第二章 金平糖の少女
2‐1
12月の晴天の午後2時。聖蘭学園社会科教師の佐伯洋介は受け持ちの授業を自習にして、美術教師の神田友梨と共に理事長室の扉をノックした。
理事長室では見知らぬ男女が理事長と向かい合って座っている。男は濃紺のスーツ、一見するとサラリーマンに見えるが、醸し出す雰囲気がサラリーマンのそれとは異なっていた。
年若い女は明るい色のセーターに細身のジーンズのカジュアルな装いだ。
生徒の親族か教材の営業か、とにかく佐伯も友梨も知らない二人だった。
「佐伯先生、神田先生。こちらは高山有紗さんの捜索をしてくださった探偵の早河さんと助手の香道さんです」
理事長の松本志保がおっとりとした口調で早河となぎさを紹介した。佐伯と友梨は同時に、ああ……! と声を漏らす。
『高山さんの……! はじめまして。高山有紗さんの担任の佐伯です』
「副担任の神田です」
『はじめまして。早河です』
早河は佐伯と友梨にそれぞれ名刺を差し出した。なぎさもそれに倣って彼らに自分の名刺を渡す。
理事長に勧められて佐伯と友梨は早河達の向かいのソファーに腰掛けた。理事長はひとり掛けソファーに移動し、部屋には五人の男女が集う。
『高山さんが見つかって本当に良かったです。早河さんにはお手数おかけしました』
『いいえ、これが仕事ですから。今日は有紗さんのお父様の代理として参りました。松本理事長には先ほどお話したのですが……』
早河はそこで言葉を切って理事長を見る。理事長は眉を下げて頷いた。
『有紗さんが家に帰る条件として、居なくなった母親を捜してくれと私に依頼したんです』
『母親を?』
『有紗さんのお母様は5年前に失踪しているようで。彼女は母親が見つかるまで家に帰らないと言い張っています』
「そんな無茶苦茶な……」
友梨は佐伯と顔を見合わせる。佐伯は難しい顔で手元の早河の名刺を一瞥した。
『私も正直なところ困ってしまって。ですが、ほうっておくこともできません。とりあえず母親捜しの依頼は引き受けることにしました。見つかるまでどのくらいかかるかはわかりませんが、やれることはやってみようかと』
『高山さんのご両親はてっきり離婚されたのだろうと思っていましたので、お母様が失踪されていたとは……。それで高山さんは今どこに? 家には帰っていないんですよね?』
早河は佐伯に向けて頷いた。
『今は助手の香道の家に居ます。香道は独り暮らしなので気遣いは無用ですよ。しばらくは彼女の家で有紗さんを預かり、学校も彼女の家から通わせます。しかし限度がありますので理事長とも相談してまずは冬休みに入るまでの2週間、様子見という事で。有紗さんのお父様には承諾をもらっています』
「佐伯先生、神田先生。香道さんのことでしたら信用されて大丈夫ですよ。彼女はうちの学校の卒業生です。香道さんは朝のミサによく遅刻して来てましたねぇ」
「もう、理事長! その話は……!」
品よく微笑む松本理事長の昔話を口を尖らせたなぎさが遮った。
『佐伯先生が有紗さんのお父様に私の事務所を紹介されたと聞きました』
『そうです。高山さんが家出したとお父様から連絡をもらって……僕も担任として何とかしなくてはと思いまして繁華街に捜しに出たりもしたんです。警察に頼むことも考えましたが今はちょっと……早河さんもご存知ですよね? うちの生徒が殺された事件』
『ええ。表に報道陣が数人うろついていましたね』
『取材を断っても帰らないので困ったものです。あの事件で警察の方にはかなりのご迷惑をかけていますし、警察が動いて生徒の素行がマスコミに嗅ぎ付けられでもすればまたうちはやり玉に挙げられます。それでどこか、信頼できる探偵事務所をネットで探していて早河さんの事務所のホームページが目に留まったんですよ』
眼鏡の奥の佐伯の瞳はにこやかに微笑んでいる。この穏和な男は同僚教師や生徒、保護者の信頼の厚いタイプだ。
佐伯の目に留まった事務所のホームページはこの春になぎさが作成したもの。あのホームページを作ってから依頼が増えたことは間違いない。世間知らずな助手を仕方なく雇った意味も少しはあった。
話を終えて理事長室を辞した早河となぎさは来客用玄関から外に出た。正門前にはマスコミがいる。理事長の配慮で早河の車は裏門側に駐めてあった。
裏門までの道すがらに礼拝堂が見える。早河が通っていた高校にはこんなものはなかった。
『……どうした?』
礼拝堂の前で足を止めたなぎさはじっと太陽の光を浴びた七色のステンドグラスを見つめている。……泣きながら。
『懐かしさでセンチメンタルにでもなった?』
「そうかもしれません。色んなこと思い出しちゃって」
慌てて涙を拭うなぎさは自分でも泣いていたことに驚いていた。
早河がなぎさの泣き顔を見たのは今日を含めて四度目だ。
一度目は昨年に警視庁で。あの時は泣いてはいないが泣きそうな顔だったのを覚えている。
二度目は兄の香道秋彦の葬儀の日、次はなぎさが自殺未遂をして早河が見舞いに訪れた時。四度目が今日。
本当は彼女はこれまでにも泣いていたのかもしれない。人には見せないだけで何度も、何度も。
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