第8話不思議な能力とモデル美少女⑧

「色塗りしよ!」

 後味の悪いクラス会議のあと、梨々香が元気な声を僕にかけた。

 まだ、クラスにはたくさんの人が残っていた。だから、梨々香に話しかけられた僕は、またしても悪目立ちしてしまった。

 みんなの、特に男子の視線が痛い。なんで福本みたいな地味なやつが美少女転校生に声をかけられているんだ。そんなような言葉が、ちょっと聞こえてきた。

 僕は声を出さずに小さくうなずくと、逃げるように教室を出て行った。ちょっと待って、と梨々香は小走りでついてくる。

「急いでるの?」

「そういうわけじゃないけど」

 今日初めて二年三組に来た梨々香は、僕のクラスの立ち位置をわかっていない。派手な転校生と僕が親しそうにしていたら、周りからどう見られるかわからない。今まで地味にしていたからいいものの、横山さんのときのように、みんなを見下しているなんて噂を立てられたらたまったものじゃない。

 僕は、梨々香からなるべく距離を取って歩き、道具を準備すると、体育館裏の作業場まで向かった。

 あいかわらず、体育館の裏には人の気配がなかった。梨々香が隣にいる手前、改めて、作業場をここに選んでよかったと思う。

「横山さん。大丈夫かな」

 梨々香が段ボールを並べながら、心配そうな声を上げた。

「ちょっと気になるよね」

「悪い人じゃなさそうだし。なにか、理由があるのかな」

 梨々香は、台本に関しての今までの経緯を知らないが、今日の会議の話から、おおかたの事情を察したようだ。

「うん。何か理由がある」

「真人くん、何か知ってるの?」

 僕が断定的に言ったので、そう聞かれてしまった。危うく、横山さんが三島先生のことを恋愛対象として見ていることが、口から漏れそうになる。

 僕は、何も知らないと言ってやりすごした。

 そもそも、横山さんの恋愛と再現不可能な台本は関係ないはずだ。

 僕たちは、段ボールにペンキを塗る作業を始めた。

黙々と色を塗る。そうすると、やっぱりいろんなことが頭に浮かんできてしまった。

 過去の恋愛を引きずる人。

 好きじゃない人と、まるで恋人のように接する人。

 本当は違うのに、両想いだと信じきっている人。

 好きになってはいけない相手を、好きになってしまった人。

 そして、あることにも気付いていた。

 頭に浮かんでいる文字が、突然消えたり、変わったりすることがある。つまり、好きだった人への気持ちが突然消えたり、変わったりするのだ。

 両想いは、永遠に続くとは限らない。

 なぜ、僕がこんなことを気にしなくてはならないのか。それは、紛れもなく、僕に芽生えてしまった能力のせいだった。周りの人の頭上に浮かぶ文字が、僕に余計な情報を供給する。

 こんな能力、今すぐ消えてほしい。でも、自分ではどうすることもできない。

「なんか、退屈だね」

 単調な作業にしびれを切らした梨々香が口を開いた。

「そうだね」

「最初は楽しかったのに」

「最初って、このただひとつの色を塗る作業が?」

「うん。なんか、青春っぽかった」

 誰の目にも触れない雑草の生い茂ったこの場所で、段ボールに色を塗ることしかしていない。それのどこに青春を感じたのだろうか。

 口には出さないけど、梨々香はちょっと変わっている。

「ただ塗ってるだけじゃつまらないから。競争しよっか」

「競争?」

「制限時間内に私と真人くん、どっちが多くの段ボールを塗れるか競争」

「まあ、いいけど」

 それで、少しは楽しくなるだろうか。

「じゃあ、いくよ。よーい!」

「ちょっと、待って!」

「なに?」

「制限時間決めてない」

 梨々香は、そっか、と言って目を糸のように細めて笑った。

 天然丸出しだけど、ちょっとかわいいとも思ってしまう。

「じゃあ、制限時間は一時間!」

「長くない?」

「じゃあ、五分?」

「極端だね」

 少々のやり取りの結果、二十分ということに決まった。

「罰ゲームはどうする?」

「罰ゲームあるの?」

「当たり前でしょ。競争なんだから」

 競争のすべてに罰ゲームがあるわけじゃないが、盛り上がった方がいいので、僕はそのルールを認めた。

「好きな人を教えるってどうかな?」

 どーしよっかな、と悩んだ末に梨々香が言った。

 でも。

 僕は、梨々香の頭の上に目をやる。そこには……。

「梨々香、好きな人いないじゃん」

 梨々香の頭の上には、なにも浮かんでいない。つまり、彼女に好きな人はいないということになる。

 でも、それを口にするつもりはなかった。

 梨々香に好きな人はいない。僕に、それを知る術はないはずだ。だから、僕がそんなことを口にするのは、不自然極まりない。

 でも、言ってしまった。

 案の定、梨々香は首をかしげている。

「どうして、真人くんがそう言い切れるの?」

「えっと」

「えっと?」

「梨々香、今日、転校して来たわけだし。僕の知ってる人の中に、梨々香の好きな人っていないはずでしょ?」

 僕の言葉に、梨々香は手をたたいてうなずいた。

「そういうことね。でも、あたりだよ。私、好きな人いないの」

 なんとか切り抜けることができたようだ。

「まあ、僕もいないけど」

「好きな人?」

「うん」

「寂しいね」

「お互い様でしょ」

 結局、罰ゲームは、誰にも言っていない秘密を教える、というあいまいなものに決まり、制限時間二十分の色塗りゲームが始まった。

 隣の梨々香は、ものすごいペースで段ボールを染め上げていく。僕も少しペースを上げたが、夏の暑さに汗が滲んできた。

 汗をぬぐい、梨々香を見ると、彼女は頬にペンキをつけていた。しかし、顔に汗をかいていなかった。涼しい顔で、目の前の作業に集中している。彼女は暑くないのだろうか、と思いながら作業を再開する。

「飽きた!」

 しばらくすると梨々香が音を上げた。時計を確認すると、開始から十分も経っていなかった。

「もう、終わり。じゃあ、塗った段ボール数えよっか」

 梨々香が始めたゲームは、彼女の手によって強制終了された。

 結果。

 梨々香、二枚半。僕、一枚と少し。

「途中棄権したんだから、梨々香の負けでしょ?」

「え、そんなルール決めてないじゃん」

「じゃあ、僕の負けなの?」

「うん」

 圧倒的に梨々香のペースに巻き込まれたまま、僕は負けた。

「私、ジュース買ってくるから。秘密、考えておいてね」

 そう言って、梨々香は行ってしまった。

 秘密なんて、僕にはない。周りの人とうまく付き合うことができない、つまらない人間だ。

 僕は、ひとり、自虐的ににやりとすると、作業に戻った。

 少しして、梨々香が戻って来た。

「はい」

 梨々香は、缶をひとつ僕にくれた。

「飲むプリン?」

「夏と言えば、これだよね」

 僕はお金を出そうとしたが、そういうの嫌い、と突っぱねられた。

 お礼を言って、缶を振ると、その液体とも固体ともつかないものを口に流し込んだ。夏と言えば飲むプリンではないよなあ、と思いながらも、それをごくりと飲み込む。

「秘密。教えて!」

 僕は、何も言わずに作業に戻った。

「ちょっと、無視しないでよー。飲むプリンもあげたのに」

「僕って、超能力者なんだよね」

「なにそれ!」

 はじめは、冗談のつもりだった。

「みんなの好きな人がわかる」

 そんなのあり得ない、と笑われて終わると思っていた。

「うそ。すごいじゃん」

 でも、梨々香は違った。

「周りの人の頭の上にね、名前が浮かんで見えて。その名前が、その人が好きな人の名前ってわけ」

 梨々香は、あり得ないと笑うわけでも、頭大丈夫と心配するわけでもなく、僕の話を真剣に聞いてくれた。だから、僕はこの不思議な能力について、何もかもを梨々香に話していた。

 たぶん、一人では抱えきれなかったのだと思う。能力について誰かに打ち明けないと、いろいろ考え込んでおかしくなってしまいそうだったのかもしれない。

「すごい能力じゃん。羨ましい」

「羨ましくない!」

 せっかく話を聞いてくれていた梨々香に、僕は感情的になってしまった。

 でも、決して羨まれるような能力ではない。

 他人の純粋な恋愛対象を知ることは、その人の表向きとは違った側面を覗き見ることになる。それは、想像以上に、恐ろしいことだった。

 他人の恋愛対象というプライベートな情報の中には、決して告げ口してはいけないものがある。そうしたら、その人の学校での社会的地位がなくなる恐れがあるからだ。だから、絶対に僕が見た名前を他人に漏らしてはならない。

 他人の恋愛対象なんて、興味もないし、僕には関係ない。

 そう思えれば楽だった。でも、知ってしまった以上、無視したくてもできなかった。

 他人の恋愛対象という情報の中には、僕ひとりであれこれ考えるには、答えがなく、救いのないものもある。だから、少しでもそれらの情報を自分の外に出したかった。

 他言してはいけないことはわかっているが、そうしないと僕がつぶれてしまう。そのジレンマが僕を苦しめていた。

 梨々香を前に、僕は、自分でもびっくりするくらい、淀むことなく話をしていた。誰が誰のことを好きだという具体的な情報は伏せる。その理性は保ちながらも、このときばかりは、言葉が止まらなかった。

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