第5話不思議な能力とモデル美少女⑤
徒歩のおかげで時間の制約がなくなり、僕は予定していた量の段ボールを集めることができた。
去年と同様にしていくつかのスーパーマーケットをまわると、三時間ほどで背景画七枚分の大きさをつくるのには十分なほどの段ボールが集まった。我ながら、なかなかの仕事の速さだと思った。その大量の段ボールは、現在、美術部が活動する第二美術室に置かせてもらっている。
無事、黒のペンキとそれを塗る道具を借りることができた僕は、作業場所を体育館のある建物の裏に決めた。雑草が整備されていないその場所は、誰の目にも触れず、また誰もそこを通らない。それが、作業場所の決め手となった。
インクをハケにつけて、それを段ボールの表面に滑らせる。
段ボールを単色に塗るだけの作業は、思いのほか退屈だった。待っているのは、すべて塗り終わったときの達成感のみ。ただ、クラス演劇は本当に完成するのかわからない。それは、僕のモチベーション維持を邪魔してくる。
本日、横山さんは学校を欠席した。だから、誰も彼女に完成台本について話を聞くことができなかった。
ただ、ぼんやりと段ボールを黒に塗っていると、余計なことがふと頭に浮かんでくる。
例えば、クラスにいる、あるカップルについて。その男女は、一見してとても仲がいい。でも、その男子の方の頭上には、付き合っている人とは別の女の人の名前が浮かんでいた。つまり、好きではない人と付き合っていることになる。それでも、教室では楽しそうに話をしているのだ。
また、三角関係も多い。それに、別れたはずなのに未練があるらしく、元彼氏や彼女の名前を浮かべている人もいる。
そして、横山さんは、妻子持ちの先生のことが好きだ。
そのすべてに、僕は関係ない。それなのに、そういった情報を知ってしまう。
なんで、僕にこんな能力が芽生えたのだろうか。考えてみるが、まったく心当たりがない。
はあ。
思わず、ため息が漏れてしまった。
それでも、積まれた段ボールは着々と黒に染められていく。
空がだんだんと色を変えていく。グラウンドからの運動部の声も、ほとんど聞こえなくなってきた。
そろそろ帰ろうか。そう思ったとき、後ろから勢いの良い声が飛んできた。
「ごめんなさい!」
女の人の声だった。人の気配のない体育館の裏だから、その声は僕に向けられたものだ。
なんだろう、と声の方へ振り向くと、はっとした。
すらりとした長身に、少しウェーブのかかった髪の毛。綺麗にそろった前髪の下には、すっと伸びた鼻と、アーモンド形の瞳が輝かしい存在感を放っている。
綺麗だ。
僕は、そこにいた女子生徒を見て、正直にそう思った。
「今日のお仕事、もう終わり?」
僕は、言葉が出なかった。その美少女に圧倒されていた。
「もしかして、怒ってる」
女子生徒は、不安そうに目じりを下げた。
そんな表情にも、僕は見惚れてしまう。
「何とか言ってよ」
「あ」
「あ?」
僕は固まっていた。その女子生徒の美貌を前に、頭がうまく働かなくなっていた。
「福本……真人くん。だよね?」
「うん」
「私、桐谷梨々香」
キリタニリリカ。
聞いたことのある名前だな、と思った後で、それが僕と同じくして大道具係に連ねられた名前であることを思い出した。
モデルをしている転校生、桐谷梨々香。
「初めまして……だよね」
「うん。……初めまして」
「やっぱり、怒ってる?」
なぜ目の前の美少女は、僕が怒っているかということをしきりに心配しているのか。
「ごめんなさい。私も大道具係なのに、今まで全然仕事できなくて。授業には明日から参加するんだけど、今日、この学校に初めて来てね。だから、ごめんなさい!」
僕は、桐谷さんがどうしてここまで申し訳なく思っているのか理解できなかった。今日、ここに来たのなら、今まで大道具の仕事をできないでいたのは、当たり前のことだ。それに、彼女は、ミスコンにモデル活動で、クラス演劇には参加しないと聞いている。
「いいんだよ、別に。桐谷さんにはミスコンとか、モデルの仕事があるみたいだし。これは僕ひとりでもできるから」
僕は丁寧に彼女の申し訳ないと思う気持ちを和らげた。
はずだった。
「え。それって、私はクラスの仲間はずれってこと?」
桐谷さんは表情を歪めて、信じられないっ、といった顔をする。
仲間外れ。僕はそんなこと言っていない。
「いや、大道具の仕事は僕一人でできるから、桐谷さんはモデルとか、ミスコンとかに集中してくれれば大丈夫だから」
「ひどい!」
あれれ?
おかしい。なぜ、僕が怒られるのか。
「私は用なしってこと? 途中参加の桐谷なんて、文化祭に参加する権利がない。だから、クラスの出し物の仕事もするな。関わらないでくれ、ってこと?」
桐谷さんは目に涙を浮かべている。
なんでだ。
僕は完全に戸惑ってしまった。
桐谷さんを傷つけるつもりはなかった。それどころか、大道具係なんてせず華やかなことだけできるよう計らったつもりだった。そうであるのに、僕は桐谷さんを傷つけている。
何か言わなくては。
そう思っても口をパクパクさせるだけで、僕は何もできなかった。
そんなことをしていたら、桐谷さんの大きな瞳から、一粒の涙が流れてしまった。
僕は女の子を泣かせてしまった。
「お願い。私も参加させて」
桐谷さんは、一歩、僕に近づく。
近い。
僕と桐谷さんとの距離は一メートルと離れていなかった。
「それは、全然かまわないんだけど」
「えっ」
桐谷さんの表情に、明るみが差す。
「本当?」
「うん」
「じゃあ、大道具係として文化祭に参加してもいい?」
「……桐谷さんがよければ」
「なにそれ。いいに決まってるじゃん!」
桐谷さんは、手を叩いて、大道具係の仕事ができることを喜んでいた。僕は、その美少女の姿から目を離せないでいた。
涼しい風が吹いた。目の前で、桐谷さんの髪がふわりとなびく。風に乗った優しげないい匂いが香ってきた。
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