3‐6

 早河を意識し始めてから彼と二人きりになるのは初めてだ。有紗は運転席の早河を盗み見る。彼は無言でハンドルを動かしていた。


『さっきから静かだな』

「だって……早河さんと二人きりなんて何話せばいいのかわかんなくて」


赤い顔をしてうつむく有紗を早河は一瞥した。有紗が自分に恋をしているのではないかとなぎさは言っていた。

未成年の家出人を一時保護しただけだったはずが、厄介な状況になったものだ。



 有紗はだんだん迫ってくるその建造物を見るために窓に顔を寄せた。


「もしかして行き先って……」

『女子高生をどこに連れていけば喜ぶかわかんねぇからな。俺が今行きたい場所にした』


早河が駐車場に車を停めた。車を降りた有紗は東京タワーを見上げる。青い空に赤い東京タワーが映えていた。


『行きたくないなら車で留守番してるか?』

「行くに決まってるでしょー! 早河さんと一緒ならどこでも嬉しいもん」


 土曜日の東京タワーは家族連れや恋人、海外の観光客で混雑していた。二人は東京タワーの展望台に到着する。

冬の青空に下の灰色の四角いビルがレゴブロックのように並んでいた。


 早河は思考の整理をしたい時に東京タワーの展望台からこの灰色の街を見下ろしたくなるのだ。

彼の頭の中では有紗の母親の高山美晴の失踪と一連の女子高生連続殺人事件が交互に回っている。


 聖蘭学園、売春組織MARIA、被害者の手に残された金平糖。


金平糖が御守りと言っていた5年前に失踪した高山美晴、美晴の娘で聖蘭学園生徒の有紗、美晴の幼なじみであり有紗の担任の佐伯洋介。


貴嶋佑聖と和田組の西山元組長、西山の息子で今のMARIAを仕切っている東堂孝広──。


 それぞれの点と点を繋ぐ線は透明だ。まだ完全に見えない糸を辿っていけば高山美晴に辿り着く確信があった。美晴はこの街のどこかにいるのか、……それとも。


「早河さん」

『なんだ?』

「私ね、早河さんが好きなの」


 有紗の両手は早河の右腕を掴んで離さない。彼は視線を下げて有紗を見下ろした。


『有紗は俺を美化してるだろ。俺はそんなに優しい男じゃない』

「知ってる。早河さん意地悪だもん」


にっこり微笑む有紗はまだ何もわかっていない。彼女には早河の伝えたいことは何も伝わっていない。


『お前はまだ高校生だ。年相応の恋愛をしなさい』

「年相応の恋愛って何? 同じ年の男と付き合うのが年相応の恋愛なの? それにまだ高校生じゃなくてもう高校生だよ。子供扱いしないで」


 人目を気にせず抱き付いてきた有紗を早河は抱き締めない。

子供のくせに子供扱いしないでと駄々をこね、人目を気にせずに抱き付いてくる。


そういうところが有紗はまだまだ子供だ。この子供っぽさが、良くも悪くも高校生の年相応とも言える。

しかし、これは荒療治が必要かもしれない。


『お前は俺に大人として扱って欲しいのか?』

「うん。だって私もう大人だよ。17歳なんて見た目は大人の女と変わらないじゃん」

『……帰るぞ』


 彼は有紗に背を向けた。先へ行ってしまう早河を有紗は泣きそうな顔をして追いかける。帰りの車内は二人とも無言だった。

早河探偵事務所に着くと、事務所にはなぎさも矢野もいない。早河と有紗の二人きり。


『上について来い』

「上?」

『上は俺の自宅になってんだよ』


 事務所の奥には給湯室とトイレの他に階段がある。狭い廊下を通って給湯室とトイレを通り過ぎ、早河に続いて有紗は階段を上がった。

三階の早河の自宅は広いリビングとリビング横に扉がひとつあった。早河がその扉を開けた。


『入れよ』

「……お邪魔します」


早河に促されて入ったそこは寝室だった。ひんやりした空気を肌に感じる。


 早河は煙草に火をつけてベッドに腰かけた。有紗は部屋の入り口に立ち尽くして一服する早河に困惑の眼差しを向ける。


『さっきの、俺が優しい男じゃないって言った意味をお前は勘違いしてる』

「勘違い?」

『こっち来い』


 彼は自分の隣を指差す。有紗は戸惑いながらもベッドに腰かける早河の隣に座った。

早河は何度か煙草の煙を吐き、まだ長い煙草を灰皿に押し付けた。


 早河の腕が有紗の肩に回って二人の顔が近付く。目を泳がせる有紗の頬に彼は触れた。


『優しくないって言うのはな、こういうことだ』


困惑で瞳を揺らす有紗の唇に早河の唇が接触する。そうしてあっという間に彼女の中に侵入してきた彼の舌が、口内で好き勝手に暴れていた。


乱暴で強引で、息をするのも許されない優しくないキス。

有紗は目を見開き、早河の乱暴な行為にされるがままでいるしかなかった。無意識に涙が溢れてくる。


有紗はこうなることを望み、こうなることを期待していた。それなのに戸惑い、動揺している。期待と動揺、嬉しさと戸惑い。


早河の吸う煙草の味が口の中に広がる。

それは甘いのに苦い? 苦いのに甘い?

どちらだろう?


 キスをしながら早河は軽々と有紗をベッドに押し倒した。


「早河さん……?」

『大人の女として扱って欲しいんだろ?』


無表情にこちらを見下ろす早河を初めて怖いと感じた。今の早河は有紗の知る早河ではない。


『俺はお前をナンパしてホテルに連れ込もうとした男と同じだ。手軽でちょうどいい女がいるなら遠慮はしない』

「ちょうどいい……?」

『そうだ。男なんてみんな同じだぞ。性欲の発散の道具のために女を使う。そこに愛情がなくても男は女を抱けるんだよ』


有紗に馬乗りになった早河の手が彼女の下半身に伸びる。有紗の身体は恐怖で固まって身動きできない。


好きな人なのにどうして怖いの?

好きな人なのにどうして嫌だと思うの?

怖い。嫌だ。“初めては好きな人と”って決めてるのに。好きな人なのに幸せじゃない。


「やだ……早河さん止めて……」

『お前が望んだんだろ』

「……嫌だ! 止めて!」


有紗が悲鳴に近い叫び声をあげた。早河の動きが止まる。


『やっとわかったか?』


 早河は有紗から離れて起き上がった。有紗はベッドの上でうずくまって涙を流している。やれやれと溜息をついて早河は有紗の肩から毛布をかけた。


『これが大人として扱われるってことだ。有紗はまだ男ってものがどんな生き物か知らないだろ? 男は誘惑されれば好きでもない女でも遠慮なく抱ける。女から誘惑しておいて、いざとなったらやっぱりダメですごめんなさい、なんて大人の世界では通用しない』


有紗の隣に腰を降ろし、震える彼女の背中を撫でる。もぞもぞと動いた有紗が毛布の隙間から早河を覗いた。


「もしかして全部わざと?」

『当たり前だ。俺は女子高生には欲情しません』

「私が抵抗しなかったらどうする気だったの?」

『本気で襲う気はないからな。寸前のところで止めたよ。お前……処女か?』

「……うん」


毛布で半分ほど隠した有紗の顔は真っ赤になっていた。


「バカみたいだよね。必死で大人ぶって男のことだってわかった気になって」

『大人が嫌いなくせにどうしてそんなに大人ぶろうとする?』

「だって子供だって思われたくないから」


 早河は有紗の顔を隠す毛布を下げて彼女の乱れた前髪を整えてやる。目元に涙の跡が残っていた。


『今の有紗は初めて会った時よりも無理した感じがなくていいと思ってるんだけど。大人ぶって無理して冷めたフリしてる有紗よりも、素直でワガママで子供っぽい有紗の方が俺は好きだな』

「早河さんて……ずるい。私の気持ち知ってるのにそんな簡単に好きって言って」

『言っておくが今の好きは人としての好きの意味。恋愛感情じゃない』

「わかってるもん」


拗ねて頬を膨らませる有紗が一番、“彼女らしい”と思う。


『大人になるってことは、自分の言葉や行動に責任を持つってことだ。自分でしたことの責任は自分でとる。大人になろうとするなら責任の持てない言動はするなよ。わかったな?』


有紗が頷いた。おとなしくなった彼女を彼は抱き締める。


『有紗の気持ちは嬉しいよ。でも今はまだ有紗の気持ちには答えられない。もう少し大人になって、まだ俺に気があればまた迫ってこい。ちゃんと大人として相手してやるから』

「うん……」


 早河とのキスは煙草の味がした。甘いのに苦い、少しだけ大人に近付いた恋の味だった。

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