第17話僕に能力がなければ②

「私、もうすぐ死ぬの」

 窓際に座っていた女子生徒が、外の空を眺めながらそう言う。

「冗談だろ?」

 教壇の上に座っていた男子生徒が、立ち上がった。

「ちょっと、アキト。なんで、そんな冷静でいられるの?」

「知ってたから」

「知ってた?」

 教室の真ん中あたりにいる、男女が言い合った。

「私の寿命。長くてあと半年だって」

「まじかよ」

 教壇の前に立つ男子生徒が呆然とする。

 しばらく、緊迫した空気が続く。その沈黙は、やや長い。

「次のセリフ、雪子だよ」

「うそ!」

「カット!」

 カメラの脇に立つ男子生徒の合図で、みんなの表情がほころんだ。

 二年一組の教室。

 そこでは、ちょうど自主製作映画の撮影が行われていた。

 僕たちは、それを教室の外から眺めていた。

「映画の撮影も楽しそう!」

 僕の隣で見ていた梨々香が声を上げた。

 確かに、NGを出して笑いあっている撮影風景を見ると、楽しそうだ。教室にこもって絵を描き続ける大道具とは、華やかさがまるで違う。

 一組の教室には、既に役者がそろっていた。

 梨々香が相談を受けた工藤さんに、その恋愛対象である清水くん。そして、噂のライバル遠坂さんもいる。ちなみに、窓際に座る女子生徒が遠坂さん。真ん中にいる男女が工藤さんと清水くん。そして、教壇に座っていたのが石川竜星いしかわりゅうせいくんというそうだ。すべて、梨々香が教えてくれた。

 その四人は、さすが主要キャストだけあって、みんな華やかなルックスをしていた。工藤さんは、ミスコンに出るだけあって小柄でかわいらしい姿をしているし、遠坂さんは、すらりとした長身に長い髪を下ろしていて、大人びて見える。男性陣も、バンドマン風に前髪を目元まで伸ばしている清水くんに、筋肉質で笑顔がまぶしい石川くんと、二人とも、僕とは大違いだ。

「ねえ、どう?」

 梨々香が声を落として聞いてきた。

 みんなの恋愛対象についてだ。

 僕は、教室の中にいる人たちの頭上に、目を向けた。

 工藤さんは、清水くんのことが好き。それに関しては間違えがないようで、彼女の頭上には『清水潤しみずじゅん』という文字が浮かんでいる。

 だから、清水くんの頭上に『工藤雪子』とあれば楽だった。二人は両想い。これから楽しいことがたくさん待っている。

 でも、現実は違っていた。違っているし、かなり残酷な相関関係がそこにはあった。

「清水くんは、遠坂櫻子とおさかさくらこさんのことが好き」

 僕は、目の前の恋愛関係を、ありのまま梨々香に伝えた。

 梨々香に相談をしてきた工藤さんの好きな人。その人である清水くんの頭上には、ライバルかもしれなかった遠藤さんの名前があった。つまり、工藤さんの不安は的中していた。

「うそ。てことは、ユキちゃんの心配してた通りじゃん」

「でも、遠坂さんは、清水くんのことが好きではない」

 恋のライバル遠坂さんも清水くんを好きでいたら、この話は終わっていた。遠坂さんと清水くんが両想いで、工藤さんの片思いは報われない。よくある三角関係だ。

「じゃあ、遠坂さんは誰か他の人のことが好きなの?」

「石川竜星」

 教壇に座る男子生徒だ。遠藤さんの頭上には、その人の文字が浮かんでいた。

 つまり、こういうことだ。

 工藤さんは、清水くんが好き。清水くんは、遠坂さんが好き。遠坂さんは、石川くんが好き。この時点では、誰しもが片思いをしていると思われた。

しかし――。

「石川くんは、誰かのことが好きなの?」

「遠坂さん」

 梨々香は、少しあってから口を開いた。

「石川くんと遠坂さんは両想いってこと」

「うん」

 一組の教室の中では、みんなが楽しそうに映画の撮影をしていた。そこにいる誰もが目を細めて笑っている。

 しかし、それぞれが抱えている想いは、あまりにも微妙に混じり合い、またすれ違っている。

 両想いがあって、三角関係があって、片思いがある。

みんなはそれぞれお互いの気持ちについて知っているのだろうか。それとも、知らないのか。もし、それらの感情が表立ったら、目の前のみんなの笑顔は消えてしまうのだろうか。

「じゃあ、結果的に、清水くんも片思いってこと?」

「そうなるね」

 遠坂さんと石川くんが両想いとあれば、清水くんは遠坂さんをあきらめざるを得ないだろう。そこに逆転のチャンスはないように思える。

 でも、そうなると、工藤さんの恋心はどこへ向かって、どこに行きつくのだろうか。恋に破れた清水くんと同じように、諦めるしかないのか。

 国語科準備室に戻った僕と梨々香は、しばらく黙って作業にあたっていた。

 工藤さんの恋愛について話し合うことを、なんとなく二人ともためらっていた。それほど、工藤さんを含めた四人の恋愛模様は、難しい状況だった。

 やがて梨々香が口を開いた。

「どうしよっか」

「工藤さんのこと?」

「うん。清水くんは、遠坂さんと石川くんが両想いだって知ってるのかな」

「さあ」

 他クラスの恋愛についてなんて、何も知らない。だから、そんなこと、僕が把握しているはずがなかった。

「もしかしたら、石川くんと遠坂さん、もう付き合ってるかもね」

 それは、ありえる。でも――。

「もしそうなら、工藤さんはそれを知らなかったってことになるよね」

 工藤さんは、遠坂さんのことをライバルだと思っている。清水くんが遠坂さんに取られるのではないかと、心配していた。ということは、遠坂さんが石川くんのことが好きだということを、知らないはずだ。知っていれば、そんな心配はしない。

「遠坂さんと石川くんが、最近付き合いだしたなら知らないはずだよ。ほら、文化祭マジックってあるじゃん? 文化祭の準備で二人の距離が急接近して、カップルになっちゃうってやつ。映画の撮影始まったばかりみたいだし。もしかしたら、それかもしれない」

 文化祭マジック。

 そういえば、瑞希も前にそんなことを言っていた。

「じゃあ、工藤さんが二人の交際について知るのは、時間の問題ってこと?」

「そういうこと。そうしたら、ユキちゃん的にはチャンスだよね」

「どういうこと?」

「遠坂さんと石川くんが付き合ってるとわかれば、遠坂さんがライバルじゃなくなるわけだし。そうしたら、ユキちゃんも自信をもって、清水くんに接近できる」

 そうかもしれないけど。

「清水くんの気持ちは?」

 遠坂さんと石川くんの交際が表立ったら、清水くんは自分の失恋を自覚することになる。その状態で工藤さんに想いを伝えられたら、彼はどんな気持ちになるのだろうか。

「失恋してショックを受けた清水くんに、ユキちゃんが想いを伝える。それって、成功するパターンじゃない?」

 そうなのか。清水くんはそんな簡単に遠坂さんを忘れられるだろうか。

「ということは、清水くんは遠坂さんへの想いを引きずったまま、工藤さんと付き合うってこと?」

「ユキちゃんが優しく癒してあげれば、清水くんの気持ちも傾くよ」

 そうだろうか。

 僕は、好きでないのに付き合っている人を知っている。

 清水くんは、そうなりはしないだろうか。

 それとも、それはそれで幸せなことなのだろうか。

「両想いじゃなくても、いいってこと?」

 僕は、司と瑞希のことを考えていた。二人は、両想いでないが付き合っている。

「いずれ、両想いになるから」

「ならなかったら?」

 司と瑞希が付き合って一カ月。瑞希の頭上には、依然として何も浮かんでいない。

 僕は、納得できる答えを期待した。人と接する達人である梨々香なら、僕が考えもしない答えを、ぽんと言ってくれると思った。

 でも、梨々香は黙ったまま、それに答えることはなかった。

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