2‐8
渋谷のネットカフェで早河はレジに居た男性店員に有紗の写真を見せ、有紗がここに来ていないか尋ねた。
疑わしげに早河をねめつける店員に、自分は有紗の父親から彼女を預かってると事情を説明してもなかなか信じてくれない。何度か交渉をしてようやく話を聞き出せた。
こういう時、警察の国家権力があれば容易いのにと警察の身分を手放したことを惜しく思う。
『店を出たのはどのくらい前?』
『20分……くらい前ですね。慌てた様子で。制服だったからそのうち補導されちゃいますよ』
男性店員に礼を言い、エレベーターを使わずにビルの階段を降りた。やはり有紗はここに来ていた。
(ったく。あのワガママ娘はどこ行った?)
ネットカフェを出ても有紗には行く宛もない。渋谷のどこかに有紗はいるはずだ。
また有紗の携帯に電話をかけるがコール音が鳴り続けるだけ。向こうは徹底的に無視を決め込んでいるのだろう。
(世話の焼ける奴だ)
彼は再び、寒空の渋谷の街を駆け出した。
同じ頃。有紗は心許ない足取りで渋谷の街を彷徨っていた。青信号で前に進んでも皆はどんどん先に進み、自分だけが置いてきぼり。
街にはこんなにたくさんの人が溢れているのに、今の自分は世界でひとりぼっちだった。
信じていた。信じたいと思っていた人。
タカヒロは他の大人とは違うと思っていた。……違う。タカヒロとMARIAの関係には薄々気付いていた。
だけどわざと目をそらした。目をそらし、見ないフリをした。
(結局私もやってることはその辺の大人と同じだ)
自分に都合の悪い事実は見ないフリ。都合のいい現実を作り上げて楽な道に逃げ込み、甘い夢に浸る。
黙っていても歩いても走っても涙が止まらず流れてくる。風の冷たさに今が冬だと思い出した。
『ねぇ、何かあったの?』
金髪の若い男が有紗の行く手を阻む。甘ったるい香水の匂いに酔いそうだ。
『高校生だよね? 学校行かずにサボり? 悲しいことでもあった?』
男は無言の有紗の肩を抱いて彼女の耳元で優しく囁いた。
『悲しい時は何もかも忘れて遊ぶのがいいんだよ』
「何もかも忘れて?」
『そう。一緒に楽しいことしよっか』
この寂しさを埋めてくれる相手なら誰でもよかった。何もかもどうでもいい。
何が正しくて何が間違っているのかわからない。とにかく淋しくてたまらない。
誰かに優しくして欲しかった。
渋谷でも有紗が近寄らなかった場所がある。円山町のラブホテル街だ。その場所が近付くにつれて有紗は身構えた。
誰でもいい。そう思っていたのにいざその建物の群れを目にすると恐怖が襲ってくる。
“初めて”は好きな人と……。小学生の時から夢見ていたパステルカラーの夢がどす黒く汚されていく。
(どうしよう。このままだと私この人と……)
隙を見て逃げようとしても男はそんな隙を与えてくれない。
(怖いよ……早河さん)
こんな時に浮かんだ顔は親でも先生でもなく、あの不思議な探偵の顔だった。
怒られてもいいから早河に会いたかった。呆れられて罵倒されても、でも早河はきっと他の大人と違うから。
『ちょっとお兄さん?』
後ろからその人の声が聞こえて、有紗は驚いた。幻聴ではないかと自分の耳を疑った。
振り向くと息を切らせた早河が立っていた。彼の額には冬なのに汗が浮かんでいる。
早河は有紗の腕を自分の方に引き、彼女を庇うように背中に隠した。
『この子は返してもらいますよ』
『は? なんだよあんた』
金髪の男が早河を睨み付ける。しかし威嚇は元刑事の早河の専売特許だ。早河の鋭い眼光に男が怯んだ。
『少女買春か未成年者へのわいせつ罪、どっちがいい? あそこにお巡りさんいるから現行犯逮捕してもらおうか?』
早河の指差す先には制服姿の中年の警官が腕組みをして立っている。金髪の男は警官を見ると舌打ちして走り去った。
『早河ー。俺の役目はもういいか?』
『はい。
『お前はいつから生活安全課配属になったのかと思ったが、探偵ってのも大変だなぁ』
安さんと呼ばれた警官は豪快に笑い、大股でホテル街を歩いていく。彼はこれからパトロールだ。
『このアホッ』
「痛っ……!」
早河が有紗の額にデコピンを食らわせる。有紗は両手で額を押さえて顔をしかめた。
『学校サボったあげくにナンパ男とホテル直行か? どうしようもない不良娘だな』
「ごめんなさい……」
言葉とは裏腹に有紗の頭を撫でる彼の手は温かい。有紗は早河に抱き付いた。泣きわめく有紗を早河は優しく抱き締める。
「早河さぁん……こわかったよぅ……」
『はいはい。怖かったな。もう大丈夫だから。先生から学校に来てないって聞いて心配したぞ。電話もシカトしてやがるし』
「だってぇ……怒られると……思って……」
『怒るのは当たり前。お父さんからお前を預かってる以上、危険な目に遭わすわけにはいかねぇんだ。あんまり心配かけさせんな』
「はい……」
涙で鼻声の有紗の声はいつもより幼く聞こえる。泣きながらも彼女は早河の腕の中の心地よさを感じた。
早河からは大人の香りがした。
何故だろう。温かいぬくもりにホッとする。もっと彼に触れていたくなる。胸が痛くなってドキドキする。
有紗の心の中で何かが変わろうとしていた。
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