目に映る事実と気持ち

第24話目に映る事実と気持ち①

 文化祭を二週間前に控えた僕たちだが、ここに来て、クラス演劇の開催が危ぶまれていた。

 事件は、役者であるクラスメートの主張によって起こった。

 ――この台本では劇を演じたくない。

 役者組がクラス全員の前で、そう主張してきたのだ。

 僕は先日、仮として完成した文化祭のパンフレットに目を通していた。そこには、もちろん、僕たち二年三組のクラス演劇も、プログラムの中に含まれていた。それに、演劇に向かっての準備はほとんど完成形に近いほど進められている。僕も、つい昨日、すべての背景画を完成させたばかりだった。

「今の台本。演じていて、おもしろくないの」

 瑞希が教卓に両手をつけて、そう言った。主役である彼女が、役者の代表であるようだ。その後ろに並んだ十人ほどの役者組も、瑞希の言葉にそろって頷く。

 窓際最後列に座っている僕は、その光景を、頬をかきながら眺めていた。

 現在、クラス会議中。瑞希たちの主張を、役者以外のクラスメート全員が席に座って聞いていた。

「台本を読んでくれればわかると思うけど、登場人物が壊れたロボットみたいなの。さっきまで笑っていたと思ったらいきなり怒りだしたり、悲しんだり。それが、とても不自然なんだよね」

 僕は、屋上での瑞希との会話を思い出した。何か足りない気がする。あの時も、同じようなことを口にしていた。

 演者の人たちは違和感を抱きつつも練習を続けてきたのだろう。その不満が、ここに来て許容の範囲を超えてしまったのだ。

 僕は、教室の前に並んでいる役者の人たちの気持ちがよくわかった。彼らが演じている台本は、もともと国語科の三島先生がつくった長尺のものを、素人であるクラスの数人が、三十分の尺に収まるように削ったものだ。だから、登場人物の気持ちに違和感を抱いてしまうのも無理はない。

 演者の人たちは、その少しおかしい台本で演技の練習を何度もしたはずだ。その違和感が日々蓄えられて、今、爆発してしまったのだろう。

「でもさ。文化祭、もう今月だよ。そのために、いろいろ準備もしてきたわけだし。今からそれを作り直すって不可能じゃない?」

 聴衆から上がった声に、瑞希の後ろに並んだ役者のひとりが、目くじらを立てて否定した。

「台本読んでないから、そんなこと言えるんだよ。こんなのさらすぐらいなら、やらないほうがマシ。クラス演劇なんて、中止にしたほうがみんなのためだって」

 うーん。

 僕は腕を組んで、背もたれに寄りかかった。

 筋の通っていない台本で劇を演じたくない役者の意見もわかるし、ここまで全力で準備をしてきた裏方組が、完成度に関係なく劇を披露したい気持ちもわかる。七枚の背景画を完成させている僕も、このままお蔵入りになってしまうのは寂しい。

 いったい、どうすればいいのだろうか。僕は、それがわからなかった。

「いいんじゃない? このクラスのみんなが楽しければ。素人の演劇なわけだし、クオリティなんて関係ないっしょ」

 またも、楽観的な声が上がる。

「実際に人前に出て演じる身にもなってみろよ。全然、楽しくねーし」

 前に並んだ役者のひとりが言った。

 その隣にいる司も、楽しくないという意見に賛成するように頷いている。

 どうやら、役者組にステージに出てもらうには、台本の書き直しは避けて通れないようだ。

 こんなときに横山さんがいてくれたら、と僕は彼女の席を見た。そこには、誰も座っていない。

 もともと台本の担当だった横山さんは、二学期に入ってから一度も学校に来ていなかった。ぽっかりと空いた彼女の席を見ると、僕は首を絞められたように、ぎゅっと苦しくなる。彼女の苦しみの断片を知っているのだ。

 僕たちは台本を書けない横山さんを責めた。クラス全体で彼女を追放するような構図になってしまった前回のクラス会議で、彼女は何を思ったのだろうか。

 横山さんが学校を休んでいることについて、彼女の幼馴染である水島くんに尋ねたことがある。でも、彼も何もわからないようだった。横山さんは、気を許した幼馴染すらも自分から遠ざけているようだった。

 横山さんならば、今起きている台本の問題を解決できるだろうか。

 そう思った僕は、気づけば手を挙げていた。

「真人……」

 瑞希が、ぽつりと言った。

 クラス全体の視線が、一斉に僕に向く。僕は、それに臆することなく立ち上がった。

「横山さんに改めて台本を頼んでみるっていうのはどうかな」

 僕がそう発言すると、教室全体がしーんと静まり返った。その沈黙は先ほどの、どんよりとしたものではなく、呆気にとられほかーんとしたようなものだった。

 全体の前での発言なんかしたことなかったから、みんな驚いているのだ。僕はそう思った。

「今まで準備したことをうまく活かした台本を横山さんがつくってくれたら、いい劇ができると思うんだけど」

 僕が続けてそう言うと、新垣くんが立ち上がった。

「横山、やってくれるかな」

 彼のその言葉に続いて、横山さんに対する文句が次々と聞こえてきた。

「あいつ、勝手にしろとか言って出て行ったしな」

「そもそも、横山のせいでこんなことになってるんだろ」

「学校にこない人に頼むのは無理でしょ」

 そんな声があちこちから上がる。

「僕が掛け合ってみる」

 やや語調が強くなった。

 またしても、教室全体がしーんとした。

 僕は、横山さんと親しくはない。だから、僕なんかが何かしたところで、彼女が台本を書いてくれるとは思えない。そうであるのに、僕はクラス全員に向かって、そんなことを口にしてしまった。

 僕は、自分のしていることがよくわからなかった。明らかに不可能であることを言っている。

 僕は、ちらりと水島くんを見た。

 彼は僕のことを見ていた。そして、目が合うと、小さく頷いてくれた。一緒にがんばろう。そう言ってくれたようだった。

「仮に横山が書いてくれるとしても、本番は二週間後。時間が無いよ」

 新垣くんが言った。

 彼の言う通りだ。台本を直すとしたら、それに合わせて役者や裏方の人も動きを変えないといけないので、その準備期間がいる。だから、台本の完成は、一秒でも早くできるよう急ぐ必要がある。

「明日」

 僕は大きな宣言をするように言った。

「明日の放課後、またクラスで会議をしよう。僕は、そこに横山さんを連れて来る。だから、みんなも、その時までに台本を良くするアイデアを考えてきてほしい。横山さんがいれば見当違いな台本はできないだろうし、みんながアイデアを持ち寄れば、いい台本がすぐにできそうでしょ?」

 少々の沈黙の後に「確かに」だとか「それならできそう」と言った声が、ちらほらと聞こえてきた。

 僕の意見にクラスメートが賛同してくれている。なんだかうまくやれそうな気がしてきた。

「横山が協力してくれない。つまり、明日のクラス会議に参加してくれなかったら?」

 新垣くんが言う。

 僕はごくりと唾を飲み込んだ。横山さんの説得、またその先にある台本の完成は、この後の僕の行動にかかっている。

 ガタっと音がした。

 水島くんが立ち上がっていた。

「俺もどうにか、さち……横山を連れ出すことに協力する」

 水島くんは、そう言った後で、自分が横山さんの幼馴染であることを付け足した。

 新垣くんは、僕と水島くんを交互に見ると、数秒目をつぶった。

「わかった。明日の放課後、クラス会議をする。横山のことは福本と水島に任せて、俺たちは、その時までに台本が良くなるアイデアを考えて来よう」

 クラス委員の言葉に、みんなが頷く。クラスに少し活気が出て、先ほどよりわずかに明るい雰囲気になった。

「それでも、横山さんが協力してくれなかったら?」

 みんなのやる気に水を差すように、瑞希が言った。でも、彼女の心配はもっともだ。横山さんが学校に来てくれる確率は、今のところかなり低い。

 新垣くんが、前に並んだ役者に向く。

「君たちが納得できる台本ができなければ、しょうがない。クラス演劇は中止だ」

 教室がまたも静まり返る。

 なんとしても、横山さんに協力してもらわなければいけない。

 クラス演劇のためにも。横山さんのためにも。

 僕は深く息を吸って、並んだ役者組をひとりひとり見渡しながら、ゆっくりと吐き出した。

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