第12話クラスのみんなを幸せにしよう大作戦③

「え、覚えてないの?」

 梨々香は、ぎょっとした目を僕に向けてくる。

 水島くんと初めて話をしたときの放課後、僕たちは国語科準備室で、背景画を描きながら情報交換をしていた。

 そこで、僕が水島くんの好きなアーティストを覚えていないことを伝えると、梨々香から、ありえないっという顔をされていた。

「だって、聞いたこともない名前だったよ」

「真人くん、知ってる海外アーティストいる?」

「いないけど」

 梨々香にため息をつかれた。

「じゃあ、真人くんが知らないだけで、有名なアーティストだったかもしれないじゃん」

「あ」

 悔しいけど、その通りだ。メモくらい、しておくべきだった。

 その後も、梨々香からひと言ふた言、文句を言われた。

 瑞希と話をしなくなったら、今度は梨々香から説教を受ける。

 僕は、女の人から小言を言われ続ける運命にあるのかもしれない。

「そういえば、あの二人、どうやって水島くんから引き離したの?」

 僕は、梨々香と一緒に水島くんから離れて行った二人のことが少し気になっていた。

「ちょっと、話があるって言ったら、簡単についてきたけど」

「それだけ?」

「うん」

 単純すぎて、ちょっと期待外れだった。でも、確かに、梨々香に話があるなんて言われたら、理由を聞かずについていってしまうかもしれない。

「あ、でも、そこで有力な情報をゲットしたよ」

「有力?」

 梨々香は、水島くんと仲の良い二人から、彼についての情報を聞き出していたようだ。

「水島くん。水族館に一人で行くほど、魚が好きなんだって」

「それが、有力な情報?」

 水島くんは水族館が好き。それのどこが、川村さんと引き合わせるのに役立つのかわからなかった。

 僕が首をかしげていると、やっぱり鈍いなあ、と笑われた。

「瞳ちゃんも水族館が好きだったら、デートしやすいでしょ?」

「そういうことか」

 目的は、二人の共通点を探すことだった。だから、それは好きなアーティストに限らなくてもよかった。

 梨々香は、いろんな角度から、その情報を得ようとしていたのだ。彼女の熱意に、頭が上がらない。

「じゃあ、次は川村さんに話を聞こうか」

 そう言うと、梨々香は僕に親指を立てた。

「それなら、任せて。私、ちょっと仲良くなったから」

「頼もしいね」

 梨々香にかかったら、クラスメートから私的な情報を得ることくらい朝飯前なのかもしれない。

「でも、まだまだなんだよなあ」

 自信に溢れた様子だった梨々香だが、急にしぼんだような声を出した。

「どうしたの?」

「瞳ちゃん、ちょっと警戒心が強くてね。休み時間に私が話しかけても、あまり自分のこと話してくれないの」

 僕の透明な壁すらものともしない梨々香だが、川村さんは少し手ごわいようだ。でも、僕も大道具係でなかったら、梨々香にここまで心を開けていなかったかもしれない。川村さんの自分のことを話さない気持ちもわかる。

「なんか、うまくいきそうにないね」

「また、そうやってネガティブなこと言う。これから、ネガティブワード禁止ね」

 僕の癖ともいえるネガティブを封印されてしまった。

「どうしよっか」

「私に考えがあるの」

 梨々香はそう言って、ニヤリとした顔を向けてきた。

「考え?」

「明日の放課後。お出かけするよ」

 また、もったいぶられた。

 梨々香は、自分の考えを簡単には明かしてくれない。

 明日の放課後は作業ができないということで、それからの僕たちは、普段の二倍速で作業にあたった。


 僕と梨々香は、学校を出ると、最寄りの駅から二十分電車に揺られ、とある駅で降りた。そこには、川村さんがアルバイトとして働いているアパレルショップがあるらしかった。

 改札を出た先には、おしゃれなカフェや洋服屋が並んでいて、そこを歩く人たちも洒落っ気たっぷりであか抜けていた。

 そこに、制服姿の僕と梨々香が足を踏み入れる。

 ちらりと梨々香を見ると、彼女は街に溶け込んでいた。その派手な街並みの一部であるかのようだ。

 ふと、自分がここにいることは、とんだ場違いなのではないかと思いはじめた。僕のような人はこんなところに来てはいけない。そう考え始めると、すれ違う人たちから睨まれたり、あざ笑われているように感じ始め、居心地が悪くなってしまった。

「僕たちがアルバイト先に行くこと、川村さんに言ってあるの?」

「言ってないよ」

 僕が聞くと、梨々香は平然とそう言ってのけた。

「じゃあ、僕たちが急に顔を出したら、びっくりするじゃん」

「だって、行くって言ったら、絶対ダメって言われそうだったんだもん」

 梨々香のその直感は正しい。川村さんであったら、おそらくそう言うだろう。でも、だからって、無断で行ったら余計迷惑なのではないか。

 僕は、いろんな意味で不安に襲われた。

 川村さんの勤務するアパレルショップは、一つ路地を入ったところにある建物の二階にあった。

 ちょっと汚れたアパートのような建物の脇に、階段がむき出しになっていて、そこを上っていくと、入り口があった。僕一人だったら、絶対に入れないような雰囲気が、その入り口から溢れんばかりに漏れだしている。

 僕は、梨々香のうしろにぴったりとついて、入り口をくぐった。

 中に入ると、一定のリズムを刻んだ外国の音楽が胸に響いてきた。外からの光はなく、店内を照らす光はオレンジ色に統一されている。壁一面に敷き詰められた洋服は、ほとんどが民族衣装のような柄をしていた。

「わあ、こういうお店、初めて!」

 梨々香が、あちこちに目をやりながら、はしゃいでいた。

確かに、ここにある服は、梨々香があまり着なさそうな服だ。

 そう思った後で、僕は梨々香の部屋着しか見たことがないことに気づいた。だから、彼女の私服はわからない。彼女の見た目から、勝手に、さらっとシンプルで清楚な私服を想像していた。

「いらっしゃいませ」

 棚の上に置いてあった怪しげな指輪や首飾りを物色していると、頭に輪っかをつけた女の人が僕たちを迎えてくれた。

「あの、川村さんいますか?」

 すかさず、梨々香が尋ねる。

 すると、その後ろから、川村さんが顔を見せた。

「あ、瞳ちゃん」

 案の定、僕たちを見て、川村さんはびっくりした顔をした。

「どうしたの?」

「会いに来ちゃった」

 梨々香の無邪気な様子に、川村さんは苦笑いをしてちらりと僕に目を向けた。

 僕は、川村さんと話をしたことがない。だから、控えめに会釈をした。すると、彼女の方も軽く頭を下げてくれた。

「洋服、見に来たの?」

「瞳ちゃんに会いに来たの」

 川村さんは、あと二時間で勤務を終えるようだった。

 僕たちは、街に出て時間を過ごすことにした。

 僕は梨々香に引っ張られるまま、アイスクリームを食べ、雑貨屋を物色し、劇場で演劇のチラシに目を通した。

「なんか、デートっぽいね」

 梨々香のその言葉に、僕はうまく答えることができなかった。

 約束の時間になると、待ち合わせのカフェに入り、向かい合って座った。少しして川村さんがやってきた。

「ごめん、ちょっとお客さんの相手してて」

 川村さんは、申し訳なさそうに梨々香の横に座った。

「突然押しかけたんだし、大丈夫だよ」

 僕はアイスコーヒー、梨々香はアイスカフェモカ、そして川村さんは夏なのにホットココアを注文した。

「ホットでいいの?」

 と僕が聞くと、この場所がちょっと寒いからと言っていた。

「お仕事、ご苦労様」

「ありがとう。でも、好きでやってることだから。すごく楽しいよ」

 川村さんは、クラス演劇では、衣装担当になっている。

 他愛のない会話をしていると、飲み物が届いた。

「それで。二人は、どうして私のところに来たの?」

 川村さんはホットココアをすすると、そう聞いてきた。

「瞳ちゃんに聞きたいことがあって」

「聞きたいこと?」

「学校じゃ聞きづらいこと」

 梨々香は、そう言うとにいっと歯を見せて笑みを浮かべた。

 僕は、黙って、事の運びを梨々香に任せる。

「なにそれ?」

 川村さんは、笑顔を見せながらも、その顔からは警戒心が滲みでいている。

「水島くんのこと好きでしょ?」

 梨々香がそうストレートに切り込むと、川村さんは、口をつけていたココアが変なところに入ったみたいで、しばらくの間せき込んだ。

 僕は、ごくりと唾を飲み込む。

「桐谷さん、変なこと言わないでよ」

「瞳ちゃんが水島くんのことが好きなのは、変なことなの?」

 梨々香がまっすぐに川村さんを見つめると、彼女は逃げるように視線を外し、ホットココアに口をつけた。

「誰にも言ってないのに。なんでわかるの?」

 川村さんは、案外あっさりそれを認めた。

「ばればれだよ。だって、瞳ちゃん、しょっちゅう水島くんのことチラ見してるでしょ」

「嫌だ」

 川村さん顔はみるみるうちに赤くなり、今度はココアではなく、冷たい水を手に取った。

 恥ずかしそうに縮こまる川村さんの頭上の文字が、ふわりと揺れた。

 改めて、これはすごい能力だ。

「それでね。私たち、そのお手伝いをしようと思って」

「手伝いって?」

「瞳ちゃんと水島くんがお付き合いできるよう、お手伝いするってこと」

 梨々香の言葉に、川村さんは目をひん剥いた。

「余計なことはしないで!」

 普段おとなしい川村さんから出たとは思えないほどの声が、その場に響いた。

「ごめん。大きい声出しちゃった」

「いや。私こそごめんね」

 しばらく、沈黙になってしまった。

 それに耐えかねた僕が、口を開く。

「川村さんと水島くんの交際の手伝いは、余計なことなの?」

 川村さんは、小さく頷いた。

「別に望んでないから。私は、水島くんが同じクラスにいるだけで幸せなの」

 梨々香が、幸せ、という言葉にピクリと動いたように感じた。

「それに、私はつまらない人だから、付き合ったら嫌われちゃうだろうし。そもそも、水島くんに私の気持ちがばれたら、それだけで避けられちゃう」

「そう」

 それ以上、言葉が出なかった。

 川村さんの気持ちは、よくわかる気がした。

 自分が他人になにか働きかけをして、結果自分が傷つくことになるのが怖いのだ。それなら、今のままでも構わない。現状でも、ささやかな幸せがある。

「そんなことない。瞳ちゃんが好きでいてくれたら、水島くんもうれしいはず」

 梨々香が言う。 

 水島くんも川村さんが好きなのだから、梨々香の言うことは正しいだろう。でも、川村さんは水島くんの気持ちを知らない。

「水島くんの話はもうやめて」

 川村さんが切実そうに言うので、僕と梨々香は、そろって謝ることしかできなかった。

 しばらく重い空気が漂う。それに押し付けられたように、僕たちは黙っていた。

「水族館、好き?」

 梨々香が、ちらりと隣にいる川村さんを見た。

「水族館?」

「私たちと、行かない?」

 川村さんに拒否されたばかりなのに、梨々香はなおもこの計画をあきらめないでいる。僕は、それに漠然とした危機感を感じていた。

 僕の能力のせいで、瑞希と同じように、川村さんも傷つけてしまうかもしれない。

「なんで、私なんかと」

 川村さんは、こわばった姿勢で構えていた。

「こうやって、せっかく仲良くなれたんだから。私たちと遊びに行こうよ」

 強引に誘う梨々香を、僕は止めようとした。仲良くなったと彼女は言ったが、この雰囲気だと僕たちと川村さんはまだ親しい仲にはなれていない。だから、これ以上川村さんの内側に踏み込むのは危険だと思った。川村さんの大事にしていた居場所を、壊してしまうかもしれない。

 でも、川村さんの反応は予想のななめ上をいった。彼女はバッグについたアザラシのキーホルダーをとると、僕たちに見せて言った。

「私が水族館好きなことも知ってたの?」

 恥ずかしそうにしている川村さんに、僕と梨々香は顔を見合わせた。僕たちの持っている川村さんの情報の中に、水族館が好きというものはなかった。

 不意にも、川村さんと水島くんの共通点を見つけてしまった。ふたりとも、水族館が好きだったのだ。

「ばればれだったよ」

 梨々香が、川村さんに向かって親指を立てた。

「私が、水族館のクリアファイルも使ってるから?」

「そうそう」

 もちろん、僕も梨々香もそんなクリアファイルには気づいていない。

 でも、結果オーライ。

 僕たち三人は笑いあえて、張り詰めた空気が和やかになった。

 その帰り。

 川村さんは、学校から少し離れたところに住んでいるので、途中で別れることになった。

「川村さん。最後は笑ってくれてよかったね」

「ほんと。でも、次は水島くんを水族館に誘わないと」

 僕は、ぎょっとした。

「水族館。三人で行くんじゃないの?」

「それじゃ、意味ないじゃん」

「でも、川村さんは余計なことするなって」

「本人はそう言ってたけど、付き合えたらもっと幸せになれるから」

「川村さんはすでに幸せだって言ってたよ」

「水島くんに近づけたら、もっと幸せになれるでしょ?」

 本当にそうなのだろうか。

 僕たちのせいで、川村さんのささやかな幸せを壊すことにはならないか。

 でも、二人は両想い。だから、この計画が失敗することはまずありえないだろう。

「ふたりとも水族館が好きなんて、あの二人、絶対いいカップルになりそうだね」

 梨々香も、こう言っている。

 僕たちが、二人を幸せにできるんだ。

 電車の中にいる人の頭上に、一通り目をやった。みんな、それぞれの想いを抱えている。

 僕は、ぎゅっと拳を握った。


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