第18話僕に能力がなければ③

 一組の恋愛模様を知ってから、数日が経った。

 工藤さんと清水くんとのことは、どうするべきかの結論が出ないまま、いったん凍結状態になっていた。

 僕と梨々香には、一組の様子について知る術を持っていなかった。だから、なかなか情報を手に入れることができずにいた。

 僕たちは、成す術なく、悶々と目の前の作業に当たっていた。

「完成!」

 梨々香が、絵を描いていた布を持ち上げた。

 その絵には、色とりどりな花畑が躍動感いっぱいに描かれている。

「やっと、三枚目か」

「うん。真人くんも、それ急いでね」

 僕は、森を描いている。これが出来上がれば、四枚目の完成品となる。

「緑に塗るだけなのに、どうしてそんなに遅いの?」

「うるさいな」

 確かに、僕の描く森は、ほとんどが緑色だ。でも、だからといって、ただ単色に塗ればいいというわけではない。様々なトーンを使い分けて立体感を出さないと、幼稚園児のお絵かきのようになってしまう、と緑川先輩が言っていた。

「そういえばさ。この間、駅の近くで司くんと瑞希ちゃん見たよ」

「へえ」

「真人くん。二人と仲いいんでしょ?」

 僕はこの問いに対して、自信をもって答えることができなかった。

 僕と二人の関係は、日に日に薄くなっていた。司と話す回数は明らかに減ったし、瑞希とは必要最低限の会話しかしていない。彼女が隣の席でなく、また隣に住んでいなかったら、全く言葉を交わしていないだろう。

「あの二人、すごい仲いいカップルだよね」

「うん」

 端から見たら、仲良く見える。二人ともクラス演劇の役者だから、常に一緒にいるし、学校からの帰路も、いつも二人だ。

 でも、本当に仲がいいのだろうか。

 瑞希は、司のことを好きではない。司は、ずっと一緒にいて、それに気づかないのだろうか。気づいていても、見て見ぬふりをしているのだろうか。

 また、瑞希は好きでもない司と一緒にいて楽しいのだろうか。

「ほんと、羨ましいよね」

「うん」

 そう答えたが、僕は二人が見た目通りの仲いいカップルだとは思えなかった。

 話しながら作業をしていると、ガラッと扉が開かれた。

 今まで国語科準備室を訪れる人はいなかった。だから、音がしたのと同時に、扉の方に目をやった。

「梨々香ちゃん」

 そこには、工藤さんが立っていた。

「ユキちゃん、どうしたの?」

「ちょっと、いい?」

 工藤さんは、梨々香に話があるようだ。

「ここじゃダメ?」

 梨々香がそう言うと、工藤さんが僕に目を向けてきた。

 彼女は、目に警戒の色を浮かべている。僕がここにいては、話しづらいことなのだろう。

「僕は外すよ」

 僕がここにいては邪魔だろう。そう思って、立ち上がった。

「真人くんは、ここにいて」

 梨々香が、僕の退室を制した。

「僕がいないほうがいいでしょ?」

「いや。真人くんにもいてほしい」

 梨々香はまっすぐな目を僕にそそいだ後、工藤さんに向きなおった。

「ねえ、ユキちゃん。真人くんもここにいてもいいよね?」

 工藤さんは、しばらく僕を見つめた末に、こくりと頷いた。

 いったい、どんな話がされるのだろうか。

 工藤さんは、梨々香の脇に歩み寄ると、そこに腰を下ろした。

「どうだった?」

 梨々香が聞く。

 工藤さんは、うん、と言ったきり言葉が続かなかった。

「ダメ、だったの?」

「付き合ってくれるって」

「え、ほんとに!?」

「うん」

 梨々香は、きゃっ、と声を上げた。

「よかったじゃん!」

「うん」

 工藤さんは、浮かない様子でいる。

「うれしくないの」

 梨々香がそう言うと、彼女は首をぶるぶると振った。

「実感がないの。すごい好きだったから。そんな人が、これからずっと私の隣にいてくれるってことが」

「これから、とっても幸せなことがいっぱい待ってるよ」

「そうだと、うれしいな」

 工藤さんは、照れたようにほほ笑んだ。

 二人から少し離れたところにいた僕は、話の流れが読めなかった。

 どうやら工藤さんが清水くんに告白して、それが成功したらしい。それはわかった。

 僕が理解できずにいたのは、そこまでに行きつく流れだ。

 僕と梨々香は、工藤さんに手助けできずにいたはずだった。そうであるのに、どうやって工藤さんは告白するまでの行動に出たのだろうか。

「梨々香ちゃんのおかげだね」

 工藤さんが言った。

「ユキちゃんが勇気出したからだよ」

「ううん。梨々香ちゃんがいろいろ教えてくれなければ、私、気持ち伝えられなかったと思う。だから、どれもこれも梨々香ちゃんのおかげ」

 梨々香は、へへっと笑った。

「私じゃなくて、ほとんど、ここにいる真人くんのおかげだよ。真人くんね、人の気持ちがわかっちゃうんだよ」

 工藤さんは、僕を見た。

「ありがとう」

 そう言われたけど、彼女の目は僕に届いていなかった。なぜだか、僕のことを見ないようにしているようだ。

「ユキちゃんの幸せ。少しは私にも分けてよね」

「うん。梨々香ちゃんは、気になる人いないの?」

「それがねえ。なかなか難しいよね」

「梨々香ちゃんなら、選び放題だからね。すぐ見つかるよ」

「そうならいいけど」

 そうして、工藤さんは、国語科準備室を去っていった。

「ユキちゃん、無事、清水くんと付き合えたみたい」

 改めて、梨々香が僕に言った。

 僕は、黙って、作業を続ける。

「どうしたの?」

 返事をしない僕の機嫌を察したのか、梨々香は心配そうに首をかしげた。

 それでも、僕は口を開かない。

 梨々香は、断りもなしに、僕だけが見える情報を、全部、工藤さんに話したのだ。だから、工藤さんは告白する決心をして、それが成功した。

 僕は何も知らなかった。何も知らされなかった。

 屈辱だ。そう思った。

 他人の恋愛対象が見えてしまう僕の苦悩を、軽く扱われた気がした。ただ便利なものとして利用されたようだ。

「怒ってるの?」

「別に」

「怒ってるじゃん」

「なんで、工藤さんに全部話しちゃったの?」

 僕は、持っていた筆に力が入った。

「だめだった?」

 悪気なさそうな梨々香の言葉に、筆先が床に押しつぶされた。

「どうして、僕に何も言ってくれなかったの!」

 声を荒げてしまった。でも、自分を抑えられない。

「清水くんは工藤さんのこと好きじゃないからどうしようって、話だったじゃん。だから、どうしようか二人で考えないとって。それなのに、僕の知らないところで、どうしてこうやって話が動いちゃってるの」

「でも、結果的によかったじゃん」

「良くないよ! そもそも、清水くんは、工藤さんを好きじゃない。それなのに、二人は付き合った。これって、いいことなの?」

 梨々香は言葉を詰まらせている。

 好きじゃない人と付き合うことが、幸せにつながるかどうか。やっぱり、彼女もわからないようだ。

「それにさ――」

 梨々香が黙っているので、僕の口からはどんどん良くない言葉が溢れてしまう。

「どうして、僕に人の好きな人がわかることまで、軽々しく話しちゃうの? 本当にみんなの恋愛対象がわかると知られたら、僕の立場がないじゃん。誰も、知らない人に自分の好きな人を知られたくないよね? だから、こんな能力があると知れば、みんな僕を避けるでしょ。それが、どうしてわからないの?」

「……ごめん」

 そんな梨々香の力ない謝罪を聞いても、僕の怒りは収まりそうになかった。

 これ以上梨々香と一緒にいたら、僕は学校にいられなくなる。彼女が、僕の奇妙な能力についてべらべらしゃべって回る。みんな気持ち悪いと言って、僕を避ける。そんな気がしてならなかった。

 僕は筆を置くと、バッグを背負って国語科準備室を出て行った。

 教室の扉を閉めるとき、大きな音がでるように、わざと力を込めた。

 足早に、廊下を歩く。

 こんなときでも、梨々香との楽しい思い出が頭によぎった。彼女のおかげで、学校に来ることにわくわくしていたことはわかっている。

 こんなに怒りを露にすることはなかった。そんな後悔が、すぐに襲ってくる。

 怒りに任せて梨々香を責めてしまった自分自身が、このとき一番憎かった。

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