2‐10
矢野の知り合いが勤める原宿の美容院で髪を黒に染め直した有紗はしきりに手鏡で染め直した黒髪を触っていた。美容院でメイク落としの道具まで借りてメイクを落とした有紗は今は素っぴんだ。
「ねぇねぇ、矢野さん。早河さんって彼女いる?」
『どうだろうねぇ。いないんじゃない?』
矢野の車は聖蘭学園に向けて走っている。なんとか午後の最後の授業には間に合いそうだ。
「じゃあさ、早河さんの元カノって矢野さん知ってるの?」
『まぁ……早河さんとは付き合い長いから何人かはね』
「ふーん。やっぱり元カノは何人かいるんだ」
この家出少女は遅刻して重役出勤待遇で登校しようとしているのに呑気なものだ。
(早河さんの元カノが女優の本庄玲夏だったなんて……いやいや、絶対言えねぇよな。なんで俺がこんなに焦ってんだ?)
「だけど気になるのはなぎささんだよね」
『なぎさちゃん? どうして?』
「だってぇ。なぎささん綺麗だもん。あんな綺麗な部下がいたら手を出したくなるのが男ってものでしょ。探偵と助手って関係も恋人になりやすそうだしぃ」
矢野は答えに窮した。有紗の憶測は恋愛ドラマや少女漫画に影響され過ぎている。
「それに早河さん、なぎささんのこと“なぎさ”って呼び捨てで呼んでるんだよ? 部下なら苗字で呼ばない?」
『あー……それは……そうだね』
(苗字呼びするとお兄さんの香道さんと紛らわしいからなんだろうけど……)
「あの二人って探偵と助手ってだけの関係なのかなぁ? なぎささんのお兄さんのことがあるから二人の間に絆みたいなものはあるのかもしれないけど」
『ああ、有紗ちゃんはなぎさちゃんのお兄さんのこと聞いてるんだ?』
「なぎささんから聞いてるよ。早河さんが元刑事さんってことも。だからただの上司と部下でもないような気がする」
有紗の鋭い指摘を受け、矢野はこれまでの早河となぎさを見て確かに二人の間にはただの仕事仲間以上の感情はあると思えた。
(でもあの二人に今まで何かあった話は聞いてないな……)
間もなく聖蘭学園に到着する。有紗を送り届ければ今日の矢野の任務は完了だ。
『俺が知る限り、早河さんとなぎさちゃんには何もないと思うよ。それにあの二人は……』
「え、あの二人は、って何? やっぱり何かあるのぉ?」
『あー……大丈夫。あの二人には何もないから! 絶対!』
(あの二人は貴嶋を追うのに必死で恋愛どころじゃないよな)
言えない言葉を飲み込んで、矢野は無事に有紗を聖蘭学園に送り届けた。彼はその足で早河探偵事務所に向かう。
まだ仕事中のなぎさの邪魔にならないように自分となぎさの分のコーヒーを淹れて矢野はソファーに座った。なぎさも仕事を中断して矢野が淹れたコーヒーで一息つくことにした。
『有紗ちゃん、もしかしたら早河さんに惚れちゃったかも』
「ええっ?」
矢野が手土産に持ってきたエッグタルトを頬張るなぎさは口元を押さえて驚愕している。矢野もエッグタルトを口に放り込んだ。
『聖蘭学園って茶髪禁止だよね?』
「はい。あっ……! 有紗ちゃん茶髪でしたよね。そのまま行っちゃったんですか?」
『いや、このままじゃ先生に怒られるからって、俺の知り合いがやってる美容院に寄って黒に染め直したんだ。でも仕方なく染め直した感じでもなくてさ。むしろ黒髪に戻って嬉しそうにしてた。それにはたぶん早河さんが関係してる』
「どうして所長が?」
『早河さんが、“俺は自然体な女が好きだ”って有紗ちゃんに言っちゃったんだよね』
早河探偵事務所の窓は西向きだ。夕焼けに色づいてきた太陽の光が室内に差し込んだ。
『それに有紗ちゃん、なぎさちゃんのこと意識してたよ』
「私のこと?」
『二人は本当に探偵と助手の関係なだけなのかぁっ? って。他にも早河さんの生年月日やら血液型やら、好きな女のタイプなどなど色々質問攻め。女子高生は恐ろしい』
矢野が購入してきた八個入りのエッグタルトはあと残り四つになっていた。早河と有紗に2つずつ残して、矢野は二杯目のコーヒーの準備に取りかかる。
カップを二つ持ってなぎさも矢野に続いて給湯室に入った。
「女の子たくさん泣かせてる矢野さんでも女子高生には負けますね」
『なぎさちゃんまでそんなことを……。俺、なぎさちゃんと早河さんには何もないって言っちゃったけどまさか俺の知らない間に早河さんとデキちゃって熱愛発覚ーっ! なことはないよね?』
「まさか。それはないですよ」
なぎさは手を横に振って、笑いながら否定した。
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