第五章 金平糖の精

5-1

 夕焼け色に染まる街。渋谷区神宮前二丁目の勢揃坂せいぞろいざかを彼女は歩いていた。

この辺りの風景は彼女が知る6年前とは少しだけ変わっている。しかしこの坂道はあの頃と変わらない。


 坂上には聖蘭学園と書かれた古めかしい正門がある。彼女は正門前を通過して道なりに歩き、やがて見つけた鉄柵を押し開けて学園の敷地内に入った。目先には開かれた礼拝堂の扉がある。

相変わらず礼拝堂への出入りは自由なようだ。


礼拝堂の裏手に植えられた大きな桜の木。春には見事な花を咲かせるこの大木も冬は茶色い枝のみになり、その存在は薄い。

桜に皆が振り返るのは春の間だけ。今、花のないこの木を桜の木だとは誰も思わない。


 礼拝堂に足を踏み入れると、燭台に灯る炎がゆらゆら揺れる。神聖な空気だ。

彼女は深呼吸をして中央の通路を進んだ。目の前に現れたマリア像が彼女を優しく迎える。


「お久しぶりです、マリア様」


長い睫毛の下の漆黒の瞳がマリア像を映し出し、彼女は美しく微笑する。もしも女神がこの世に降り立ったならば彼女に似た姿をしているかもしれない。


 イエス・キリストの母、聖母マリアの処女性についてはしばしば議論の対象となる。

マリアは男との性交渉ではなく、精霊によりイエスを身籠ったとされている。イエスを産んだ時点ではマリアは処女だった。

新約聖書の受胎告知のエピソードから聖母マリアが処女の象徴とされることも多い。


しかしマリアには夫のヨセフがいた。

マリアとヨセフに肉体関係があったのか、マリアが生涯処女であったかどうかは後世に至るまで多くの者の興味を惹き、議論が交わされている。


 それにしても男は何故、女の処女に価値を見出すのだろう。世界中の誰もが女の胎内に宿り、女から産まれる。子を産む女は処女ではなくなり、母となる。

若さと幼さに執着するのは女よりも男の方なのかもしれない。永遠の無垢など、ないに等しいのに。


男は皆、自分だけの聖母マリアを求めている。自分にだけ向けられる“母性”を求めているのかもしれない。


「マリア様。次に貴女あなたにお会いする時……きっと私は罪人になっているでしょう」


品のいいソプラノの声が礼拝堂に響いた。


「どうか、お許しください」


彼女の言葉に応えるように燭台の炎が静かにゆらめく。


 冬の日暮れは早い。先ほどまで赤い太陽で照らされていた場所は今はもう暗い闇に沈んでいる。

それはこの世が終焉を迎える瞬間とどちらが早い?

終焉の終演時刻を知るのは……神のみ。

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