3‐10
『それで結局、夕飯は有紗ちゃんとイタリアンを食べたってことですか。完全に財布扱いされてますねぇ』
午後10時。早河探偵事務所を訪れた矢野一輝は今日一日有紗の世話を焼いていた早河の愚痴を笑いながら聞いていた。
『仕方ないだろ。ひとりで夕飯食べるの慣れてるって言ってたくせに、今日はなぎさがいないからひとりで飯は嫌だからどこか連れて行けだの、ファミレスは嫌だって駄々こねるし』
『早河さんが女子高生に振り回されてるとはねー。珍しいもの見れて面白いっすよ』
『面白がるな。厄介な預りモノだ。大人ぶるなと言えば今度は急に子供っぽくなる。ガキの面倒見るのは疲れる』
ふてくされた面持ちで早河はガラス製のコーヒーポットを持ち上げ、カップにコーヒーを注ぐ。
『有紗ちゃんに影響された形になりますけど、なぎさちゃんのこと本当はどう思ってるんですか?』
コーヒーをカップに注ぐ早河の動きが止まる。彼は眉をひそめて矢野を見た。
『お前もその話かよ。勘弁してくれ。どうしてそんなこと聞く?』
『いやぁ、だって気になりますって。二人の関係には1年前のことがありますし。ただの探偵と助手って割り切った関係ではないでしょ?』
『……そうだな。なぎさは香道さんの妹だからな。危険な仕事はさせられない。生活や精神面にも気を遣ってるつもりだ。ただの仕事上だけの助手というわけにはいかない部分もある』
カップに淹れたコーヒーを持って早河はデスクに戻る。その最中に受ける矢野からの視線が何故か痛かった。
『助手だけどただの助手じゃなく、大事にしてる人って解釈でOKですか?』
『まぁ……な』
早河の言葉は歯切れが悪い。なぎさのことになると、彼はいつも歯切れ悪く誤魔化す。
『でもそれは恋愛感情ではないと?』
『ああ。あくまでも香道さんの妹として気遣ってるだけ』
『それなら、なぎさちゃんに彼氏が出来ても別に問題ないですよね?』
『仕事に支障ないならプライベートは干渉しない』
『仕事に支障ね。じゃあもし俺がなぎさちゃん口説いてモノにしたらどうします?』
矢野はソファーにもたれ、デスクにいる早河を挑発的に見据える。早河は目を見開いて戸惑いの表情を浮かべた。数秒間の沈黙が訪れる。
『お前……なぎさに惚れてたのか?』
早河の反応が面白くて矢野は吹き出した。
『冗談ですよ。ホントのとこはどうなのかなーっと思ってカマかけてみただけ。なぎさちゃんのことは好きだけど恋愛感情ではないし、俺には本命がいますから』
『驚かせるなよ。年中女遊びしてる矢野から本命なんて言葉が出るとはな。お前の本命の女ってどんな女?』
早河はホッとした溜息をついて矢野を睨んでいる。心臓に悪い冗談は勘弁してほしいものだ。
矢野はライターの蓋を開けたり閉めたりしてライターを弄んでいる。自分の本命の女の話題となっても矢野は焦りもしない。
『早河さんがよぉーく知ってる女』
『俺が知ってる女でお前と関係がある奴って……新宿西署の
『残念。ハズレー。裕美も凛花もお互い遊びの付き合いですからね。だけど俺の本命の女は遊びの付き合いは絶対にしないタイプ。もう、超、超、生真面目』
『誰だよ?』
『小山真紀』
矢野のライターの蓋がひときわ甲高い金属音を鳴らす。早河は飲んでいたコーヒーをあやうく吹き出しそうになった。
『小山って……あの小山真紀?』
『そうっすね。あの小山真紀』
『それはまた難しい奴に惚れたな』
『まったくねぇ。俺のタイプじゃないし自分でもなんで小山真紀に惚れたのかわかんないんですよ』
『いつから?』
『惚れたのは彼女が警視庁に配属されてわりとすぐだったかな。気付いたら、コロッと惚れちまったわけで。俺もコーヒー飲もっかな』
矢野はコーヒーポットに残るコーヒーをカップに注ぎ、砂糖やミルクも入れずに喉を鳴らして飲み始めた。
『小山ねぇ……。お前が今まで選んできた女とタイプ真逆じゃないか?』
『そうそう。どっちかと言うと俺はなぎさちゃんみたいな、可愛いふわふわ系が好みなんですよね。まぁ好きになっちまったらタイプは関係ないってこと』
コーヒーを飲んで一息ついた矢野と早河の視線が交わる。こちらを探るような矢野の目つきに耐えきれなくなった早河は、ふいと目をそらした。
『でも俺がなぎさちゃんに惚れてるかもしれないと思って焦ってましたよね?』
『お前みたいな年がら年中女遊びしてる奴になぎさが引っ掛かったら大変だと思ったんだよ』
『ふーん。ま、いいや。そういや、最近コーヒー豆変えました? 前と味が違う』
『なぎさが変えてきた。Edenのオリジナルブレンドの新商品らしい』
『ははっ。この事務所もすっかりなぎさちゃん仕様になったなぁ。Edenと言えばあそこのマスターの田村さん、ライフル射撃の世界大会の出場者なんですよ』
『それは初耳だな。あのマスター、一流なのはコーヒーの腕だけじゃないのか』
新宿通り沿いにある珈琲専門店〈Eden〉のマスターの名前は田村克典、年齢は50歳前後の人当たりの良い男だ。
『しかも世界大会で日本人初の優勝者。コーヒーだけじゃなくてライフルの腕も一流のようですね』
『……ライフルね』
話が途切れたところで矢野の携帯電話が鳴った。彼は画面を見て、そこにある内容を読み上げる。
『警察は朝倉を神田友梨へのストーカー行為で送検するようです。ただ、一連の聖蘭学園生徒の殺人の犯人が朝倉だとは断定できない、と』
『朝倉が殺人をやった証拠が出なかったんだろう。ストーカー行為での送検は妥当だな。被害者の中で木内愛だけがMARIAのメンバーではないものの、殺しの手口と金平糖の一致からして今までの殺人と同一犯だ』
『金平糖ねぇ。なーんか、有紗ちゃんの母親と今回の連続殺人、どっかで繋がってる気がするんですよね』
『俺もだ。殺人事件と有紗の母親を結び付けているもの……高山美晴が御守りと言っていたコレがどうにも気になる』
早河の持つ小袋には星屑のような色とりどりの金平糖が入っている。金平糖が御守り、その言葉の意味は?
『とりあえず俺は早河さんに言われた例の件を調べて来ますよ。ちょっと時間かかるかもしれませんが』
『ああ。頼む。……矢野、小山を落としたいならラーメン屋に連れて行け』
『ラーメン屋?』
『小山はラーメン好きなんだよ。好みはとんこつだったか。ただし、味にはうるさいから旨い店じゃないと逆効果だ』
『了解。さっすが元同僚』
矢野はくわえ煙草で早河に片手を挙げ、颯爽と事務所を出ていった。
第三章 END
→第四章 くるみ割り人形 に続く
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