3‐5

12月13日(Sat)午前7時


 寒い冬の朝。公園の片隅でさえずる小鳥達も寒さに耐えるように身を寄せあっている。


 京王井の頭線、神泉駅から程近い場所にある鍋島松濤なべしましょうとう公園。桜の時期には花見客で賑わうこの公園は今朝は別の意味で人だかりができていた。

公園の地面の上に木内愛が仰向けに倒れている。彼女が着ている紺色のコートの左胸は黒ずんだ色に変色し、胸からナイフの柄が突き出ていた。


 警視庁捜査一課の上野恭一郎と小山真紀は死体となった愛を見下ろした。二人に友人の倉木理香と教師の朝倉修二の関係を教え、友人の人生を変えてしまった朝倉を嫌悪し、理香を殺した犯人を許さないと断罪していた彼女は今はもう話せない。


何とも言えない怒りと悲しみの感情が込み上げ、真紀は死体から目をそらした。上野が愛の左手を見る。

これまでの被害者三人と同じ、愛の左手には金平糖が四つ握らされていた。


 木内愛の死体発見のニュースはその日の昼のニュースで報じられた。

土曜日で学校が休みの有紗はなぎさの家で暇をもて余していた。なぎさは午前中からライターの仕事で出掛けている。


他人の家にひとりでいるのも退屈だった。なぎさからは合鍵を渡されている。どこかに買い物にでも行こうと思い立ち、家を出ようとした矢先に携帯電話が鳴った。

同じ学校の美術部の友達からのメールだ。


「嘘でしよ……愛先輩が?」


 なぎさの家を出た有紗は早河探偵事務所に向かった。覚えたての道を通って新宿通りの交差点を渡り、四谷の三栄通りに入る。三栄公園を通り過ぎて見えてきた早河探偵事務所のガレージには早河の車がなかった。

走ってきたので呼吸が荒い。ハァ、と深呼吸を繰り返して彼女は事務所の螺旋階段の踏み板にしゃがみこんだ。


 ガレージに車を停めた早河は螺旋階段を見上げた。手すり越しに人影が見える。背格好から女のようだがなぎさではない。心当たりのある名前はひとつだ。


『……有紗?』


名前を呼ぶと人影がゆらりと立ち上がった。一階から二階への踊り場付近にいた有紗が駆け降りて来る。


『どうした?』

「先輩が……愛先輩が……死んじゃった……」


泣きじゃくる有紗が早河にしがみついた。聖蘭学園の生徒の死体がまたひとつ増えた。

今度は有紗の知り合いらしい。


 泣きわめく有紗を連れて螺旋階段を上がり、事務所に入れる。有紗のためにとなぎさが昨日買っておいたココアがさっそく役に立つ時が来た。

有紗にココアを作ってやり、早河は自分の分のコーヒーを淹れる。しばらく泣き続けた有紗は早河が作ったココアを飲むと少し落ち着きを取り戻した。


「愛先輩が殺されたって友達からメールで聞いたの。……本当なんだよね?」

『聖蘭学園の木内愛って生徒が今朝死体で見つかったってニュースは流れてる。残念だが本当のことだ』

「……愛先輩、昨日ちょっと様子が変だった。すごく怖い顔して廊下歩いてて、私とすれ違っても携帯見たままで気付かなくて。愛先輩が殺されたことと関係あるのかな……」


 聖蘭学園の生徒が殺されるのはこれで四人目。上野警部からの情報によると木内愛はMARIAの名簿には載っていなかった。彼女は売春組織のメンバーではない。


しかし木内愛の手にはこれまでの被害者と同じく金平糖があった。数は被害者の数と同じ。

どうして犯人は被害者に金平糖を握らせているのか。金平糖にはどんな意味が?


『なぁ有紗。金平糖で何か思い浮かぶことないか?』

「金平糖で? んー……」


 有紗はふわふわとしたファー素材のショルダーバッグから猫柄の巾着袋を出した。中に入る金平糖の袋をカサカサと振る。


「私が金平糖で思い浮かぶのは……くるみ割り人形かなぁ」

『くるみ割り人形?』

「チャイコフスキーの三大バレエって知ってる? 〈白鳥の湖〉と〈眠れる森の美女〉と〈くるみ割り人形〉の三つ。全部バレエの舞台になってるんだよ。そのくるみ割り人形の物語の中に金平糖の精の踊りがあるの」


有紗は携帯電話のデータフォルダから音楽データを呼び出した。彼女の指が再生ボタンを押すと携帯からメロディが流れてくる。


「これが金平糖の精の踊りに使われる曲。日本以外だとドラジェの踊りって言われてるよ」

『白鳥の湖は知っていたがそんなものがあるのか』


金平糖の精の曲とやらは、聴いているとどこかの異世界に誘われてそのまま迷い込んでしまいそうな、摩訶不思議なメロディだ。

一度聴くとしばらくはメロディが耳に残って離れない。


 早河は有紗の持つ金平糖をひとつ摘まんで口に入れた。甘い味が口の中に広がる。携帯から流れる金平糖のメロディもこうして聴いていると確かに金平糖の姿が浮かんでくる気がする。


「お母さんがバレエ教室の先生だったの。私もちょっとだけお母さんの教室でバレエ習ってた。だから私にとって金平糖は御守りでもあるしお母さんと一緒にこの曲を踊ってる思い出でもあるの」

『御守りと思い出……』


やはり鍵は失踪した有紗の母親、高山美晴なのかもしれない。


『出掛けるぞ』

「私も一緒に?」

『俺と出掛けるの嫌なのか?』

「ううん! そんなことない。行く!」


 ソファーから跳び跳ねて降りた有紗は早河の腕に絡み付いた。

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