1‐4
12月7日(Sun)午後11時
渋谷のネットカフェは今夜も大都会で行き場をなくした者達が集まり満員御礼。この狭い店内にどれだけの人間が押し込められているのだろう。
漫画を読むのもネットを見るのも飽きてきた。高山有紗は個室を出てドリンクバーに向かった。
グラスにメロンソーダを注いで個室に戻ろうとした時にカウンター席に見知った顔を見掛けた。
(ひとりでいる! ラッキー)
「タカヒロさんっ!」
有紗は男の肩を軽く叩いて彼の名前を呼ぶ。明るめのアッシュベージュの髪から覗くピアスが今日もお洒落だ。
『おお、有紗ちゃん来てたんだ。こんな時間にいるなんて珍しいね』
「タカヒロさんこそ、この時間はお仕事じゃないんですか?」
『今日は四人のローテーションだから俺は休憩中』
タカヒロはこのビルの地下一階にあるクラブ〈フェニックス〉でDJをしている。有紗はタカヒロの隣に座った。
『有紗ちゃんはまた家出?』
「家出って言うかちょっと飛び出して来ちゃったって言うか……」
茶色く染めた髪の毛先を指でいじって気まずそうに彼女は呟いた。タカヒロが笑う。
『お父さんと喧嘩したんだ?』
「うん」
『しょうがないなぁ。何かあると駆け込み寺みたいにすぐにここに来るんだから』
「だって他に行くとこないもん」
拗ねた顔でメロンソーダを飲む有紗の頭を彼は優しく撫でた。その手つきにドキッとして顔を上げるとタカヒロの顔がすぐ近くにある。
『最近の渋谷は取り締まり厳しくなってるんだ。もうじきお巡りが巡回に来る頃だし、見つからないように早く部屋に戻りな』
「はーい」
素直に従う有紗と一緒にタカヒロもカウンター席を立つ。横に並ぶとタカヒロのつけているメンズ用の甘い香水の香りがした。
『ね、今度二人で遊びに行かない?』
「二人で?」
『嫌?』
タカヒロが有紗の耳元で囁いた。有紗は耳まで赤くして何度も首を横に振る。
『よかった。これ俺の名刺。デートしたくなったらいつでも連絡して』
「はい!」
タカヒロの名刺を受け取った有紗は軽い足取りで個室に戻った。ソファーに座って何度も名刺を眺める。
艶やかな素材に加工されたシルバーの名刺にはDJ TAKAHIROと印字され、名前の下には携帯電話番号とメールアドレス、名刺の裏には東堂孝広と彼の本名が書かれていた。
(どうしよう! どうしよう! タカヒロさんとデートだってぇ!)
浮かれ気分になった彼女は机に置かれたピンク色の布地に黒猫の柄が入った巾着袋から金平糖の包みを取り出した。包みを開けて金平糖を口に入れる。甘い味が口の中に広がった。
個室の扉が叩かれる。扉の側にこのネットカフェの店員で顔馴染みの河村久志が立っていた。
『シャワー室空いたよ』
「はーい」
シャワー室の空きの知らせを聞き、着替えを詰めたバッグを持って再び個室を出た。
『もうすっかり慣れたって感じだよね』
「なにが? ここに泊まるのが?」
『そう。家出するのも慣れたもんだなって思って』
有紗と河村はシャワー室までの通路を連れ立って歩く。
『さっきあの人と何話してたの?』
「あの人ってタカヒロさんのこと?」
『あの人には関わらない方がいい』
河村の呟きに有紗は怪訝な顔をした。
「なにそれ。意味わかんない」
『あの人がここで何やってるか知ってる?』
「地下のクラブのDJでしょ」
『地下一階ではそうだけどね』
河村の含みのある言い方に有紗は足を止めた。彼女の一歩先で河村も立ち止まる。
「タカヒロさんはMARIAとは関係ない」
『本気でそう思ってる? 地下二階のことは有紗ちゃんも知ってるくせに。君と同じ学校の子がゴロゴロと……』
「黙ってよ……っ!」
思いの外大きな声が出てしまった。有紗は口をつぐんで周囲を見回す。
「……タカヒロさんは関係ないもん。それに私がタカヒロさんと仲良くしたって河村さんには関係ないでしょ」
頬を膨らませて河村の横を通り過ぎた有紗は女性用シャワー室に入った。
『タカヒロなんて遊び人止めておけばいいのに』
使用中の札がかかるシャワー室の鍵が閉まる音と共に、河村は深く溜息をついた。
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