第22話僕に能力がなければ⑦

 司から連絡があったのは、金曜日の夜のことだった。

 ちょうど、一人きりでの作業にも慣れたころ、お風呂上りにスマートホンを見ると、メッセージが来ていた。

『あしたの祭り、一緒に行かない』

 もう、そんな季節かと思った。

 毎年、八月中旬の土日に、近所の神社で盆踊りがある。たこ焼きや、お好み焼きなどの出店が並ぶイベントで、地元の人たちが一堂に会す。

 僕は、去年の盆踊りのことを、つい最近のことのように思い出せる。そのときも隣には司がいた。彼は、高校生にもなってこんなの楽しめないよな、と言いながら、気持ち悪くなるまで粉ものを食べていた。

 あれから、もう一年。

 やはり、時間の感覚は、年を取るごとに確実に早くなっている。

『いいよ』

 そうメッセージを返したところで、瑞希と行かないのかな、という疑問が浮かんだ。

 盆踊りは、世のカップルにとっても、一大イベントであるようだった。僕は、毎年そこで、クラスメートのカップルを数組見かけていた。だから、司も瑞希と行くはずだと思った。

『じゃあ、明日の六時くらいに、真人の家の前いるわ』

 司からの返信を見たとき、盆踊りが二日に渡って開催されることを思い出した。

 おそらく、明日は僕とで、明後日に瑞希と行くのだろう。

 僕は、スマートホンをベッドの脇に置くと、財布の中身を確認した。

 翌日。

 司は、時間通りに、家の前にいた。

「おっす。久しぶりだな」

「うん」

 本当にそうだった。夏休みになってから彼と会っていない。だから、三週間くらい顔を合わせていなかった。

 それでも、司に変わりはないようだった。気だるそうに、肘を自転車のハンドルに載せている。

 僕の家から神社までは、歩いて十分ほどのところにある。僕が歩きだったので、司はその隣で自転車を押していた。

 僕と司の間に、しばらく会話は無かった。

 二人とも、どう話を切り出そうかと考えているような、不自然な沈黙があった。遠くで、盆踊りの軽快な音楽が鳴っている。

 僕は、当たり障りのない話題を考えていたが、どうしても適切なものが出てこなかった。司と話すだけなのに、こんなに気を遣ったことはない。いつも、彼とは何を話していただろうか。そう思うと、いつも司の方から話題をくれていたことに気付いた。

「今年は何を食おうか」

 やはり、司の方から口を開いた。

「去年は、だいたいのものは食べてなかった?」

「食いすぎて、気持ち悪くなったんだっけ。あれから一年って早いな」

 司も僕と同じことを思っていた。

「司。たこ焼き、ひとつ落としたよね」

「そうだ、そうだ。しかも、最後の一個な。あれは、最悪だった」

 もう食えないと言いながら苦しんでいるのに、司は、たこ焼きの最後の一個を食べられなかったことをしばらく悔やんでいた。その姿がおかしかった記憶が、かすかによみがえり、なぜだかそれだけが懐かしく感じられた。

 神社に着くと、そこにはたくさんの人がいた。

 鳥居をくぐって一本道に入ると、すぐに人の行列に巻き込まれた。両脇に並んだ出店からは、香ばしい匂いが香ってくる。

 お面、くじ、金魚すくい、お好み焼き、たこ焼き、かき氷。出店のラインナップは、毎年変わらない。それでも、少しわくわくしてしまう。

 連なって吊るされた電球が、それぞれ強い光を放っていてまぶしい。少し顔を上げると、赤く淡い光を灯した提灯が、群青色の空に浮かんでいるようだった。そして、そのやや下には、そこにいる人それぞれの好きな人が活字として浮いていて、雲のように見えた。

「あそこのお好み焼き」

 そう言って、司は、人の流れをかき分けて進んだ。僕はその背中を追う。

 お好み焼きの屋台に並んでいる最中、隣では、小学校低学年くらいの女の子が母親と並んで金魚すくいをしていた。女の子は早々に紙を破き、器用に金魚をすくう母親の技に声を上げている。

 そんな女の子の頭上にも、文字が見える。なんだが、微笑ましい。

 僕と司が、お好み焼きを手にすると、人の流れのない境内の裏にまわった。腰かけた形のいい石の上は、少しひんやりとして冷たい。

「あっついね」

 司が、はふはふ言いながら、お好み焼きを口に運んでいる。また落とすなよ、と思いながら僕はトレーを開けると、真っ白な湯気が顔にかかった。

 二人して、しばらくお好み焼きと格闘していた。

「あのさ」

 司が口を開いた。

 僕は、お好み焼きを口に入れながらちらりと隣を見ると、司のトレーの中はもう空になっていた。僕は、まだ半分も食べてないのに、彼は完食している。

「どうした?」

「瑞希にしばらく距離を置こうって言われた」

 僕は、それを聞いて、口に含んだものを吐き出しそうになった。咀嚼していたものをごくりと飲み込んだが、しばらくむせてしまう。

「別れようってこと?」

「距離置くって、別れるってことなの?」

「さあ。わからないけど」

「俺もわかんねえよ」

 司は、はあっと、ため息まじりの声を上げた。

「それ、いつ言われたの?」

「三日前」

「そっか」

 三日前と言えば、僕と瑞希が屋上で顔を合わせた日の翌日のことだ。

「いつも通り、一緒に帰ってたんだけど。別れ際に、突然、そう言われて。ほんと、訳わかんねえよ」

「理由とか、聞かなかったの?」

「なんで、とは聞いたよ。でも、ちょっと考えたいことがあるって以外、何も話してくれなかった」

 考えたいこと。

 それは、屋上で話したことだろうか。

 瑞希は、司と付き合うことに疑問を持っていた。一緒にいることは楽しいけど、好きかどうかはわからない。瑞希は、その疑問を抱え続けることに限界を感じて、距離を置こう、という決断をしたのだろうか。

「この祭りにも、一緒に行こうって約束してたんだよな」

 司が僕を誘ったのは、そういう経緯があってのことだった。

 僕は、瑞希の本音を知っている。でも、それは司には告げられないものだ。それからも、どうしてだろうだとか、何か知ってるかと相談を受けたが、僕はそのどれにも答えることができなかった。

「このまま、別れようって話になるのかな」

 司は、力なく言った。

「俺、耐えらんねえよ」

 彼の口から弱気な気持ちが、ぽろりと漏れる。こんな司は、初めてだ。

 なんとか、司を慰めるようなことを言ってやりたい。大丈夫だよ、とか、心配するなとか、そんなことを言いたい。

 でも、すべてを知っている僕は、そんな無責任なことを口にすることはできない。

 友達として何か言わなければいけないのに、それができない。そうしていると、隣に座る司がどんどん遠ざかっていくように感じた。心と心が離れて、僕たちの関係すらふっと消えてしまう。そんな不安が僕にまとった。

 目の前を過ぎゆく人の列は絶えない。綿あめを手にしていたり、金魚を浮かべた袋をぶら下げていたりと、楽しそうだ。みんな、今まで悩みなんて感じたことがないような、晴れやかな顔をしている。そんな空間とは隔絶されたみたいに、僕と司は会話なく座っている。

「あ」

 ふと、聞きなれた声が、耳に入った。

「真人くん」

 僕は、司が座っている方とは逆の方に首をひねった。そこには梨々香が立っていた。

「梨々香」

「真人くんも来てたんだ」

 真っ赤な浴衣を着た梨々香が、わずかにほほ笑んだ。最近少し長くなった髪の毛は、首の上できれいにまとめられている。

 久しぶりに見た、その愛らしい姿に、僕はぼんやり見惚れてしまった。

「まさとー」

 なぜだか梨々香の後ろから水島くんの弟である隆史が飛び出してきて、僕に抱き着いてくる。

「あ、梨々香ちゃん、こんなところにいた」

 今度は、水島くんの妹である真央と加奈がやってきた。その後ろからは、子供たちを見守るように川村さんがくっついていた。

「あ、福本くんに瀬戸くん」

 川村さんが、僕たちに気づくとそう声をかけてきた。

「みんなで来てたの?」

 梨々香と川村さんと、水島ブラザーズ。そんなおかしな組み合わせを見て、僕は聞いた。

「そうだよ」

「水島くんは?」

「アルバイトだって」

 川村さんが言った。

「弟と妹たちは、私が拉致っちゃった」

 梨々香が、わずかに舌をのぞかせる。

「みんな、浴衣似合ってるね」

 川村さんも、水島ブラザーズも、みんな浴衣を着ていた。子供たちは可愛らしく、川村さんも少しあか抜けて見える。

「でしょ? 子供たちのは全部、瞳ちゃんが作ったんだよ」

 梨々香の言葉に、僕は改めて、隆史や真央や加奈の着ている浴衣を見た。どれも、手作りだとは思えない。

「まさと。チョコバナナ買ってよ」

 隆史は、ずっと僕にくっついている。

 突然の梨々香たちの登場に、僕は戸惑った。川村さんに水島ブラザーズ。この状況について聞きたいことは山ほどあったが、子供たちが騒いでいてそれどころではない。

「真人、変わったな」

 隣の司が言った。

「変わった?」

「うん。ついこの間まで俺としか話さなかったのに」

 司は、唇の端を持ち上げると、持っていたトレーと割り箸を輪ゴムでまとめた。

「俺、行くわ」

「行くって?」

「帰るよ」

 司は立ち上がると、隆史に微笑みかけた。

 隆史は「まさとの友達?」聞いてきた。僕は、小さくうなずく。

「じゃあな」

 司は、盆踊りの喧騒の中へ行ってしまった。

 彼の相談ごとは、終わっていない。だから、薄っすらと消えていく彼の背中を、引き留めるべきだったのかもしれない。司の姿が完全に見えなくなると、僕と彼とを結んでいた糸が、ふっと消えてしまったように感じた。

 もう、司とも瑞希とも、今までの関係には戻れない。そんな予感が、いつまで経っても溶けない氷のように、僕の中に残った。

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