第42話スクールフェスティバル!③

 体育館は、たくさんの人でにぎわっていた。

 ミスコンテスト。わが高校文化祭の一大イベントだ。

「エントリーナンバー1。工藤雪子さん」

 拍手が体育館中に響き渡ると、ステージに、先ほど映画で見た工藤さんが、真っ白なドレスを着て登場した。

 到着が少し遅れた僕は、後ろのほうからステージを見ていた。そのせいで、ステージ上にいる人の表情まではよくわからない。それでも、工藤さんは可愛らしいオーラを放っていた。

「では、一発目で緊張しているかもしれませんが、自己紹介をお願いします」

 司会進行の男子生徒が言うと、工藤さんは、マイクを口に近づけた。

「こんにちは。二年一組、工藤雪子です」

 拍手や、歓声、指笛が鳴る。

 太い声で「可愛い」と誰かが叫んだ。それに対する笑いがしばらく続く。

「工藤さんは、クラスの自主製作映画で、主要人物を演じているんですよね? いかがでしたか?」

「撮影は、すっごく楽しかったです。途中、少し大変なこともあったけど、それも含めていい思い出になりました」

 周りからは「みたよ」や「これからみる」と言った声がちらほら聞こえて来る。

「はい、ありがとうございます。では、お客さんからの質問コーナーです。皆さん、工藤雪子さんに質問したい方は、挙手をお願いします!」

 司会進行が、客席に向くと、ちらほら手があった。

「じゃあ、あちらの侍のコスプレの方!」

 実行委員だろうか、客席で待機していた係の生徒が、差された人のもとへ走りマイクを渡す。

「好きなアニメは何ですか?」

 そう聞いたのは、赤い髪の毛のかつらをかぶり、侍の恰好をした女子生徒だった。やっぱり、こういう大勢の場では、派手な格好をしている人が選ばれる。そのせいか、この会場にはコスプレの割合が多い気がした。みんな、質問をしたいのだろうか。

 四つほどの質問の後で、工藤さんの出番が終わった。

「では、エントリーナンバー2――」

 だんだんと僕の気分ものってきて、次の出場者が登壇したときには、少し前の方に来ていた。三人目の出場者が終わるころには、会場の真ん中あたりのポジションをとることができていた。

 これでステージにいる人の表情まで、しっかり確認することができる。

「次は、エントリーナンバー4」

 ふと、後ろを向くと、体育館の後ろの壁まで人がいた。僕が来たときより、確実に増えている。

 四人目の女子生徒は、一年生で、まだあどけない顔をしていた。かなり緊張していたのか、うまく話をすることができていなかった。でも、それが初々しく、会場からは温かい声がたくさん上がっていた。

「では、最後の登場です。エントリーナンバー5」

 やっとだ、と僕はごくりと唾を飲み込んだ。他の人たちも僕と同じなのか、騒がしかった会場が一瞬静まり返った。

「桐谷梨々香さん!」

 それまでの出場者と同様な白いドレスを着た梨々香が、ステージに現れた。そうすると、今までの四人の出場者とは違った、地鳴りのような歓声が起こった。僕は、それに圧倒されて、拍手することを忘れるほどだった。

 やはり、梨々香は美しかった。それも、ため息が出るほどに。今までの四人も、綺麗系だったり、可愛い系だったり、男子からの人気はもちろん高いだろうという女子生徒だったが、梨々香はその誰とも違っていた。異様ともいえるようなオーラを放っている。

「よろしくお願いします」

 梨々香がそう言うと、体育館全体が華やいだように感じた。わあっと、一層、会場のボルテージが上がる。

 人気は絶大。ここにいる人はみんな、梨々香の虜になっている。

 僕は、そんな彼女に恋をしている……のだろうか。周りの人の頭上から文字が消えてから、鏡の向こうの僕の頭上にもなにも浮かばなくなった。

 大勢からの注目を集めている梨々香は、普段隣にいた彼女とは違う人に見えた。テレビに出ている彼女を見たときもそうだったが、現実離れした華やかさにいつもの親しみやすさはない。

 そんな梨々香を見ていると、僕はわからなくなってしまう。自分は、本当に梨々香のことが好きなのか、と。

「すごい歓声ですが、自己紹介をお願いします」

「二年三組、桐谷梨々香です」

 きゃーっ、という黄色い歓声も鳴りやまない。梨々香は、女子からも絶大な人気があるようだ。

「桐谷さんは、モデル活動や、ドラマにも出演されていますが、今回の文化祭では何かされていますか?」

「はい。二年三組でやってるクラス演劇パンク・オズの、背景画を三カ月くらいかけてずっと作っていました」

「背景画をつくる。イメージと違って、地味なことしましたね」

「そうですか? すっごく楽しかったですけど」

 梨々香はそう言って、わずかに舌を出した。いつもの親しみやすさが覗く。

「芸能活動との両立、大変ではなかったですか?」

「正直、大変でした。でも、私ひとりでやったわけじゃなく、もう一人のクラスメートと協力して、何とか完成までできました」

 もう一人のクラスメート。きっと僕のことだろう。こんな大勢の前で、自分のことが話題に上がっていると思うと、ちょっと気恥ずかしい。

「文化祭準備で、楽しかったことはありますか?」

「背景は、ずっと二人で作ってたんですけど。その一緒だった人が、とにかく面白い人で。その人とおしゃべりしながら作業してたので、楽しくできました」

「そうですか。ちなみにその一緒に作業された方は男の人ですか?」

「はい」

「お名前は?」

「秘密です」

 僕は胸をなでおろすおもいだった。ここで名前が出されて、僕が梨々香と親しかったことがばれたら、今後、僕は学校にいる生徒全員の敵になってしまうかもしれない。

「秘密って、訳ありっぽいですね。その人のこと少しだけ教えてくれませんか?」

 司会の人が「みなさんも知りたいですよね?」と会場を煽ると、同意を示す歓声が起こった。

「あまり具体的なことをしゃべると、その人に怒られちゃいそうですけど」

 梨々香はそう口にしてから、続けた。

「少しシャイだし頼りない雰囲気だったけど、まっすぐで純粋な人でした」

 梨々香が僕のことについて、話をしてくれている。すると、彼女と過ごしたときが、頭の中にあふれ出した。

 出会いは、僕が一人で段ボールに色を塗っているときだった。まさか梨々香が手伝ってくれるとは思っていなかったので、ただただ驚いたことを覚えている。初対面なのに、遠慮のない彼女は、僕がつくる透明な壁を平気な顔してすり抜けてきて、僕たちはすぐに打ち解けた。

 それから、二人とも素人ながらに、演劇の背景画を七枚も作り上げた。それ以外も、水族館へ行って、お祭りのたこ焼きを食べて、梨々香の故郷に行って。たった3カ月なのに、たくさんの思い出が詰まっている。たくさん話をしたし、たくさん笑いあった。僕たちは、お互いについて、たくさんのことを知った。

 そして、僕は梨々香に恋をした。初めての恋だった。

 ずっと梨々香の顔を見ていたい。もっと彼女のことを知りたい。話がしたい。隣にいたい。手をつなぎたい。

 こんな感情は初めてだった。神様から借りた能力によって気づいた気持ちだけど、これは紛れもなく恋だった。

「では、質問コーナーです! はい、じゃあ、一番前の女性のかた」

「美の秘訣はなんですか?」

「そういうの、あまり意識したことないけど。よく笑うことですかね」

「はい、ありがとうございます。では、向こうのあたまつんつんのかた」

「付き合ってください!」

「あなたには、私なんかよりもっといい、ふさわしい人がいるはずです」

「残念でした! はい、次は、じゃあ、そのちょうど真ん中にいる、特に特徴がないけど、男性のかた!」

 マイクを持った係の人が、僕の近くまで来ていた。

「あの、マイク……」

 そのときになってはじめて、僕は、自分が手を挙げていることに気づいた。

 こんな大勢の前で、言葉を出すのは恥ずかしい。でも、ひとつだけ梨々香に聞きたいことがあった。それは、今を逃すと二度と聞くことができない気がした。

 マイクを受け取ると、既にスイッチがついていた。

 僕は、ごくりと唾を飲み込んで、ステージを見る。

 梨々香の顔がはっきりと見えた。彼女は、マイクを持ったのが僕だとわかると、丸い目をぱちくりさせていた。

 僕は、すうっと息を吸う。

「あなたの頭の上には、誰の名前が浮かんでいますか?」

 会場内が、静まり返る。

 梨々香は、マイクを口もとにあてながら、きょとんとしていた。

 まわりがざわつき始めた。どうしたんだろう。どういう意味? そんな声も聞こえてくる。

 やがて梨々香は、口を開いた。戸惑った顔をしている。

「私の頭の上の文字。消えてるんですか?」

 能力がなくなったことは、梨々香には話していなかった。彼女が学校に来ないせいで、ほとんど顔すら合わせていない。

「見えなくなりました。もう、誰の頭上にも、文字がありません」

 大勢の前だが、僕は落ち着いて言葉を口にすることができた。

 僕には、もう梨々香しか見えていない。まわりのざわつきも、耳に入らなくなっていた。

「そう……ですか」

「でも、一人だけ。頭の上の文字がわかる人がいます」

「誰、ですか?」

「僕です」

「……あなた?」

「僕の頭の上には――」

 僕は、一度、マイクのスイッチを切って、深呼吸した。

 そして、またスイッチを入れる。

「僕の頭の上には、桐谷梨々香という文字が浮かんでいます」

 梨々香は、ずっと僕のことを見ている。僕も彼女から目を離さない。たくさんの人が周りにいるはずなのに、まるでこの体育館には二人しかいないみたいだ。

「あなたの頭の上には、どんな文字が浮かんでいますか?」

 沈黙。

 梨々香は口をつぐんでいる。それでも、彼女の息遣いや心臓の音が、聞こえていないのに、手に取るようにわかる気がした。

「わからないの?」

「うん。だから知りたい」

「私の本当の気持ちとは、違うことを言うかもよ?」

「それでも、僕はあなたの言葉を信じる」

 僕と梨々香の呼吸がそろっているようで、心地よかった。言葉のない時間が続いても、僕たちは心で繋がっている。

 それから、どれだけの時間が経っただろうか。長いようにも感じたし、一瞬だと言われればそうだと思う。

 梨々香はゆっくりと口を開いた。

「私の頭の上には――」

 梨々香は、マイクを口から離すと、床に置いた。スイッチを切っていなかったのか、ゴツンという音が全体に響く。

 梨々香は、一歩、前に歩み出る。そして、にこっとすると、大きく息を吸った。

「私の頭の上には、福本真人って文字が浮かんでいます!」

 良く通った声が、全体に響いた。

 しーんと静まりかえった体育館。梨々香の声の余韻だけが残る。

 梨々香も、僕のことが好き。

 僕たちは両想い。

 それがこの上なく嬉しいはずなのに、僕は、梨々香のマイクを使わなかった演出を思い出しては、くすりと笑ってしまった。

 照れ隠しだろうか。

 実感がなかったのかもしれない。

 梨々香も笑っていた。そこには、いつもの親しみやすい彼女の姿があった。

「ありがとうございます」

 マイクを係の人に返した。

 係の女子生徒は、不思議そうな目を僕に向けていた。それと同時に、途端に、まわりがざわつき始めた。いろんな声が重なって、僕の耳に入ってくる。みんな、僕と梨々香のやりとりに、戸惑っているのだろう。

 梨々香は僕に向かって、してやったり、という風に舌を出している。僕もわずかに舌を出して、それに応えた。

 こんなやりとりをずっと続けていきたい。舌を出す梨々香の愛らしい表情を、これからもずっと大事にしたい。

 でも、なんだか、彼女とずっと一緒にいることは叶わないような気がした。

 梨々香は、ずっとずっと遠くに行ってしまう。それを僕には、どうすることもできない。

 もうステージ上に、梨々香の姿はなかった。

 こうやって、彼女は僕の前からいなくなる。僕にあった能力と同じように、ある日突然、前触れなく消えてしまう。

 梨々香のいない世界。

 僕はそれを受け入れないといけない。

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