1‐6
12月9日(Tue)
午前7時の太陽はまだ輝きが弱く、薄曇りの今日は太陽よりも北風の勢力が強い。日の当たらない渋谷の高架下は身震いする寒さだった。
警視庁捜査一課警部の上野恭一郎は部下の原昌也を連れて、高架下に張られた規制線の黄色いテープを潜った。
『ここめちゃくちゃ冷えますね』
原はコートの襟に首をすぼめて両腕をさする。高架下の壁にはスプレーで落書きが描かれ、本来は灰色のコンクリートが鮮やかな色で賑わっていた。
『こんな場所で若い女の子が最期を迎えたと思うとやりきれないな』
上野は道路に仰向けに倒れている人間の側に立ち、黙祷した。すでに冷たくなっている“人間だったもの”は、まだ若くあどけない、少女と呼ぶに相応しい顔立ちだった。
少女の髪は明るい茶髪に染められ、片方だけ外れたピアスが道に転がっている。服装は白いファーのコートにミニスカート。スカートから伸びる太ももは生気を失って異様に白い。
少女の左胸にはナイフが突き刺さっている。そのむごたらしい有り様に刑事人生の長い上野も目を背けたくなった。
『ガイシャは倉木理香。学生証を所持していました。聖蘭学園の3年です』
刑事が上野に学生証を渡す。上野は白い手袋をつけた手で学生証の表紙をめくり、証明写真と死体の顔を見比べた。
学生証の証明写真の理香は茶髪ではなく黒髪、化粧もしていない清楚な雰囲気の少女だ。
『また聖蘭学園? これで三人目ですよ』
原が眉をひそめて上野の手元の倉木理香の学生証を覗き込んだ。生年月日の記載を見ると理香の誕生日は2月。
彼女はまだ18歳にもなっていなかった。
『原。またなのは聖蘭学園だけじゃなさそうだ。見てみろ、死体の右手』
上野は死後硬直の進んだ理香の固まった右手を指差した。
『まさか……』
『こっちもまた、だ』
死後硬直した右手の間から何かが見える。上野と原は身をかがめてそこにある物を凝視した。
赤と黄色とオレンジの金平糖が三つ、理香の青白い手のひらに転がっていた。
*
早河仁と香道なぎさはJR四ッ谷駅近くにある珈琲専門店Edenでランチタイムを過ごしていた。Edenはコーヒーの他にパスタやサンドイッチの軽食も提供している。
なぎさが先に店の常連となり早河をここに連れて来たのは半年前だ。
マスターの田村の淹れるコーヒーは絶品で、コーヒー通の早河もすっかりこの店が気に入ってしまい、最近ではEdenでランチをすることも多くなっていた。
二階のカフェで二人はそれぞれ注文したパスタを頬張っている。
『
「はい。これで三人目ですね。ニュースに学校が映るたびに悲しくなります。こんな形で母校の名前を聞きたくなかったですよ」
聖蘭学園はなぎさの母校。彼女はうつむいて溜息をついた。
『そうだよな。しかし三人目か……』
早河はパスタを平らげてしまうと店に置いてあった週刊誌のページをめくる。聖蘭学園女子高生連続殺人事件とタイトルの書かれた記事を目で追った。
一人目の被害者は3年生の中村瑠璃、11月10日に死体で発見された。
二人目は2年生の池内眞子。死体発見日は11月30日。二人の死体発見場所はどちらも渋谷だった。
昨日発売の週刊誌には二人目の被害者の池内眞子の記事までしか載っていない。来週にはここに今朝発見された三人目の倉木理香の名前が加わることになりそうだ。
殺害方法は中村瑠璃が首を絞められた絞殺、二人目の池内眞子はスパナで頭を殴打された撲殺、三人目の倉木理香はナイフでの刺殺。
一人目の時も二人目の時も殺害した凶器は死体の側にあったと言う。同一犯の犯行ならば三人目の倉木理香を刺した凶器も現場にあったと早河は推測する。
報道によれば中村瑠璃の両親は大企業の経営者で瑠璃は社長令嬢だった。
池内眞子は茶道家元の孫娘、倉木理香の父親は弁護士、母親も司法関係者だ。
裕福な家の女子高生が連続して殺されたセンセーショナルな事件は傍観者を決め込む視聴者の興味を惹き、ワイドショーを盛り上げている。
なぎさもパスタを食べ終え、二人で食後のコーヒーを楽しむ。
『マスター。今日のコーヒーも旨いね』
『ありがとうございます』
常連となった早河にマスターの田村は愛想よく笑った。
『依頼人との約束は2時だっけ?』
「はい。高山政行さん、家出した娘さんを捜して欲しいとのことです」
今日の午前中に先方から連絡があり、飛び込みで入ってきた依頼だ。
『家出人捜索か。そんなもの警察に頼めばいいのにな』
「警察に頼みたくないから探偵に頼むんですよ。久しぶりのホワイトな仕事でいいじゃないですか」
なぎさは何故か嬉しそうだ。ブラックではなくホワイトな仕事の何がそんなに嬉しいのか早河にはわからない。
『その仕事をブラックとホワイトで分けるの、矢野の影響だろ』
「へへっ。だって矢野さんよく使うからつい」
なぎさが4月から早河探偵事務所で働いて迎えた初めての冬。探偵の助手の仕事も板についてきた。
田村はEdenを出た早河となぎさをにこやかに見送った後、バックヤードに下がって携帯電話を耳に当てた。
『……私です。はい、計画は順調のようですよ。キング』
通話の相手はもちろん、あの男だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます