2‐7
いつものネットカフェの個室。すっかり居心地の良くなってしまったここのソファーの上で有紗は漫画を読んでいた。
本来は学校に行かなければいけない身分での堂々としたサボりだ。最初は入店を拒否されたが、馴染みの店員に頼み込んでようやく個室に入れてもらえた。
今は午前10時半。先ほどから学校と早河から数分置きに何度も着信がある。有紗は携帯を無音設定のサイレントモードにして着信を無視していた。
(早河さん怒ってるかなぁ。ヤバいなぁ)
ジュースのストローを噛んで頬杖をつくと、早河やなぎさのことを考えた。昨日から関わり始めた探偵と助手の二人のことを少しだけ信用してもいい大人なのかもしれないと有紗は思っていた。
早河が渋々連れて行ってくれた焼肉も、久しぶりの誰かと一緒に食べる楽しい夕食だった。大人は嫌いだけど早河となぎさは嫌いじゃない。
(そっか。早河さんは探偵だから私がここにいるのわかっちゃうかも。あの人、なんかなんでも知ってそうだもん)
早河への信頼が生まれている反面、学校をサボったことで彼と顔を合わせるのが気まずい。どうせ帰ったら怒られるのだろう。今はまだ怒られたくない。
浅はかな幼稚さが有紗の体を動かしていた。ネットカフェを出てエレベーターに乗る。彼女は地下一階のボタンを押した。
(タカヒロさんいるかなぁ? まだこの時間なら寝てるよね)
クラブの営業が終わるとタカヒロは大抵は明け方から昼までクラブの店内で寝ていると前に彼に聞いていた。早河はネットカフェには捜しに来るかもしれないが、クラブまでは来ないだろう。
(タカヒロさんに頼んでしばらくクラブに居させてもらおう)
自分の頼み事ならタカヒロは断らない。そんな自負が彼女にはあった。
タカヒロに好かれている自信がある。だって彼とは……キスまでした仲なんだから。
エレベーターが地下一階に到着する。ひんやりとしたエレベーターホールを進むとクラブの扉が見えた。有紗は扉を押し開けて中に入った。
照明がついていない店内はもやがかかったように薄暗く、煙草とアルコールと香水の匂いが混ざり合い澱んだ空気。頭が痛くなりそうだ。
奥のソファーに人影を見つける。あっ……と小さく声を出した後に有紗は素早く柱の影に隠れた。
ソファーには男と女がいる。薄暗い室内で横顔しか見えないが、聞こえてきた話し声から男はタカヒロだとわかった。
彼の隣には女が座っている。女も声で誰かわかった。同じ聖蘭学園のクラスメートの古賀美咲だ。
タカヒロと美咲は抱き合ってキスをしている。
(嘘……タカヒロさんと美咲が……)
有紗は美咲が嫌いだ。それは美咲も同じだろう。互いに1年生の頃から敵対心を抱いている。どうしても馬が合わない存在はいるものだ。
「ねぇー、有紗をMARIAに入れるってハナシ、どうなったの?」
『一昨日面接しようとしたんだけど邪魔が入ってさ。うちも今はゴタついてるし、まぁそのうちな』
一昨日とは表参道での束の間のデートを言っているのだろう。クラブに警察が来てタカヒロが呼び出され、デートは中断してしまった。
(面接って何? MARIAって……)
「有紗と面接する気だったんだ。やっぱり有紗をMARIAに入れるのぉ?」
『いつかはな。有紗ちゃんって悪ぶってるくせに口説くとすぐ赤くなるし、ああいう男に免疫ないタイプに男は弱いんだぜ。有紗ちゃんは高く売れるぞ』
タカヒロの言葉を聞いて有紗は愕然とした。
やはりタカヒロはMARIAと繋がっていた。今まで彼が優しくしてくれたのもMARIAに入れるため?
MARIAに入れるための商品としてしか思われていなかった?
「そうそう、
『売った?』
「よくわかんないけどぉ、先輩達が殺された事件に金平糖が関係してるらしくてぇ。有紗って金平糖持ち歩いてるじゃない? だから高山有紗って子が金平糖持ってるよぉーってケーサツに教えてあげたの。私がそれを言い出したらみんな頷いてくれてねぇ」
『ふーん。今どき金平糖って古くない? 金平糖入れてるあの袋もダサかったよな』
タカヒロと美咲は笑っていた。笑いながら二人はキスをしてソファーに崩れ落ちていく。
聞きたくもない美咲のいやらしくて甲高い声が聞こえてきて、有紗は耳を塞いだ。
もう何も聞きたくない
もう何も見たくない
もう何も知りたくない
もう誰を信じればいいのかわからない
笑いながら自分を商品扱いするタカヒロのことが怖くなった。母の手作りの巾着袋をダサいと笑われて悔しかった。
タカヒロも美咲も有紗の存在に気付いていない。二人が奏でるいやらしい音は不快な気分を煽り、有紗は震える足を懸命に動かしてクラブを出た。
早く、早く来てとエレベーターの呼び出しボタンを何度も押した。エレベーターの扉が開くまでの時間がこんなに長く感じたのは初めてだ。
エレベーターに乗り込み扉が閉まると同時に有紗の頬に涙が流れた。
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