第四章 くるみ割り人形
4-1
12月14日(Sun)
早河は山梨県甲府市にある有紗の母、高山美晴の実家を訪れた。美晴の父親は2年前に他界、敷地の広い日本家屋には美晴の母親の岡本優子と、美晴の弟夫妻が暮らしている。
有紗にとっては祖母になる優子は着物を着た品のいい婦人だった。座敷間に通され、茶道師範の優子が点てた抹茶を渡される。
早河は茶道の心得はないが、恐縮して抹茶を飲んだ。苦い印象しかなかった抹茶は意外にもほんのりと甘い味がした。
「美晴はバレリーナになるのが夢でね。高校生の頃にコンクールで入賞してフランス留学が決まった時はとても喜んでいました」
優子が持ってきた昔のアルバムには、バレエのチュチュを着てポーズをとる美晴の写真が何枚も載っている。舞台用の濃いメイクを施しているが、高校生の頃の美晴の面差しは今の有紗に似ていた。
座敷に通じる廊下の壁には岡本美晴の名前が記されたバレエの表彰状が額に入れて飾ってあった。茶道師範を母に持つ娘は、バレリーナを夢見ていた少女だった。
『美晴さんは有紗さんに“金平糖は御守りだ”と言って持たせていたようですが、なぜ金平糖が御守りなのか、お心当たりはありませんか?』
「ああ、それは……たっくんが言っていたんです」
『たっくん?』
「ほら、ここに写っていますでしょう? この子がたっくん。美晴の幼なじみです」
優子がアルバムの写真を指差した。高校時代よりもさらに昔の、美晴が小学生時代の写真だ。ランドセルを背負う美晴の両側に二人の男の子が立っている。
優子は右側の背の高い学生服姿の男の子を指した。
「たっくんは昔から美晴のバレエの舞台をよく観に来てくれてね。美晴が中学生の時だったかな、上手に踊れるようにって、舞台が始まる前にたっくんが金平糖をプレゼントしてくれたんです。美晴にとっては金平糖はたっくんから贈られた大切な御守りなんですよ。美晴はずっとたっくんが好きでねぇ、いつもたっくんの後ろをついて回っている子でした」
金平糖が御守り……それは高山美晴にとっての、“御守り”だったから。
早河は同じ写真で美晴を挟んで左側の、眼鏡をかけたランドセルの男の子を指差した。
『こっちの男の子は誰ですか?』
「こっちは“ようくん”。たっくんの弟です」
『ようくん……あの、本名は?』
「佐伯洋介くん。たっくんは
『佐伯……洋介……?』
見えない糸が見えた瞬間、ひとつに繋がる。
写真に写る眼鏡の男の子は聖蘭学園教師の佐伯洋介に間違いない。佐伯洋介には佐伯琢磨と言う兄がいた。
その兄が美晴に金平糖を御守りとしてプレゼントした。
『美晴さんと佐伯琢磨さんは恋人同士だったんでしょうか?』
「はい。たっくんは美晴よりも四歳年上でしたので、美晴が中学生、たっくんが高校生の時にお付き合いを始めていました。初恋の人と両想いになれて美晴はそれはもう喜んで、大騒ぎしていましたねぇ」
早河は優子の話を手帳にメモする。高山美晴は21歳で有紗を出産しているが……。
「でもたっくんが事故で亡くなってしまって、あの時は本当に大変でした」
『琢磨さんは亡くなられているんですか?』
「交通事故に巻き込まれてね。もうすぐ父親になるのに産まれてくる娘の顔を見れないままで……」
優子は昔を思い出したのか涙ぐんでいる。早河は優子の言ったある言葉に引っ掛かりを覚えた。
『娘とは美晴さんと琢磨さんの?』
「そう。それが有紗です」
早河はさすがに驚き、握っていたボールペンを畳の上に落としてしまった。
『有紗さんは高山さんの子供ではなかったんですか?』
「有紗は美晴とたっくんの子です。有紗を身籠った時に美晴はまだハタチで……結婚前の妊娠だったのでうちの主人も怒り狂って大変でしたけれど、たっくんとの結婚を認めてくれたんです。だけどその矢先にたっくんが交通事故で死んでしまって、美晴はかなりショックを受けて精神科に通わせていたんです。その精神科のお医者様が政行さんなんですよ。有紗が無事に産まれたのも政行さんが美晴を支えてくれたおかげです」
最愛の人を亡くして悲しみに暮れる岡本美晴は高山政行と出会った。
『それで高山さんと美晴さんはご結婚を?』
「たっくんを失った美晴は政行さんに救われたからね。政行さんも美晴がほうっておけなかったんでしょう。私達の知らない間に二人は惹かれ合っていたみたいで……。有紗が1歳を迎える時に二人は入籍しました。政行さんは有紗を自分の子供だと言ってくれてね。有紗が小学生に上がる前に政行さんが東京の大学病院に呼ばれて、家族三人で東京で暮らし始めたんです」
高山政行は有紗の実の父親ではなかった。有紗の本当の父親は佐伯琢磨。佐伯洋介は有紗の叔父にあたる。
『有紗さんは高山さんが実の父親ではないと知っているんですか?』
「有紗はまだ知りません。政行さんも有紗が大人になったら話すと言っていましたけど美晴がいなくなって、有紗も政行さんに反抗しているみたいだからあの子も薄々気付いてるのかもしれませんね。美晴も政行さんと有紗を置いてどこに行ったのか……。やっぱり、たっくんが忘れられなくて辛かったのかな」
早河は岡本邸を辞した。車に乗ると、彼は助手席に置いた金平糖の包みを手に取る。
金平糖は有紗の御守り――
フロントガラス越しの空は白く、今にも雪が降りそうな天気だった。東京ではまだ初雪はない。山梨も初雪はまだだろう。
高山政行は昨日から出張でロシアに旅立っている。彼が日本に戻るまでに真相が掴めるだろうか。
夫と娘を残して高山美晴はどこに消えた?
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