第28話目に映る事実と気持ち⑤

 僕は、水島くんの運転する自転車の荷台にまたがって、彼の背中を見つめていた。風のせいで揺れる髪の毛が頬で擦れ、少しくすぐったい。

 学校を出発し、団地を抜け、公園を横切り、橋を一つ渡ったところにある住宅地に、横山さんの自宅はあった。

 青い屋根の一戸建て。できて間もないのだろうか、清潔感のある建物だった。

 水島くんは、そこの前に自転車を停めた。

「久しぶりだな、ここ」

 彼は昔を懐かしむように、建物を見上げた。

「昔はよく来てたの?」

「小学生のときね。よく、さちの部屋で遊んだな。今思えば、あいつ、俺の隣でずっと本読んでただけで、二人でいる意味なんてなかったんだけど。それなのに、なぜかよくここに来てたんだよね」

 それを聞いて、僕と瑞希の関係に似ていると思った。幼馴染。それは、どこか特別で奇妙な関係だ。

 水島くんは、スマートホンを取り出した。舌打ちが聞こえてきた。

「だめだ。あいつ、俺のメッセージ返す気ないらしい」

 彼は前もって、横山さんの自宅を訪れることを連絡していたみたいだ。でも、そのメッセージを彼女は無視しているようだ。

 水島くんは、しょうがない、とつぶやいてからインターホンを押した。

 返事はない。

 もう一度押す。またも、反応が無かった。

「横山さん。本当に家にいるの」

「そのはず」

 水島くんは、三歩後ろに下がると、建物の二階を見上げた。

「さち!」

 突然の大声に、僕は驚いた。水島くんからこんな声が出てくるとは思えなかった。

「いるんだろ? 無視すんなよ!」

 僕は、水島くんと二階の窓を交互に見る。

「聞こえてるんだろ。さちが顔見せるまで、俺、ここにいるからな!」

 それから、何度か水島くんが声をかけると、二階の窓にかけられたカーテンから横山さんが顔をのぞかせた。

 水島くんのスマートホンが、ピロンッと鳴る。

「入っていいって」

 水島くんは、ぼくにスマートホンの画面を見せる。そこには、横山さんからの返事が表示されていた。

 僕は水島くんの後ろに続いて、横山さんの部屋に入った。

 横山さんの部屋は、同じ女の子である瑞希の部屋とは全く違い、とても落ち着いていた。白い壁紙に、ダークブラウンのカーテン。家具も学習机とベッドくらいで必要最低限のものしかなかった。それでも、大きな本棚に敷き詰められた小説が横山さんの個性を象徴しているようだった。

「さちの部屋に来たの、何年ぶりだろう」

 横山さんは、ベッドの上で小説を読んでいた。彼女はブラウスの上からカーディガンを羽織っていて、部屋にいてもきちっとした格好をしていた。おそらく、水島くんが事前に僕も一緒に来ることを伝えていたらしく、彼女は僕がいることに対して、特に不審に思っていないようだった。

「元気だった?」

 水島くんの言葉に横山さんは反応しなかった。彼女は立ち上がると、納戸から小さな折り畳み式のテーブルを出して、それを水島くんに渡した。

「うわ、このテーブルまだあったんだ」

 水島くんはそう言って、テーブルを組み立て始めた。昔馴染みなもののようだ。

「お茶入れてくるから、待ってて」

 横山さんは、一度、部屋から出て行った。

「怒ってるのかな」

 僕が水島くんに尋ねた。横山さんは、それほど口数が少なく、僕は彼女の機嫌がかなり悪いのではないかと心配していた。

 でも、水島くんは、笑って首を横に振った。

「あれは、喜んでるね」

「なんで?」

「そもそも、怒ってたら部屋に入れてくれないから。俺たちがここにいるってことは、あいつは俺たちを受け入れている。それに、お茶も出してくれるらしいから、歓迎してくれてるよ。なんだかんだ言って、あいつも人に構ってほしかったんだろうな」

 水島くんは、テーブルを組み立て終えると、それをカーペットの上に置いた。

 横山さんが戻って来ると、麦茶の入ったグラスを二つ、テーブルの上に置いてくれた。

 横山さんが、学習机の椅子に腰を下ろすと、僕と水島くんは、カーペットの上に座った。

「学校、来ないのか」

 水島くんはそう聞くと、グラスに口をつけた。

 横山さんは、それに答えない。

「勉強、置いてかれるぞ」

「勉強は、家でもできるから」

 それを聞いて水島くんは、ふっと笑みを漏らした。

「昔から頭はよかったからな」

「あきちゃんも別に悪くはないでしょ」

「あきちゃんって呼ぶのはやめろって言ってるだろ」

「慣れてるんだから、しょうがないじゃん」

 そんなやり取りが、僕を挟んで飛びかう。なんだか、二人とも学校での印象と少し違っているような気がした。適度に気が抜けていて、親しみすら感じてしまう。

「本。何読んでたの?」

 水島くんが、ベッドに投げ出された小説にちらっと目をやる。

「つまらない本」

「それを前提で聞いてるんだよ」

「アンナカレーニナ」

 水島くんは、ふっと鼻で笑った。

「確かにつまらなそうだね」

 それから、しばらく会話が途切れてしまった。

 この場で僕が口を開くことはできない。だから、二人のどちらかが話し出すのをじっと待った。

 カランッ、と溶けた氷が音を奏でる。

 それを合図に、水島くんが口を開いた。

「クラス演劇、だめになりそうなんだ」

 横山さんは、学習机の上に置かれたグラスを取ると、それに口をつけた。返すべき言葉を探しているような表情をしている。

「台本、書いてくれないか」

 横山さんは、グラスを机の上に置いた。

「私が書けないの、知ってるくせに」

「書けなかったのは知ってる」

「そういうの屁理屈って言うんじゃない?」

 横山さんは、投げやりに言った。

「ここにいる福本のおかげで、さちはまた書けるようになるんだよ」

 水島くんが言った。

 それを聞いた横山さんは、僕のことをちらりと見た。彼女は、僕と目を合わせたまま、何度か瞬きをした。水島くんの言っていることの意味がわからない様子だ。

「国語科準備室で三島先生に話を聞いて――」

 僕は、事の経緯を説明しようとした。でも、途中で言葉を切ってやめることにした。流れが複雑なので的を得ない話になる恐れがあったし、何より、僕たちには添削された小説という武器がある。それがすべてを物語ってくれるはずだ。

 僕はスクールバックから、三島先生の赤ペンの入ったコピー用紙の束を取りだし、それをテーブルの上に置いた。

「行こうか」

 そう言って、僕は立ち上がった。

 今の横山さんに必要なのは、僕たちの説得ではない。彼女が一番必要としているものをここに置いていく。僕たちにできることは、それしかない。

 水島くんにもその気持ちが伝わったようで、彼も僕にならって立ち上がった。

「明日の放課後。クラスのみんなで台本について話し合うから。さちにも協力してほしい」

 水島くんは、スクールバックを肩にかけると、お茶ご馳走様と言って部屋を後にした。僕も同じようにして、彼の背中を追った。

 階段を下りているとき。

 後ろから、横山さんのすすり泣く声が聞こえてきた。

 

 行きと同じくして、僕は水島くんの自転車の後ろに乗って帰った。

 日はすっかり落ちていて、辺りは真っ暗だった。

「そう言えば、今日、弟たちは?」

 ふと水島くんが兄弟の世話で忙しかったことを思い出し、彼の背中に問いかけた。

 すると、彼から恥ずかしそうにした声が返ってきた。

「川村さんに頼んでる」

「どういうこと?」

「最近、俺がバイトのときは、川村さんに家に来てもらってるんだ」

 それを聞いた僕は、しばらく言葉を返せないでいた。

 あれほど消極的だった二人なのに、そこまで関係が進んでいるのかと、驚きを隠せなかった。思わぬ急展開に、僕の思考はついていけないでいた。

「付き合ってるの?」

 僕がそう聞くと、水島くんは大げさに否定してきた。

「違うよ。もともとは桐谷さんも一緒だったし。でも、このごろは仕事が忙しいみたいだから。最近は、川村さんひとりに弟たちをお願いしちゃってる」

 話を掘り下げて聞くと、どうやら梨々香が深く関わっているようだった。彼女が川村さんと水島ブラザーズを引き合わせ、関係をぐっと縮めたらしい。思い返せば、夏祭りのときにはすでに、川村さんは水島ブラザーズのお姉ちゃんのようだった。

 そうすると、疑問がひとつ浮かんできた。

 どうして、水島くんと川村さんは付き合わないのだろうか。 

 二人は両想いで、お互いにそれを認知している。水島くんには家庭の事情という障壁があったが、川村さんにそれを協力してもらっている今、その問題はクリアしているのではないか。

 僕は、それについて水島くんに尋ねた。それでも彼の意見は変わっていなかった。

「付き合ったら、川村さんにも兄弟たちにも迷惑をかけることになる。だから、そういう関係にはならないほうがいい」

「水島くんは付き合いたくないの?」

 僕がそう聞くと、彼は、うーんと唸った。

「どうなんだろう。そういう関係になるってことが、いまいちよくわからないのかも」

「遊びに行ったり、たくさん話したりするんじゃない?」

「それはわかってるよ」

「そういうこと、川村さんとしたくないの?」

「そりゃ、もっと仲良くなりたいよ。でも、兄弟を犠牲にしてでもそうしたいのかと思うと、なんか違うかなって」

 水島くんは、あくまでも兄弟優先であるようだった。それは素敵なことだ。しかし、そうすると、彼はいったいいつそれから解放されるのだろうか。

 そんなこと水島くん自身もわからないのだろう。だから、僕はそれについての話をやめた。

 それからの水島くんの運転する自転車は、速度がすこしゆっくりになったように感じた。

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