2‐9

『おいおい早河さーん。ラブホ街のど真ん中で女子高生と抱き合ってるって洒落になりませんよー』


 矢野一輝が笑いながら歩いて来る。彼にも有紗を捜して走り回ってもらっていた。


『バーカ。あやしてるだけだ』

「この人誰?」


有紗は恥ずかしげに涙を拭い、矢野と早河を交互に見た。早河とお揃いのような黒いコートの中の派手な柄シャツが印象的だ。


『俺の助手1号の矢野』

『ちょっとなんですか、その仮面ライダーみたいな紹介の仕方。有紗ちゃん初めまして。早河探偵の助手1号の矢野一輝でーす』


ノリのいい人だ。矢野の言い方に有紗は吹き出して笑う。たった今まで泣いていた彼女がみるみる笑顔になった。


「なぎささん以外にも助手がいたんだね」

『なぎさは助手2号』

『じゃあ早河さんはショッカーってことで』

『なんで俺がショッカーなんだよ。悪役じゃねぇか』


 早河と矢野の漫才のようなやりとりが面白い。安心した途端に有紗は空腹の気配を感じた。


「お腹空いた」

『もうすぐ12時か。俺も誰かさん捜し回って走ったから腹減った』

『じゃあ皆でどっか昼飯に行きますか。早河さんのおごりで』

「やった! 早河さんのおごりで!」


矢野がニヤリと早河を見て、有紗はピョンピョン跳び跳ねている。


『お前ら初対面なのにもう意気投合したのかよ……。待ってろ。今なぎさに電話するから』


 がっくり肩を落として早河は携帯電話をなぎさの番号に繋げた。すぐに電話口に彼女が出る。


『有紗見つけたから。もう心配いらない』

{良かったです。本当に良かったぁ……}

『今日は事務所に戻らないと思う。定時になったら帰っていいぞ。電話、有紗に代わるな。……ん、なぎさに謝っておけ』


なぎさの声は心底安堵したようで、早河は自分の携帯を有紗に寄越す。有紗は恐る恐る携帯を受け取った。


「……もしもし、なぎささん、あの、ごめんなさい……」

{いいのよ。でも、もうサボっちゃダメだよ?}

「はぁい。……あ、じゃあ早河さん達とご飯食べて来るね」


有紗がなぎさとの通話を終わらせた携帯電話を早河に返す。


「なぎささん、怒ってなかった」

『ここだけの話、なぎさも家出してきてたからな』

「えっ? そうなの?」


 三人はとりあえずラブホ街の外に出る。このままこの近辺に居れば早河と矢野が女子高生の買春疑惑を向けられてしまう。

先頭を歩いていた矢野が頷いた。


『そういえば、あの頃のなぎさちゃんと今の有紗ちゃんは似ていますね。お父さんと喧嘩して家出してきたところまでソックリ』

『アイツは有紗が昔の自分に似てるからほうっておけないんだよ。だから家出したり学校サボったり、有紗が無茶苦茶やらかしたとしてもそれで怒ることはない』


早河と矢野がなぎさの話を語る時、有紗は少しだけ淋しく感じた。きっと彼らの間には自分が知らない思い出や過去がまだまだあることを突き付けられたからだろう。


 渋谷警察署道玄坂上交番が見えた。安さんはここの交番勤務の警官だ。

交番の向かいのファミリーレストランに三人は入る。聖蘭学園の佐伯洋介に報告の連絡をして早河が席に戻ると、有紗がメニュー表と睨み合っていた。


『学校には連絡しておいた。佐伯先生が今日の最後の授業だけでも間に合うように来てくれって』

「はぁーい」


 本当に学校に行く気があるのか定かではないが返事だけは元気がいい。

有紗は遠慮の欠片もなくデミグラスソースのオムライス、サイドメニューのフライドポテト、コーンスープまで注文して早河と矢野を唖然とさせた。

女子高生の食欲は恐ろしい。


「学校サボったこと、早河さんにはもっと怒られるかと思った」

『俺は教育者でもないし生活安全課の刑事でもない。高校生にあれこれ説教する気もない。ただ有紗のことを心配してくれる人間も大勢いるってことは覚えておけよ』

「うん」


 オムライスを半分ほど食べ終えた有紗はうつむいた。しょんぼりとする有紗を見て早河は笑う。


『そうやってしおらしくしていれば可愛げもあるのにな』

「今、可愛いって言った?」

『可愛いじゃなくて、可愛げ』

「どう違うのぉ?」


口を尖らせて拗ねる有紗は初めてあのビルの前で会った時の冷めた目をした少女とは別人に見えた。


『どうって……全然違うだろ。可愛いって言うのは外見や仕草のことを言うのであって可愛げって言うのは性格が素直な可愛さがあるって意味じゃ……なぁ矢野?』


 早河は飲みかけのコーヒーカップを置き、隣にいる矢野に目配せする。矢野はタラコスパゲティをせっせと掻き込んでいた。


『俺に振らないでくださいよー。俺だって国語の教師じゃないんだから』

『お前は仮にも国立大卒だろ』

「矢野さん国立大出てるの? 意外と頭いいんだ」


矢野が国立大出身者であることが有紗は相当驚いたらしく、矢野は有紗の反応に苦笑いしていた。


「学校行く前に髪……黒に戻さないと。でも今から美容院の予約取れるかなぁ」


 聖蘭学園では染髪は禁止されている。茶髪のまま学校に行けば生活指導の教師に呼び出されてしまう。


『知り合いに美容師いるから聞いてみようか? 頼めばすぐにやってくれると思う。原宿に店があってここから近いよ』

『おお、やっと矢野の女遊びが役に立つ時が来たか』

『こらこら早河さーん。せっかく有紗ちゃんの俺のイメージが意外と頭いい人になってるのに何てこと言うんですかっ』

『意外と、な』

「早河さんと矢野さん仲良いね! あーあ。でも茶髪けっこう気に入ってたのになぁ」


この髪色ともお別れかと思うと名残惜しい。だけどタカヒロの存在がちらつくこの髪色から早く逃れたい気持ちもあって、嬉しいような、寂しいような。タカヒロのことはもう思い出したくなかった。


『黒でもいいのに。俺はこの写真の有紗がありのままの姿でいいと思う』


 早河がテーブルに置いた写真は高山政行から預かった有紗のスナップ写真。写真に写る有紗は黒髪でメイクもしていない。


「なんでこの写真を早河さんが持ってるの? やだやだ恥ずかしいっ!」

『恥ずかしいってことはないだろ。この写真の有紗の方が今の有紗よりも造ってない、自然体な有紗な気がするけどな』

「造ってない……?」


写真の中の黒髪に素っぴんのあの頃の自分は今よりも幼く見えるのに楽しそうに笑っていた。


「早河さんはこっちの私の方がいい?」

『少なくとも俺は自然体な女の方が好きだな』

「そっか。自然体……」


自然体とはどんな感じ? 無理していない? 造っていない?

メイクをしたり髪を染めるのとは違うの?

有紗にとって、“自然体”とは最も難しい問題だった。


 有紗はちゃっかりデザートまで注文し、チョコケーキを食べてご満悦だ。

会計の金額は早河の頭を悩ませるものだったが、矢野はなんだかんだ言いながらも自分の分の料金は支払っていく人間だ。

矢野の料金を除いた金額を支払い、少し軽くなった財布を早河は懐にしまった。昨夜の焼肉から始まり、食費の出費が痛い。


 ファミレスを出た早河は二人よりも先を歩いて振り向いた。


『じゃ矢野。後は頼むな』

『へーい』

「早河さんはどこ行くの?」


有紗が早河の腕を掴むが、早河はやんわりと有紗の手をほどいた。


『仕事。母親捜して欲しいって言ったのは有紗だろ。それ以外にも俺は忙しいんだよ。高校生は大人しく学校行け』


 矢野に有紗を託して早河はひとりで渋谷の雑踏の中に消えた。遠ざかる早河の背中を有紗は物悲しげに見つめていた。

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