1‐7
午後2時の5分前に依頼人の高山政行が早河探偵事務所を訪れた。大学病院の精神科に勤務する高山は落ち着いた風格の紳士だったが、目の下にはクマが現れていて疲労の色が顕著だった。
なぎさは高山にコーヒーを出す。彼はコーヒーを一口飲むとハッとした顔でなぎさを見た。
『このコーヒー、とても美味しいですね』
「ありがとうございます。すぐそこのEdenと言う珈琲専門店の豆を使っているんですよ」
『そう言えばここに来る前にそんな店を見掛けた気がします』
美味しいコーヒーを飲んで高山は少しだけ生気を取り戻せたらしい。
『高山さん、お嬢さんの写真はありましたか?』
『家中探しても娘の写真はこれだけしかなくて。小さい頃のものならたくさんあったんですが……』
申し訳なく眉を下げて高山は早河に写真の束を渡す。束と言っても全部で五枚。すべて学校で撮られたスナップ写真だ。
そのうちの一枚はロープウェイと緑の山脈を背景にして制服姿の少女が四人、ピースサインをしている。
『この一番右端が有紗です。去年の春なので今とそう変わっていません』
高山が黒髪をポニーテールにした少女を指差した。今の有紗は高校2年生、写真が去年の春ならばこれは高校入学直後の高山有紗だ。
なぎさは有紗の着ている制服に覚えがあった。
「この制服……お嬢さまは聖蘭学園の生徒ですか?」
『ええ。聖蘭学園に通わせています』
「私も聖蘭学園の出身なんです」
『そうなんですか! これは偶然ですね。いえ、実は早河さんを紹介していただいたのは有紗の担任の先生なんですよ。有紗のことを相談した時に先生がこの探偵事務所を教えてくださって』
早河となぎさは顔を見合わせた。
『なぎさ、母校の誰かにここで働いてるって話したのか?』
「いいえ……この2年ほどは学校にも顔を出していません。私の仕事のことは聖蘭学園の先生は誰も知らないはずです」
(なぎさの関係じゃないとすると……どうして聖蘭学園の教師がここの存在を知っている?)
『差し支えなければ担任の先生の名前を教えていただけますか?』
『
聖蘭学園教師の佐伯洋介……早河には聞き覚えのない名前だ。
(探偵として人に勧められるような実績はないし、刑事時代に担当した事件の関係者か?)
多少の疑問は残るが早河は話を先に進める。
『有紗さんが家を出たのが一昨日の日曜日でしたね?』
『そうです。ちょっとした言い合いになって……今までも娘が家を出ることはあったんですが、翌日には戻って来ていたので今回も明日になれば帰ってくるだろうと安易に考えていたんです。でも今日も娘は帰ってきていません。昨日も今日も学校を無断欠席していると学校から連絡がありました。聖蘭学園は今大変でしょう? 有紗の同級生が殺されたりして……。だから余計に心配で』
偶然にも高山有紗も今話題の聖蘭学園の生徒だ。犯人に狙われる危険性がある。
『有紗さんの行き先に心当たりはありますか? 友達の家やよく行く場所などは……』
『恥ずかしながら娘のことはよくわからなくて交遊関係もまったく……。娘が普段どんな場所に行くのかも知らないんです。精神科医としての患者のケアはできても娘の心はまったくわからない。情けないです』
高山は肩を落とした。いくら精神科医でも娘のこととなればどんな父親でもわからなくなって当然だろう。
『わかりました。こちらも出来る限りのことはしてみます』
『宜しくお願いします』
高山は今週末からロシアで行われる学会に出席するため日本を離れる。彼の出張までに娘を見つけ出せればいいが……。
高山が去った後、なぎさはスナップ写真の有紗をデジカメで撮影してデータをパソコンに取り込んだ。人捜しは情報収集が鍵だ。
都内に散らばる早河の仕事仲間たちのメールアドレスに有紗の写真を送り、情報を募る。
早河の片腕的存在の矢野一輝のメールアドレスにも写真を送った。情報屋の彼なら何か掴んで来るかもしれない。
『よし。俺達も行くか』
「はい」
早河となぎさも事務所を出た。日没まで2時間弱。街で人捜しをするには太陽があるうちが都合がいい。
『聖蘭学園があるのは渋谷区、家出した高校生がうろつくのも渋谷、原宿が多い。ひとまずその辺りに行ってみるか』
早河の車は渋谷方面に向かった。なぎさは膝の上に乗せたノートパソコンで渋谷区周辺の地図を表示する。
「高校生の女の子なら駅ビルやショッピングモールに閉店ギリギリまで居座りそうですよね。渋谷なら109やセンター街、あとはネットカフェで時間を潰したり……?」
『俺は馴染みの交番で聞き込みしてくるから、なぎさはそっち頼む。女だらけのビルに入る気はしねぇ』
「了解です。こういう時に女の助手がいて良かったと思いません? 私なら男が入れない場所にも入れますし」
『……まぁな。確かに俺だと女子トイレにも入れないか』
得意げに微笑むなぎさを横目に見て早河は苦笑いを返すしかなかった。
*
クラブ〈フェニックス〉は渋谷区道玄坂二丁目の路地裏に建つ五階建てビルの地下一階にある。
夜は妖しげなライトが飛び交うフロアも営業時間外の今は閑散として静まり返り、剥き出しの音楽機器が淋しげに佇んでいた。
タカヒロはクラブのソファーにふんぞり返って座っていた。彼はソファーの肘掛けに頬杖をついて週刊誌の記事を眺めている。
『タカヒロさん、これで三人目ですよ。殺された三人は全員うちのメンバーで、しかも売り上げトップの順に……』
『コウ。黙ってろ』
ドスの効いた声でタカヒロはコウを威圧した。コウが口をつぐむ。
『MARIAの件ではサツが動いてるからな。メンバーはしばらくはここに出入りさせるな』
彼は読んでいた週刊誌を乱雑に放り投げて立ち上がった。
『少し出て来る。何かあれば連絡しろ』
横柄な口調でコウに告げてタカヒロはエレベーターで地上二階に上がった。二階のネットカフェの入り口で高山有紗が手を振っている。
『こら。今日も学校サボって遊んでるな? この不良少女』
彼は作り笑いを浮かべて有紗の頭を小突いた。クラブでコウを威圧した時のタカヒロとはまるで別人だ。それは人間の表と裏。
「タカヒロさんだって不良少女のお誘いを断らなかったよ?」
『有紗ちゃんからのデートのお誘いを断る理由はないよ』
ビルの外に出たタカヒロは当然のように有紗の肩を抱く。
『寒いね。車すぐそこに駐めてあるから早く行こう』
タカヒロのつけている甘い香水の香りを近くに感じて、有紗はこれから待つタカヒロとの甘いひとときに胸を高鳴らせた。
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