第25話目に映る事実と気持ち②

 改めて考えてみても、僕がなぜ、横山さんを連れ戻すという責任の大きいミッションを、自ら提案し引き受けたのかわからなかった。クラス演劇を成功させたいという想いと、横山さんに台本を書いてほしいという想いは確かにあった。でも、今までの僕ならそれらをどうしようもないことと諦めて、成り行きを見ていることしかしなかったはずだ。

 しかし、その自分の行動に対する理由に、心当たりがないわけではなかった。

 僕の頭の上に『桐谷梨々香』という文字が浮かび始めてから、僕は自分が少しおかしいことを自覚していた。身体の中に新たなエネルギー源ができたみたいに、常に元気が湧いてくるのだ。それによっていろんな感情が麻痺しているのかもしれない。

 役者組が台本の変更を要求してきた会議の後、僕は水島くんを連れ立って国語科準備室へ向かった。本日、梨々香はドラマの撮影のため学校を欠席している。

 教室に入ると、僕と水島くんは向かい合った。

「どうしようか」

 開口一番、水島くんがそう漏らした。彼もどうすればいいのか、わからないようだ。

「横山さん、書いてくれないかな」

「あいつ。一度決めたことは曲げないからな。説得はかなり難しいよ」

 水島くんは、明日までだもんな、とつぶやいたきり黙ってしまった。

 僕は、ふうっと息を吐いた。

「横山さんが台本を変えられなかった理由。僕、わかったよ」

 それを聞いても、水島くんは表情を変えなかった。

 僕は続ける。

「文芸部の三島先生に全部聞いた」

 水島くんは、わずかに目を伏せた。僕のその言葉ですべてを察したようだ。

「さち、もう書けないんだよね」

 ぽつりとした声を、彼は漏らした。

「パンクのアレンジ。面白そうだけど」

「三島先生が許可してくれなかったみたいだから。あの台本を直すのはだめだって」

「先生が言ってた。横山さんが物書きとして成功するには、直しなんかしていたらダメだって。一から物語を作れないと、物書きにはなれないって」

 僕の言葉を聞いた水島くんは、眉間にしわを寄せた。

「そんなの初めて聞いた。三島先生は、さちを物書きとして成功させたいってこと?」

「そうじゃないの?」

「うん。三島先生は、さちのことを嫌ってるから」

 僕は、水島くんの言っていることがよくわからなかった。

 三島先生が横山さんを嫌っている。なぜ?

「横山さん、三島先生に何かしたの?」

「小説が新人賞の一次選考すら通らなくて、さちは先生を失望させた」

 僕は首を傾げた。

「それ、横山さんが言ってたの?」

「うん。がっかりだ、って言われたみたいで、かなりショックを受けてた。さちはそれが原因で、物語を書けなくなったんだ」

 がっかりだ、と言われただけで、先生に嫌われたことになるのだろうか。僕は、それが疑問だった。

「嫌われてるって思う理由。他には、何かあるの?」

「今回の台本だってそうだよ。三島先生が見本を書いてくれるって喜んでたのに、いざ書いてもらったものを見ると、クラス演劇では再現不可能なものだったし。おまけに、それを直すのはだめだって言われて。嫌がらせ以外の何物でもないよな。それがきっかけで、あいつ、部活に顔を出せなくなったんだから」

 どうやら、横山さんと三島先生との間に、誤解やすれ違いがあるようだった。

 まず、三島先生は横山さんのことを嫌ってなんかいない。彼は、横山さんのためを想って、再現不可能な台本を書き、それの直しを禁じた。そして、部活に顔を出さない彼女のことを心配していた。仮に嫌っていたら、見本なんて書かないだろうし、心配もしないだろう。

 三島先生もまた横山さんのことについて、勘違いした解釈をしている。彼女が物語を書けなくなった原因を、三島先生はスランプだと言っていた。一次選考で落ち続けて、自信を無くしたのだと言っていた。でも、本当の原因は、違っている。横山さんが三島先生に嫌われたと思ったせいで、自信を無くしたのだ。

 また、横山さんが部活に来ない原因も、三島先生は、言いつけを破って台本を書き直したからだと思っていた。しかし、それも違っていて、横山さんは三島先生に嫌われていることを確信したから、部活に顔を出せなくなったのだ。

 僕はそれらのことをすべて水島くんに話した。

 水島くんは、僕の話を、最後まで黙って聞いてくれた。そして、僕が話し終えると、知らなかった、と言ったきりしばらく黙っていた。やがて、彼はふっと笑みを漏らした。

「あいつらしいな。変なところでネガティブなんだから」

「何事にも動じなさそうなのにね。台本の役降りるときも、きっぱりと出て行ったし」

 水島くんは、ここだけの話だけど、と前置きしてから声を落として言った。

「さち、三島先生のことがちょっと好きみたいなんだ。決して口にはしないんだけど、先生の話してるときのあいつ、柄になく楽しそうだった」

 僕は、横山さんの三島先生に対する想いを知っている。僕は、そのハッピーエンドにならない恋に対して後ろ向きな気持ちを抱いていたが、水島くんは、それについて少し楽しそうに話している。

「好きな人を前に、疑心暗鬼になってたんだろうな。三島先生に嫌われてる、って口にしたとき、あいつ、今までに見たことないほどの落ち込んだ顔してた。その時は心配したけど、福本の話聞いた後だと、ちょっと笑えてくる」

 水島くんは、横山さんの恋について楽観的だ。楽しんでいるようにも見える。

 でも、この二人の勘違いは、僕たちの目的に光明を差した。二人の誤解が解ければ、彼女はまた物語を書けるかもしれない。

「二人がお互いに勘違いしているとわかれば、さち、また書けるかもな」

 水島くんもそう言ってくれた。

 道は開けた。

 と、思ったときだった。水島くんが、急に表情を変えた。

「そう言えば。まだ、さちが嫌われてるって思った出来事があった」

「なに?」

「あいつ、三島先生に小説の添削を頼んだんだ。でも、原稿を渡したきり、なかなか添削してもらえなくて。後日、それを尋ねたら、大学生になったら見てやると、はぐらかされたって」

 僕は、三島先生との話を再度思い起こした。彼は、自分は小説家じゃないから、小説を書くことについてのアドバイスはできないと言っていた。でも、横山さんの原稿を受け取っていたらしい。

 僕がそれについて話すと、水島くんは、あっと何かを思い出したような反応をした。

「ここって、国語科準備室だよね」

「そうだけど」

 水島くんは、僕の背中の向こうにあったロッカーに駆け寄り、その中を物色し始めた。そのロッカーは、かつて三島先生が来たときに分厚い資料を取り出していたものだ。

「そこに何かあるの?」

 水島くんは夢中になって何かを探していた。

「あった!」

 しばらくしてそう言った水島くんの手には、原稿用紙の束があった。

「何それ」

「三島先生が昔書いた小説。さち、これに感動したんだって」

 水島くんの持つその原稿用紙は、経年劣化を得て少し茶色くなっていた。表紙には先生の名前が書いてある。

 三島先生は、自作の小説を書いていたようだった。

 先生は僕に、小説を書いたことがないからアドバイスできない、と嘘をついた。そして、横山さんには、アドバイスは大学生になってから、と先延ばしにしているようだ。先生に、横山さんの小説を添削する気はあるのだろうか。

「先生のところに行くしかないね」

 水島くんが言った。

「三島先生?」

「うん。小説の添削を今してもらって、それをさちに渡せば誤解が解けるでしょ」

 水島くんの言う通りだ。小説を添削してもらえば、横山さんは先生から嫌われていなかったことがわかる。また、その添削の中に彼女の励みになるようなことを少しでも混ぜてくれたら、すぐにクラス演劇の台本にも取り掛かってくれるかもしれない。

「三島先生、添削してくれるかな?」

 僕は、ぽつりと言った。

 今までの話からして、三島先生に小説を添削する気はなさそうだ。今すぐにお願いしますと言っても、先生が期待に応えてくれるかはわからない。

 でも、水島くんは、少しも不安そうな様子をみせなかった。

「それをお願いするのが、今の俺たちのやるべきことだろ。みんな頑張って準備したクラス演劇がお蔵入りなんて、俺はごめんだよ。それにさちを救えるかもしれないんだから、何としても、先生には添削をやってもらわないと」

 その通りだ。

 僕は、力強く頷いた。

「先生のところに行こう」

「普段は国語科教員室にいるみたいだから。そっち、覗いてみようか」

 水島くんは、早速、床に置いていたスクールバックを手に取ると、三島先生の原稿をその中に入れた。

 僕もそれに続いて、教室を飛び出そうとした。

 そのとき。

 ふと、先生から添削された小説を受け取る横山さんの様子が頭に浮かんだ。

 横山さんはそれをされて、どう思うだろうか。

「どうした? 早く先生のところに行こう」

 教室のドアのところにいる水島くんに、そう声をかけられる。

 僕は、教室の真ん中に立ち尽くしていた。

「ちょっと待って」

「どうして? 一秒でも急がないと」

「三島先生との誤解を解いたら、横山さんの気持ちは消えないよね」

「さちの気持ち?」

「先生のことが好きだって気持ち」

 三島先生には奥さんと子供がいる。だから、先生は好きになってはいけない人だ。

 横山さんはこのまま嫌われていると思い込んでいたほうが、結果的に幸せなのではないかと思った。今、その勘違いが解消され、また、自分の小説に協力してくれたとなったら、横山さんの想いはさらに強まってしまうかもしれない。それは、彼女にとっていいことなのだろうか。

 僕たちがしようとしていることは、将来傷つくことが決まっている恋の手助けになるのではないか。

 そう思うと、僕は動けなかった。

「福本はさ、さちの恋心がなくなればいいって思ってるの?」

 水島くんが聞いてきた。僕は自分が思ったことを伝える。なくなった方が結果的にいいのではないか、と。

「さち、三島先生と出会って少し変わったんだよね。昔は、自分のことを話さないやつだったけど、今では、どうでもいいことまで俺に話してくれる。その中でも、先生についての話をしているときは、本当に幸せそうだった」

 水島くんは、肩にかけていたスクールバックを床に置いて、続ける。

「それに、あいつは先生のことを好きになって、不幸だなんて思ってないと思う。先生と出会えたこと自体が幸せなことで、好きって気持ちは、まあ、おまけみたいなものなんじゃないのかな」

 水島くんの話が本当なら、それはとても素敵なことだと思った。

 好きという気持ちがやっかいなことは、梨々香のことを好きになってしまった今、嫌というほど痛感している。梨々香が自分以外の人に想いを寄せていることに嫉妬するし、彼女と話していて気持ちが舞い上がっている自分を自覚すると、なんだかむなしくなる。

 横山さんはそんな気持ちの向こう側にいるのだろうか。三島先生という存在がいるだけで、幸せなのだろうか。

「そもそもさ。人の気持ちなんてわからないし。目の前に助けるべき人と、助けられる手段があるんだから、俺はさちを救いたい。あいつ、今、すごい落ち込んでるんだ」

 水島くんは、協力してほしい、と僕に向かって手を合わせた。

 彼の言う通りだと思う。落ち込んでいる人がいるなら、救いたい。

 でも、結局、自分の中での考えがまとまらず、僕はその場に立ち尽くしていた。

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