第2話不思議な能力とモデル美少女②
インターホンが鳴ったのは、ちょうど午後八時のことだった。
僕はモニターを確認することなしに、玄関へ向かい、扉を開けた。
前もって連絡があったので、来客が誰なのかわかっていた。隣に住む瑞希だ。
「ごめん!」
大げさに手を合わせる瑞希に、僕は苦笑いしながら、ノートを渡した。
「ありがとう」
瑞希は、その中身を確認する。昨日、風邪で学校を休んだ彼女は、明日の数学の授業に後れを取らないよう、僕にノートを借りに来たのだ。
「ノートじゃわからなかったら、昨日の内容教えるけど」
「いや、大丈夫だと思う」
瑞希は優秀だ。たとえ授業に参加していなくても、僕の助けなどいらないだろう。
でも、僕の提案を断った直後、瑞希は自らの発言を訂正した。
「やっぱり、教えてもらおうかな。この辺、複雑だからちょっと心配」
「そう」
瑞希は、リビングにいた母親に挨拶すると、僕の部屋に上がった。少し遅い時間だけど、瑞希が僕の部屋に来ることに関しては、何の問題もなかった。今までも何度か、こういうことがあった。
瑞希は、僕の学習机に座ると僕の教科書を広げて、ノートの内容と照らし合わせた。聞きたいことがあったら言って、と言葉を残し、僕は、ベッドに横になってスマートホンに目を落とした。
しばらくそうしていると、瑞希が口を開いた。
「あのさ」
「何かわからない?」
「数学は終わった。結局、自分でできた」
最近成績が落ち始めた僕に対する嫌味か、という言葉はうちにとどめておいた。
「じゃあ、なに?」
「文化祭の係、本当に大道具でよかったの?」
「うん」
僕は教室で瑞希がため息をついているのを思い出した。彼女は、僕のこういうところにあきれている。
「もうちょっと、自分の意見言っていかないと、今後、生きていけないよ」
「そんなことないと思うけど。それに、大道具も誰かがやらなきゃいけないことでしょ。今のところ、何をやるのかよくわかってないけど」
「真人は昔からそうなんだから。周りの言うことに、はいはいって言うだけで」
説教が始まってしまった。こうなると、瑞希は止まらない。しかし、僕は彼女の言葉を右から左に受け流すスキルを身につけている。
熱心に口を動かす瑞希を見て、もしかしたら、数学のためじゃなくて、これを言うために部屋に来たのかもしれない、と思えてきた。
「だから、友達もできないんだよ」
瑞希の説教は、いつもこの言葉で終わる。そして、僕はいつも、この言葉だけにはチクリと胸を刺されたような気持になる。
僕は友達をつくることが、極端に苦手だった。
「友達ってどうやってできるの?」
今までそんなことを聞いたことは無かったが、今日に限って、そんな言葉が口から漏れてしまった。
「なんだ、欲しいの?」
「まあ、ね」
照れ隠しに、僕は瑞希から目を逸らす。
「話してたら、自然に友達になってるんじゃないの。真人は、人と話さなすぎなんだよ」
「だって……」
話しかけて、うざいって思われたら自分が傷つくじゃないか。
それを口に出すことはしなかった。そんなことを言ったって、瑞希を困らせるだけだ。普通の人はそんなこと考えない。
「どうしたの?」
「ううん。なんでもない。そういえばさ」
強引に話題を違うものにする。
「なに?」
「桐谷梨々香って知ってる?」
その名前を聞いて、瑞希は、何かに思い当たった顔をした。
「確か、これから編入してくる子だよ」
「編入?」
つまり、転校してくるということか。新しいクラスメートなら、僕が知らないのも無理はない。
「うん。この間、先生が言ってたけど、来週あたり新しい子が来るって」
「その人も、大道具のところに名前があったんだよね」
「ふーん」
役割決めに参加できなかった転校生が、強制的に大道具にされたってことか。高校二年生の文化祭の役割を勝手に決められて、ちょっと気の毒だ。
「あ、でも。たぶん、クラスの演劇には関わらないと思うよ」
「なんで?」
「噂だけど、その子、モデルやってるんだって。それで忙しい上に、ミスコンにも参加するみたいだから、クラス演劇には関われないって」
「じゃあ、なんで係に名前あったんだろう」
「一応、クラスの一員だからじゃん?」
友達ができるかもしれないと思っていた手前、それを知って、ちょっとがっかりだった。ミスコンに、モデル。桐谷梨々香は、別世界の人間だった。
瑞希の説教がひと段落すると、彼女が帰ることになった。
僕は、玄関まで見送りに行く。
「ちょっと、いい?」
瑞希はそう言って、僕を外に誘った。
僕らの家は、閑静な住宅街にある一戸建てで、前の通りは、人通りがほとんどないひっそりとした場所だった。
「あのさ」
「ん?」
「文化祭マジックって知ってる?」
「マジック。手品のこと?」
瑞希は、苦笑いを浮かべた。
「違うよ。文化祭をきっかけに、カップルが誕生するってこと」
「へえ」
カップルという言葉を聞いて、僕は司との話を思い出した。彼は瑞希のことを気にしていた。
「うちのクラス、誰かくっつくかな」
「さあ」
僕は、なんで瑞希がこんな話題を持ちかけるのかわからなかった。恋愛についてなら女子の友達と話した方が弾むだろうし、少なくとも、僕がその手の話に疎いのを、彼女は十分承知しているはずだ。
「真人は、やっぱりそういうの気にならないの?」
「別にそういうわけではないけど」
人と話すときでさえ緊張してしまうのだから、恋愛なんて到底できない。今まで、そういうこととは無関係だと思ってきた。
「興味なし、ってわけではないの?」
「どうだろう」
恋愛について考えてこなかったのだから、わからない、としか言いようがない。
「じゃあ、付き合うならどんな人がいいとか、ある?」
僕は、またしても答えることができない。すると、瑞希が僕のことを上目遣いに見つめてきた。
「私とか、どう?」
自分の表情が固まるのがわかった。
――私とか、どう?
僕が瑞希と付き合うとしたら、ということだろうか。
十六年、瑞希と接してきて、こんなことを聞かれたことはなかったし、考えたこともなかった。瑞希は、僕の幼馴染。ただ、それだけだった。
「えっと……」
「冗談だよ」
おどおどしていると、瑞希は、笑って僕の左うでをたたいた。
「なに固まってんの。冗談だって」
「だよね」
瑞希と冗談を言い合うことは、よくある。だから、今の問いかけも彼女が少しふざけただけだ。でも、見つめられたとき、なぜか彼女の言葉を冗談として受け取ることができなかった。
「私ね。今日、瀬戸くんに告られたの。真人、仲いいでしょ?」
それを聞いて、瑞希がこういった話題を持ち掛けてきた理由がわかった。今までの不自然な問いかけは、この話題につなげるクッションだったのだ。
「それで、返事は?」
「まだ、してない。でも、決めた。付き合うことにする」
「そっか」
付き合う、ということが具体的にどういうことなのか、僕はよく知らない。だから、昔からの顔なじみである瑞希と司が付き合うと聞いても、あまりぴんとこなかった。
「どうした?」
僕が瑞希に聞いた。
司と付き合うと決めた瑞希は、僕の目の前でうつむいていた。その表情には、どこか陰りのようなものがあるような気がした。少なくとも、クラスメートと付き合うと決めた人がする顔ではない。
「ううん。大丈夫。じゃあ、また明日ね」
「うん。また、明日」
瑞希は、小さく僕に手を振って、家の中に入っていった。
瑞希のあの表情は何だったのだろうか、と思った。長いまつげの影が目元に伸びていて、それは彼女の不安を表しているようだった。ただ光の加減でそう見えただけだろうか。それとも司と付き合うことに、何か後ろめたさのようなものがあるのだろうか。
僕は首を傾げながら、家に戻った。
しかし、そんな僕の不安は、部屋に上がるころにはすっかり消えていた。
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