3-8

 木内愛の死体が今朝発見されたことで、聖蘭学園では全教師を集めて緊急の職員会議が開かれた。午後には警察が学校に来て事情聴取を受け、教師達は休む暇も与えられない。

夕方にようやく解放された神田友梨はそのまま恋人の佐伯洋介の自宅で土曜日の夜を過ごしていた。


「朝倉先生、今日はなんだか様子がおかしかったけど……職員会議でもずっと震えていて」

『木内さんも朝倉先生のクラスの生徒だからね。ショックが大きいんだろう』


佐伯が友梨を抱き寄せる。友梨は佐伯に身を任せて目を閉じた。

穏やかな時間が流れている。このままずっと。何も起こらずに彼と平穏に過ごしていたいと彼女は願う。


 友梨の携帯が鳴ったのは午後9時を過ぎた頃。着信は警視庁の小山真紀からだった。


{警視庁の小山です。神田先生、今どちらにいらっしゃいますか?}

「今は佐伯先生の家に……。あの、どうされたのですか?」

{先ほど朝倉修二を住居侵入とあなたへのストーカー容疑で逮捕しました}

「朝倉先生を逮捕?」


逮捕と聞いて側にいる佐伯も驚いている。


{朝倉はあなたに内緒であなたの自宅の合鍵を作って部屋に侵入していたんです}

「合鍵? そんな……」


友梨はしばらく何も言葉が出なかった。


 聖蘭学園教師の朝倉修二は神田友梨の自宅への住居侵入罪(不法侵入)と友梨へのストーカー行為の容疑で逮捕された。朝倉をマークしていた警視庁の刑事が朝倉が友梨の自宅に合鍵を使って入ろうとしたところを現行犯逮捕、警視庁に連行された。


朝倉は職員室に置いてある友梨のバッグから自宅の鍵を盗み出して合鍵を作り、これまでに何度も友梨の自宅に侵入していた。

友梨の自宅を調べると部屋からは小型の隠しカメラが見つかった。朝倉はこのカメラで友梨の日常生活を覗き見ていた。


 上野警部が取調室に入ると、朝倉は虚ろな瞳で彼を見上げる。取り調べを担当していた原刑事が立ち上がって上野に席を譲った。


『お前に聞きたいことがある』

『神田先生のことならもう全部話しましたよ』

『まだ話していないことが残ってるだろう? お前は教え子の倉木理香と交際していたよな?』


朝倉の虚ろな目がわかりやすくキョロキョロと動いた。


『木内愛に聞いたよ。お前が理香と交際していたことも、お前と理香の写真も木内愛に見せてもらった』

『……俺は……俺は何もやってない……』


 木内愛の名前が出て朝倉の身体が小刻みに震える。朝倉は何かに怯えているようだ。


『木内愛は殺される数時間前、ちょうど昼休みの時間帯に自宅の自分のパソコン宛にメールを送っている。これはそのメールをプリントアウトしたものだ』


〈私は朝倉先生を告発します〉その見出しで始まったメールには本文はなく、画像データが貼り付けられていた。画像は三番目に殺された倉木理香と朝倉が親しげに写るプリクラやツーショット写真。

理香と朝倉の関係を示す動かぬ証拠だった。


『木内愛の携帯に残っていた過去のメールのやりとりにはこの画像を添付した倉木理香からのメールもあった。理香は木内愛にお前との関係の証拠写真を送っていたんだ。彼女はそれを今まで携帯に保存していた』


放心した朝倉は唇を噛んでうつむいている。


『携帯会社に問い合わせて12月12日の木内愛の携帯の通信履歴を調べた。12日の午後12時21分に木内愛はお前のパソコン宛にメールを送信している。彼女の携帯は12時39分にお前からの返信を受信していた。だけど変なんだよな。携帯本体のメールの送受信履歴にはお前宛のメールもお前からの返信も残っていなかった。それだけじゃない。携帯の画像データの中にはここにはある倉木理香とお前の写真がなかった。おかしいよな? 通信記録やパソコンにはデータがあるのに本体にはない。……何故だと思う?』


 睨みを効かせる上野の背後ではさらに原が朝倉を威嚇している。朝倉は貧乏ゆすりを続け、口元に当てた手も震えていた。


『まだあるぞ。不思議なことに木内愛の携帯には指紋がひとつもついていなかった。持ち主の木内愛の指紋すらない。メールを打つ時に必ず利用する操作ボタンや表面のパネルにも誰の指紋もなかった。これが何を意味するかわかるか? 何者かが木内愛が殺害された後で携帯からメールと画像のデータを削除し、自分の指紋を拭き取ったんだ。なぁ朝倉?』


朝倉の精神が限界に達した。彼は震える両手で頭を抱え、何度も頭を左右に振り続けた。


『俺じゃない! 俺は殺してない! 俺があそこに行った時にはもう……木内さんは死んでいたんだ』

『昨夜、木内愛と会う約束をしたことは認めるんだな?』

『……はい』


 肩を落とした朝倉は昨夜の出来事を語り始めた。


『木内さんが俺と理香の写真を持ってると言ってきて……。彼女は俺が理香を殺したんじゃないかと疑っていました。でも理香を殺したのは俺じゃない。学校では話せないから外で話そうってことになって、松濤しょうとうのあの公園で19時半に待ち合わせをしたんです。でも放課後の生徒の補習授業が延びて、待ち合わせの時間に行けなかったんです。俺があの公園に着いたのは19時50分頃だったと思いますが……もう木内さんは殺されていました』


 木内愛の死亡推定時刻は19時から21時の間、19時50分頃に朝倉が鍋島松濤公園で愛の死体を発見したのなら殺害時刻は19時から19時半前後に絞れる。


『うちの生徒が立て続けに殺されていてもう訳がわからなくて、とにかく彼女の携帯にある俺と理香の痕跡を消すことに必死で……』

『メールと写真を消して、携帯についた自分の指紋を拭き取り、その場から逃げたんだな。警察に通報しようとは思わなかったのか?』

『通報すれば俺が木内さんと待ち合わせをしていたことが知られてしまうから……俺と理香の関係がバレたら俺は教師をクビになる。それが怖くて……』


 頭を抱えて嘆く朝倉は何を悔やんでいるのか、そんなもの知りたくもない。この男の苦しみなど理解したくもない。すべて自業自得だ。


この男によって涙を流した十代の少女がいた。

この男の罪を暴いて告発しようとした十代の少女がいた。

この男の欲望に巻き込まれて苦しめられた女性教師がいた。


『朝倉。お前は教師としても男としても最低な行為をした。身勝手な欲で倉木理香を傷付け、歪んだ愛情で神田先生を苦しめ、教え子の木内愛の死体を見ても通報もせず、彼女を冷たい地面に放ったまま逃げ出した。お前はとっくに教師失格なんだよ』


上野の厳しい断罪の言葉を聞いた朝倉は悲鳴をあげて拳を何度も机に叩きつけていた。


 この男に捨てられて売春の道を選んでしまった倉木理香は哀れなかつての恋人を天から見てどう思うだろう。


 中村瑠璃、池内眞子、倉木理香、木内愛。彼女達を殺した犯人が朝倉ではないのなら真犯人は一体誰なのか。

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