4‐5
『東堂孝広は頭をパーンと一発、撃ち抜かれていたらしいです』
矢野は親指と人差し指を広げて拳銃の形にした手を自分の頭に当てた。早河はデスクに頬杖をついて矢野の話に耳を傾ける。
『東堂殺しはMARIAの口封じか?』
『それもあるでしょうが、殺しが手慣れていてプロの犯行だったようで。東堂は色々とヤンチャなことしでかしてましたから、父親の西山が見切りをつけて息子を始末したんじゃないかって話も出てます』
『西山の裏にはカオスがいる。カオスの仕業の線もあるな』
東堂孝広の死体が道玄坂二丁目のビルで発見されたと警視庁の上野警部から早河に連絡が入ったのは午後6時過ぎだった。第一発見者はMARIAの運営に関わっていたクラブの従業員。
『東堂とイチャイチャ真っ最中だった女も一緒に殺されてます。巻き添え食らった女はあのビルの三階にあるダイニングバーの店員で、まだ21歳だったようです。殺しに情け容赦ないって言うか、冷徹って言うか』
東堂孝広に同情はできない。彼は女子高生を売春させて金儲けをしていた鬼畜だ。
しかし東堂とあの場に一緒にいただけで無惨に殺された21歳の女性店員は気の毒でならない。
『不思議なのが東堂が殺された時間帯のあのビルの監視カメラがすべて停止していたんです』
『監視カメラが?』
『外部からハッキングされたらしく、一時的にカメラが作動しないようにプログラムが仕組まれていたとか。怪しい匂いプンプン』
『ハッキングして監視カメラを停めている間にビルに侵入して東堂を殺す……確かに匂うな。東堂を殺したのが和田組の関係者なら、ヤクザが人殺しをするのにわざわざ監視カメラをハッキングするとも思えない』
憂鬱そうに早河はなぎさのデスクに目をやった。矢野が早河の視線の先に気付く。
『なんだか暗いですね。なぎさちゃんと何かありました?』
『別に。ただ男と女はよくわかんねぇよなって。……有紗に佐伯の話をしてくる』
思い立った早河はコートを羽織った。事務所に矢野を残して外の螺旋階段を降りる。
冷たい風に身をすくめて、夜の新宿通りに出た。
(あいつ……なんであんなに泣いていたんだ?)
なぎさの泣き顔が忘れられない。無言の抱擁をしたあの後、山梨で得た情報をなぎさに報告した他はろくに会話もしないで彼女を自宅に帰した。
どうしてあんなことをしてしまったのか自分でも説明できない。
交差点を渡り、四谷二丁目付近のなぎさのマンションの前に到着した。マンションを見上げる彼は一報入れずに来てしまったことを悔やむ。
恋人でもない女性の家を訪ねるのに午後8時は常識的な時間なのか? 非常識な時間帯ではないがそれでも躊躇する。今日は、特に。
マンションの共有エントランスの前で早河は携帯をなぎさの番号に繋げた。
{もしもし?}
『ああ……俺。あのさ、有紗に話があるんだが……』
{有紗ちゃんに? 電話代わりましょうか?}
『直接話したい用件なんだ。それで今、なぎさのマンションの前まで来てるんだけど……』
{……ええっ?}
なぎさの驚きの声を聞いて笑みが漏れる。
『こんな時間にすまない。家に入っていいか?』
{わ、わかりました! ちょっと待っててくださいね! ……えー! 今から早河さん来るのっ? なんでっ?}
動揺するなぎさの声の背後で有紗が騒いでいた。
数分して、なぎさから再び電話が来た。入ってもいいとの知らせだ。エレベーターを使うのも億劫で階段で三階まで上がった早河を出迎えたのは共有通路で待っていた有紗だった。
外の空気で冷えきった身体に暖房の暖かさが沁みる。なぎさの勧めで小さなこたつに入った早河は有紗と向かい合った。
このキラキラとした瞳を向ける少女にどこまで語ればいい? 山梨から引き連れてきた憂鬱が有紗を前にして早河にさらに暗い陰を落とす。
「話ってなーに?」
『お母さんのことだ。まだ見つかったわけではないけどな……』
有紗はなぎさの淹れたホットレモンのカップを両手で持ち、早河の話を待っている。早河もなぎさの淹れたコーヒーをすすってこれから話す言葉を頭の中で考えた。
『有紗の担任の佐伯先生と、お母さんは幼なじみだったんだ』
「佐伯先生が? お母さんと?」
『佐伯先生は山梨の出身で、佐伯先生の実家はお母さんの家……有紗のお祖母さんの家だな、そこの近所にある。お母さんと佐伯先生は小学校と中学校が同じで仲が良かったらしい。話って言うのはまぁそれだけなんだが』
目を丸くした有紗は早河の言葉の意味を必死で噛み砕いて理解しようとしている。
「……知らなかった。びっくり」
担任教師と母親が幼なじみだった。その事実に有紗は何を思うだろう?
早河が言えるのはここまでだ。佐伯洋介が有紗と血縁関係にある叔父であり、有紗の本当の父親が佐伯琢磨だとは早河の口から言うべきことではない。
それは今の有紗の父親、高山政行の役割だ。
「佐伯先生は私がお母さんの娘だって知ってたの?」
『先生は知らないと言っていた。佐伯先生はお母さんの結婚後の苗字を知らなかったんだ』
「……そっか」
有紗は軽く頷くと立ち上がった。
「お風呂入ってくるね。早河さん覗かないでよ」
『誰が覗くか』
「へへっ」
舌を出して笑った有紗はキッチンとリビングを隔てる扉の向こうに消えた。
『佐伯と有紗が幼なじみって知って、有紗どう思ったんだろうな』
「驚くのは当然ですよね。それに本当に佐伯先生が有紗ちゃんを美晴さんの娘だと知らなかったのかも」
『そうだな。まだ俺達が掴まなくてはいけない情報があるはずだ。……帰るよ。遅くに悪かった』
ワンルームのなぎさの家には玄関横に洗濯機があり、その隣にはトイレと浴室の扉がある。早河は有紗がいる風呂場の方を見ないようにして玄関で靴を履いた。
『有紗、居候生活楽しんでるみたいだな』
「私も妹ができた気分で楽しいですよ」
『今回の有紗のことはなぎさがいてくれて助かってる。ありがとう。たまには助手も役に立つものだな』
彼はわざと悪態をつき、その言葉の裏の優しさに彼女は気付く。
「いつか、たまにはじゃなくていつも役立つ助手と言わせてやります」
口を尖らしていてもなぎさの目は笑っていた。
そのやりとりを風呂場の扉越しに有紗が聞いていたことを二人は知らない。
(あれが探偵と助手、か。やっぱり私にはわからない何かがあの二人にはあるんだ)
男と女と。上司と部下と。
でもそれだけじゃない、何かが。
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