね。まあいいわ。それで、今日、荒井さんにDVD貸して貰ったんだけど――」

「断る」

「まだ言い切ってない!」

「分かるわ! 何で俺がお前とホラー映画なんか見なくちゃいけないんだ。それこそ衛と見ればいいだろ」

 藍は再び、かずいの胸ぐらを掴んだ。

「本気で怖がったら恥ずかしいじゃない!」

 その剣幕にかずいがたじろぐ。

「え? いやでもお前、前に四人で録画した映画見た時、怖がって衛の肩掴んでたじゃ……」

 あれは確か藍が選んで一緒に見ようと言ったのではなかったか。

「あれは演技よ」

 かずい、絶句。

「そういう訳だから。ウチに来なさい」

「……はい」


 そういうことになったのだった。

 しかし。


「ない!」

 学校指定のスクールバックをひっくり返し、藍が叫ぶ。

「ない!」

 ハンガーに掛けた制服をばさばさと振り、藍が叫ぶ。

「ない!」

 学習机の抽斗を床にぶちまけ、藍が叫ぶ。

「ない!」

 ベッドの下に上半身を突っ込み、藍が叫ぶ。

「ない!」

「なくしたのか」

「なくしてないわよ!」

 かずいに平手を見舞い、藍が叫ぶ。


「落ち着いて。落ち着くのよ、私。素数を数えて落ち着くの」

 2,3、5、7、11……。

 ぶつぶつと数字を数える藍に、かずいが声をかけた。

「学校に置いてきたんだろ」

 がばっ、と振り返り、半泣きで藍が噛みつくように叫ぶ。

「ええそうよ! 置いてきたのよ! 分かってるわよ最初から! 今それ以外の理由を探してたんじゃない!」

「その行為に何の意味があるんだよ……」 

 呆れ顔で言うかずいは、それじゃ、と言い残し、窓の格子に手を掛け、身を乗り出した。


「待ちなさい」

 襟首を掴まれ、引き倒される。

「どうすんのよ、かずい。学校に置いてきちゃったじゃない」

「げっほ、えはっ、あ、明日観ればいいだろ……」

「そういう訳にもいかないのよ。明日は別の子に貸すことになってるんだから」

「そいつに一日待ってもらえ」

「明後日はまた別の子なの」

「自分で買えよお前ら……」

「違うのよかずい。そういうんじゃないの。ホントにこの映画を見たがってる人なんかいないの。クラスの女の子で同じDVDをリレーして観る。そうやって親睦を深めてるの。ゲームみたいなものなのよ。あたし一人が流れを止めるわけにはいかないわ」


 深刻そうな顔の藍を、かずいは身を起こしながら諭すように言う。

「だからって、どうしようもないだろ。もう九時だぞ。警備システムだって作動してる。今から取りに行ったって入れやしないよ」

「でもぉ」

「お前の順番最後に回してもらえばいいだろ」

「かずいぃ」

「………」

「なんとか、ならない?」

 上目遣いでこちらを見上げる藍の瞳に、かずいが押されていく。

 二秒、三秒、四秒。

 見えない力がせめぎ合う。

 時計の秒針の音だけが響く室内に、やがてかずいのため息が吐き出された。

「ちょっと待ってろ」

「え?」


 携帯を取り出し、ぽちぽちと操作するかずいを、藍は黙って見つめた。

 かずいは誰かに電話をかけているのか、携帯を耳元に持っていった。

 数回のコール。

「もしもし、今いいか?」

 繋がったようだ。

 誰に電話をしているのだろうか。

 藍は、かずいが誰かに電話をかけてる所を殆ど見たことがない。というより、クラスの人とアドレスを交換しているところすら見たことがないのだ。

 十中八九、衛かしずり……。しかし今、彼らに電話をしてどうなるというのだろう?

 ところが、次にかずいが発した一言は、藍の予想の斜め上を行くものだった。



「悪い、響」



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