1‐8

 放課後の聖蘭学園の校内に合唱部の生徒達の綺麗な歌声が響く。日没の近い太陽が校舎を夕焼け色に染めていた。


 上野恭一郎と小山真紀は理事長の松本志保に現在の捜査状況を説明して理事長室を後にする。

すれ違う生徒達が二人に挨拶と会釈をして通っていく。さすが名門のお嬢様学校だけあり、礼儀正しい生徒が多い。


第一の被害者、中村瑠璃の死体が発見された11月10日以降、聖蘭学園には何度も足を運んでいる。今では上野も真紀も校内の構造を把握するまでになっていた。


『中村瑠璃と池内眞子は6月頃から学校を休みがちだった。今朝発見された倉木理香も9月から不登校気味だった。何かあるよな』

「三人共、イジメなどの学校内でのトラブルは特に見当たらず、成績優秀な生徒だったようですね」


渡り廊下の壁には過去の卒業生が制作した絵画が飾られている。


『被害者全員に共通しているのが親との関係が良好ではなかった点だ。どの親も娘が殺されたと言うのにマスコミ対応と体裁ばかり気にしていた』

「家は裕福でも家族仲は希薄なものでしたね。娘が家に帰っていなくても無関心…。彼女達の不登校や家出は自分のことに見向きもしない親への当て付けだったのかもしれません」


 渡り廊下から階段を降りて来客用玄関に出た二人の前にひとりの生徒が現れた。


「あの、刑事さん」

「あなた……倉木理香さんのクラスメートの……」

「木内愛です」


 木内愛は真紀と上野に丁寧に頭を下げた。

愛は黒髪をショートヘアーにした知的な印象の少女。真紀と上野は今日の事情聴取で理香の友達である愛に話を聞いたばかりだ。


「理香さんのことで何か話したいことがあるの?」


事情聴取の時の愛は付き添いの教師達の目を気にする素振りをしていた。彼女は教師の前では話せない何かを抱えている。


「理香は朝倉先生と付き合っていたんです」

「朝倉先生って理香さんの担任の?」


 朝倉修二は倉木理香と木内愛、一人目の被害者の中村瑠璃の担任だ。理香、愛、瑠璃、三人は同じクラスだった。

愛の事情聴取の時には担任として朝倉も付き添っていた。愛が気にしていたのは朝倉の存在だったのかもしれない。


「これを見てください」


 彼女は自分の携帯電話の画面を真紀達に見せた。殺害された倉木理香と担任の朝倉修二の二人が写っている写真だ。

二人で撮影したプリクラの画像もあり、プリクラでは朝倉と理香はキスをしていた。

写真の男女は教師と生徒の関係よりもかなり親しい仲に見えた。


「理香が送ってきた写真とプリクラです。理香と朝倉先生は今年の夏まで付き合っていました」

「理香さんと朝倉先生がどうして別れたのか聞いてる?」

「朝倉先生に他に好きな人ができたから……ううん。理香と付き合ってる時も朝倉先生はずっとその人が好きで、理香とは遊びだったんです。理香は本気だったのに……。1年の時から理香は先生に片想いしていてやっと付き合えて、でも先生に振られたショックで理香は学校に来れなくなったんです」


愛は悲しみと怒りの混ざる表情をしていた。


 思春期の恋愛で受けた心の傷は大人が思うよりも深い。恋心を弄ばれた理香は黒かった髪を明るく染め、ピアスを開けた。

家に帰らず渋谷を彷徨い、最期は何者かに無惨に命を奪われた。


 告発を終えた木内愛は真紀と上野に一礼して長い廊下の彼方に消えた。


『……小山。職員室に行くぞ。朝倉に話を聞く必要ができた』

「はい」


 二人は来客用玄関に背を向けて再び階段を上がり、二階の職員室に向かった。職員室で対応に出たのは社会科教師の佐伯洋介。彼は眼鏡をかけた穏和な男だ。


『朝倉先生は……こちらには戻られていませんね。荷物はあるので校内にはいるはずです。放送で呼び出しましょうか?』

『お願いします』

『わかりました。少しお待ち下さい』


佐伯が職員室にある校内放送のスイッチをオンにした。


        *


 西日が差し込む無人の美術室。いくつかの机には生徒が描いた水彩画が並べられている。


 美術室の隣には美術準備室がある。朝倉修二は音を立てないようにして準備室の中に入った。目の前の石膏像が侵入者の朝倉を睨み付けている。


山積みのダンボールの向こうに華奢な身体が見えた。彼女はかがみこんでダンボールの中身を探っている。

朝倉は彼女の細い腰に手を回して抱き付いた。


「きゃっ……!」


神田友梨が悲鳴をあげた。彼は友梨の口を手で塞ぐ。


『静かに』

「……朝倉先生?」

『あなたがいけないんですよ。あなたが俺を見てくれないから……』

「何を言っているんですか?」


 友梨のウエストラインをなぞる朝倉の手が彼女の胸下に到達した。その手つきの気持ち悪さに友梨は鳥肌が立った。


『どうして俺じゃないんですか?』

「え?」

『知ってるんですよ。あなたと佐伯が付き合っていること。俺はずっとあなたを見てきたのにあなたは俺に見向きもせずにあんな奴と』


朝倉は友梨の拘束を解いた後、準備室の扉を閉めて内側から鍵をかけた。


邪魔されたくないので。鍵はここにありますから誰も準備室に入って来れない。今日は美術部の活動がない日ですよね。ここに来る人間なんて美術教師のあなただけだ。何が起きても誰も気付かない』


 手に持つ美術準備室の鍵をゆらゆら揺らして朝倉は友梨に近付いた。彼女は恐怖で声も出ず、一歩ずつ後退る。


 朝倉が友梨の腕を掴んで無理やりキスをしようとした。抵抗しても男の力には勝てず、友梨は準備室の長机の上に押し倒された。

机に置いてあった絵の具や絵筆の束が乱雑に落ちる。使いかけのアクリル絵の具のパレットも音を立てて落下した。


美術教師の友梨にとって大事な絵筆たちを朝倉は平然と踏みつけた。彼はベルトを外し、にたにたと下劣に笑いながら自身のズボンのジッパーを下げる。


 朝倉は友梨に覆い被さりキスをした。下半身に押し当てられる男のそれの感触に友梨が絶望を感じたその時、校内放送の軽やかなメロディが流れた。


{先生のお呼び出しです。朝倉先生、来客がいらしています。至急、職員室にお戻りください}


校内放送から聞こえてきたのは朝倉が憎らしく思う佐伯洋介の声だ。


『佐伯の奴……良いところで邪魔しやがって……』


舌打ちした彼は友梨から離れた。上げにくそうにズボンのジッパーを上げ、ベルトをつけ直す。


『俺はあなたを諦めません』


 朝倉が床に転がる絵筆を蹴り飛ばして準備室を出ていく。友梨は何度も袖口で唇を拭い、その場に泣き崩れた。

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