第27話目に映る事実と気持ち④
国語科教員室は、四階をずっと東に進んだところにあった。僕は三年生の教室に面した廊下を、駆けるように歩いた。そこは、僕が今まで一度も足を踏み入れたことのない場所だった。
教員室にたどり着くと、その前に水島くんが立っていた。
僕が「先生はいた?」と聞くと、彼はゆっくりと首を振った。
「帰っちゃったのかもしれない」
まだ、午後五時前。先生が学校を出るには早い時間だ。
しかし、それから数分待っても、三島先生は現れなかった。
「さちのこと、助けてくれる気になったの?」
水島くんが聞いてきた。
僕はこくりと頷く。
「救うべき人と、その人を救う手段があるんだから、あとは行動あるのみだよね」
「それ、俺の言葉、少しぱくってない?」
「ばれた?」
僕と水島くんは、控えめに笑った。なんだか、心が通じ合っている気がする。
「でも、その言葉も受け売りなんだけどね」
「誰からの?」
「さちから薦められた小説。題名は忘れたけど」
僕は、へえ、と相槌を打って、自分の足元を見た。階段を上る音が振動として伝わって来る。それが三島先生だと期待したが、階段を上ってきたのは彼ではなかった。
「放送かけてもらおうか」
僕が言った。
「放送?」
「三島先生にここに来てもらうように、校内放送かけようよ」
「先生を呼び出す放送なんて、聞いたことないよ」
「でも、不可能じゃないでしょ?」
水島くんにはその場で待っていてもらい、僕は放送室へ向かった。
僕は廊下を走った。だから、二階にある放送室に着いたときには、軽く息を切らしていた。
ノックをして放送室の中に入ると、そこには放送部の人たちが談笑していた。そこで、先生を呼び出すよう頼んだら、難色を示された。やはり、そういう放送は今までの例にないらしい。それでも、頼み込むと、期待通りの放送をかけてくれた。
それから急いで国語科教員室に戻る。すると、僕の到着とほとんど同時に三島先生が顔を見せた。
「どうしたんだ」
校内放送で呼び出された三島先生は、戸惑いを隠せないでいるようだった。
「先生にお願いがあります」
水島くんが一歩前に出た。
三島先生は、首をかしげていた。ほとんど接点のない生徒からお願いがあると言われ、身構えているようにも見える。
「なんだ」
「横山さちの小説を添削してやってください」
横山さんの名前を聞いて、先生は微かに鼻を鳴らした。僕たちが先生を呼び出した訳がわかったようだ。
「横山、学校にも来てないみたいだな」
「はい」
「俺が小説の添削をしたら、横山が戻って来ると?」
「そうです」
三島先生は、ふっと息を吐いた。
「あいつはスランプだ。だから、今のあいつに俺の添削なんて役に立たない」
「違うんです!」
「違う?」
「さちはスランプで書けないんじゃありません。さちは、三島先生に嫌われたと誤解していて、それで物語が書けなくなったんです」
水島くんは、三島先生に横山さんと先生とのすれ違いについて説明した。もちろん横山さんの先生に対する気持ちは伏せていたが、それでも、先生は水島くんの話を聞いて自分の勘違いをさとったようだ。
「さちにまた、物語を書いてほしいんです。ですから、お願いします」
水島くんが深々と頭を下げた。それを見て、僕も彼にならう。
三島先生は、少しの間目をつぶった。やがてそれを開くと、彼は国語科教員室の扉を開けた。そうしたまま僕たちに振り向き、視線で中に入るように促した。
失礼しますと言って、僕と水島くんは中へ入る。
先生は奥のデスクまで移動すると、そこの引き戸からコピー用紙の束を取り出した。
「どうした?」
先生は、扉の近くで縮こまっている僕たちを奥まで呼び寄せた。
「これだ」
水島くんが、先生から差し出されたコピー用紙を受け取る。僕はそれを脇から覗き見た。
そこには小説のような体裁で、文字が並んでいた。どうやら、これが横山さんの書いた小説であるようだ。
水島くんが、次々とページをめくる。
「添削。されてるじゃないですか」
水島くんの口から、声が漏れた。
彼の言う通りだった。どのページをめくっても、びっしりと赤インクでの書き込みがされている。その書き込みは、紛れもなく、先生からのアドバイスだった。
小説の添削はできないとか、小説のアドバイスは大学生になってからと言っていた三島先生だったが、既にそれをしてくれていた。
「まだ、直しの途中なんだけどな」
三島先生は、恥ずかしそうに頭を掻きながら、そう言った。
「添削してくれているのに。どうして言ってくれなかったんですか?」
僕がそう聞くと、三島先生は、へへっと笑った。
「人の書いた小説にあれこれ言える立場じゃないから、照れくさいってのもあったんだけど。後は、その小説、結構長いだろ?」
僕と水島くんは、改めてコピーの束に目を落とす。確かに、文庫本一冊くらいのボリュームはありそうだ。
「その長さだと、長編小説ってのに分類されるんだけど。俺の意見としては、高校生は長編を書くべきじゃない」
「どういうことですか?」
水島くんが聞く。
「長編小説を書くには、あり得ないほどの時間とエネルギーが必要なんだ。それに反して、高校生活は三年と限られている。その上、高校生のうちにしかできない経験ってのがかなり存在している。小説なんていつでも書けるんだから、高校生のうちは、今しかできないことをするべきなんだ。例えば、仲間と一緒に文化祭を作り上げるとか」
三島先生の言っていることはよくわかった。
高校生には、高校生にしかできないことをしてほしい。そのために小説の添削はしない。全ては、三島先生の優しさだったのだ。
水島くんも先生の言葉に納得したようで、何も言い返すことはなかった。
でもこのままでは、横山さんにもう一度、物語を書いてもらうことはできない。それは、クラス演劇の中止をも意味している。
僕たちがクラス演劇の事情を話してお願いさえすれば、先生は期待に応えてくれると思っていた。わずかにでも小説の添削をしてくれると踏んでいた。でも、目的の添削は既にされていた。
僕と水島くんは黙りこくってしまった。目的を見失って、どうしていいのかわからなくなっている。
すると、先生が口を開いた。
「それ、持って行っていいよ」
僕と水島くんは、そろって先生に向きなおった。
「これ、さちに渡していいんですか?」
「それのせいで横山が苦しんでるなら、本末転倒だろ? それに、俺の添削であいつがこの状況を乗り越えられるなら、協力したい。あいつの成長のためにも。クラス演劇を成功させたら、それは必ず、横山の今後の作家人生に役立つ経験になる」
三島先生は、あくまでも横山さんの味方であった。
僕と水島くんは、先生に大きく頭を下げてから、国語科教員室を後にした。去り際に、先生は「横山を頼む」とつぶやくように言った。彼も、本当に横山さんのことを心配しているのだ。
横山さんに台本を書いてもらう準備は整った。後は、彼女のもとへ向かうだけだ。
「さちの家、うちの近くだから」
駐輪場に向かう途中、水島くんが教えてくれた。
僕たちは、その足で、横山さんのいる自宅へと向かった。
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