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 なぎさが帰宅した後のひとりきりの探偵事務所で早河はデスクに広げた手帳を見ていた。時刻は午後9時を過ぎている。


 手帳には失踪した有紗の母、高山美晴たかやま みはるの情報が書き込まれている。夫の高山政行に聞いた話によると、美晴は5年前の2003年7月に突然姿を消した。


夫婦間のトラブルはなく、高山は妻の失踪理由に心当たりがないと言っていた。家には美晴の荷物が残されたまま。

財布と携帯電話は持って出ているが彼女名義の預金通帳は家にあり、携帯の電源は繋がらなくなっていた。


(5年前の7月に東京近辺で身元不明の女性が巻き込まれた事件事故はなかった。しかし家出だとすれば不可解な点も多い)


 今日は午後から美晴の古い友人に会った。美晴の故郷は山梨。その友人も同郷で美晴とは高校が同じだった。

彼女から美晴には親しくしていた幼なじみがいると聞かされた。年齢は美晴よりもひとつ年上の幼なじみは今は東京で教師をしている。


 事務所の呼び鈴が鳴った。腰を上げた早河が相手を確認して扉を開ける。

扉を開けた先には聖蘭学園の社会科教師、佐伯洋介が立っていた。


『ご足労いただき恐縮です』

『いいえ。学校では話せない要件だとお電話で仰っていましたが、どういったお話でしょう?』


佐伯は緊張した面持ちでソファーに腰かける。早河は佐伯の真向かいに座り、彼の表情の変化を観察した。


『私が学校にお伺いすることも考えましたが、学校だと誰かに聞かれる恐れがあります。特に有紗に聞かれること避けたかったものですから、こんな時間に事務所にお越しいただくしかなかったんです』

『高山さんに聞かれたくない話なのですか?』

『少なくとも今はまだ。……話というのは有紗の母親のことです』


 こちらが持っている情報のどこまでを提示すれば相手の持つ情報をどこまで引き出せるか、これは駆け引きだ。


『高山さんのお母様ですか? 僕はお母様とは面識はありませんよ』

『佐伯先生は有紗の母親をご存知のはずですよ。有紗の母親の名前は美晴さんと言って、旧姓では岡本美晴さん、こちらの名前なら先生もお分かりですよね?』

『……岡本美晴? まさか高山さんの母親は……』

『そうです。佐伯先生も山梨のご出身ですよね? 先生の幼なじみの岡本美晴さんが有紗の母親です』


佐伯は眼鏡の奥の瞳を何度もまばたきしていた。


『先生は美晴さんが有紗の母親であることをまったくご存知なかったんですか?』

『はい。生徒の家族関係は書類上の把握になりますし、高山さんの三者面談もお父様が来ていましたので……。美晴とは僕が山梨を出て東京の大学に進学して以降は疎遠になっていました。ただ、美晴が行方不明になっていることは美晴の両親から電話で聞いていましたよ。行方不明になった美晴が僕の所に来ていないかと連絡をもらったこともありますが……』


(この男は有紗が自分の幼なじみの娘だったことを本当に知らなかったのか?)


 困惑と動揺、驚愕の混ざったような佐伯の表情を見る限り、どちらとも判断がつかない。美晴が失踪する理由に心当たりはないと言って佐伯洋介は帰っていった。

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