1‐14
「わかった。ここからは出る。でも家には帰らない」
『じゃあどこで寝泊まりするつもり?』
「別のネットカフェに行く。渋谷がダメなら新宿でも行こっかな」
平然と答える有紗に早河は呆れの溜息をつく。
『お父さんにもらった小遣いも尽きる頃じゃないのか? さっきATMで下ろしてたみたいだが、そんな生活していたらすぐに金なくなるぞ』
「そうなったらバイトして家借りるよ」
(このクソガキ。簡単に家借りるとか言って世間舐めてんのか? 未成年が家借りられるわけねぇだろ)
『お父さんに依頼を受けた以上、俺は君の居場所を把握してお父さんに報告しないといけない。とりあえず俺の事務所まで来てもらう』
「えー。やだ。めんどくさーい」
(ガキの家出問題に付き合わされて面倒くさいのはこっちなんだよ)
早河の怒りなどまったく気付かない有紗は他人事のような顔で茶色く染めた髪の毛先をいじっている。突然、彼女がその手を止めて早河を見た。
「探偵なら人捜ししてくれる?」
『まぁ……。君の捜索依頼を引き受けたくらいだからね』
「お母さんを捜して。5年前にいなくなったの。ね、お母さん見つけてくれたら家に帰ってもいいよ」
ここまで突拍子もない依頼は初めてだ。聡明な精神科医を父親に持つわりには、この娘には常識というものが備わっていない。
『あのね、探偵でも人捜しを1時間や1日で出来るとは限らないんだ。居なくなって5年になるなら見つかるまでに1ヶ月や1年以上かかるかもしれない』
「それでもいいから見つけてよ。それが仕事なんでしょ?」
『お母さんが見つかるまで家に帰らないならその間どこで生活する?』
「だからぁ、とりあえずネットカフェで寝てバイトして家借りるの!」
だだっ子の子供を相手にしている気分になってくる。社会の厳しさを何も知らない未成年との口論に早河は疲れていた。
『家借りるって簡単に言うけど……』
「あの、所長」
それまで黙って事の成り行きを見守っていた早河の助手のなぎさが早河と有紗の間に割って入った。
「この子、私の家で預りましょうか? うちも狭いですけど高校生の女の子ひとり住まわせるくらいなら何とかなるかと」
「ねぇー、探偵さん。さっきから気になってたんだけどこの人、探偵さんの彼女?」
『彼女じゃない。助手の香道なぎさ』
「はじめまして」
なぎさは微笑み、有紗に名刺を渡す。有紗は名刺を見て、それから早河となぎさを交互に見た。
『なぎさ、犬猫を預かるんじゃないんだぞ? 母親が見つかるまで何年かかるか……。それに俺はまだ母親捜し引き受けるとは言ってねぇよ』
「引き受けないとこの子は家に帰ろうとしませんよ。大丈夫です。所長さえ頑張ってくれたら!」
なぎさが拳を握り締めてガッツポーズする。早河はしばらくなぎさとの攻防戦を続けたが、観念して肩を落とした。
なんだかんだでこの助手にはいつも負ける。
『……あー! もう。わかったよ。母親捜し引き受けてやる。母親見つかったら家に帰れよ』
「見つかったらねー」
素知らぬ顔で有紗はコートのポケットから金平糖の包みを出して口に放り投げた。
『今日からしばらくはなぎさの家に泊まらせることにしたからそれでいいな?』
「私はお風呂に入れて足を伸ばして寝れるとこならどこでもいいよー。荷物取りに行ってきまーす」
有紗の姿がビルに消える。早河は舌打ちして恨めしそうになぎさをねめつけた。
『あの頑固さと世間知らずさは誰かさんを思い出すな?』
「さぁー。誰でしょうね?」
『とぼけやがって。急にうちで預かると言い出したのも家出した有紗と自分を重ねていたんだろ?』
「バレてました?」
苦笑いするなぎさの気持ちは早河もわかっている。
なぎさが家出して早河探偵事務所に押し掛けて来たのは今年の4月。言ってることもやってることも、あの頃のなぎさと有紗はよく似ていた。
なぎさは自分と似ている有紗をほうっておけなかったのだろう。
『ま、どこかに放浪されたりこのままここに居るよりはマシか。このビルは色々とキナ臭い場所だからな』
「連続殺人事件と売春組織に関わりがあるんでしょうか」
『今のところはわからない。ただ……有紗はここに出入りさせない方がいい。それだけは確かだ』
早河は五階建てビルを見上げた。両隣にも似た建物が並ぶ渋谷の裏通りに冷たい風が吹き荒れる。
せっかくの広く青い空のキャンバスなのに、ここにそびえ立つ灰色の建物の群れが空を真っ二つに切り裂いているように感じた。
第一章 END
→第二章 金平糖の少女 に続く
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