第21話僕に能力がなければ⑥

 桐谷梨々香、と検索する。

 すると、スマートホンには、いくつかの情報が並んだ。一番先頭に来たページをタッチする。

 芸能事務所のタレントプロフィール画面。そこに梨々香が映し出された。

 モデル活動をしているという梨々香と一緒にいながら、僕は彼女の仕事についてほとんど知らなかった。雑誌に載っているという噂はよく聞いていたが、実際にそれを見たことはなかったし、こうやってネットで検索することもなかった。

 だから、公式な情報としてスマートホンの画面に現れた梨々香を見て、ほんとに芸能人だったんだな、と実感する。彼女は現実離れた美貌を持っているが、いつも一緒にいるとついついそれを忘れてしまう。

 プロフィールには、梨々香の写真とともに、活動履歴が載っていた。それは二年ほど前から始まっていて、ほとんどが雑誌への出演だった。

 指で画面を動かしながら、梨々香の活動を追っていく。すると、ひときわ大きいフォントで、ある告知がされていた。

 9月より秋季ドラマに出演決定。

 そのドラマは、有名なテレビ局が制作するもので、主演も僕が知っている売れっ子俳優だった。

 梨々香は、そのドラマの出演が決まっているようだ。

 友達として隣にいた梨々香。彼女が、女優としてテレビに映る。

 なんだか、全く実感がなかった。

 僕はカレンダーのアプリに、ドラマの初回放送日をメモした。

 その翌日。

 この日も、国語科準備室には、梨々香の姿はなかった。

 しかし、珍しい客があった。

「梨々香ちゃんいる?」

 扉を開くなりそう言ったのは、美術部の緑川先輩だった。

「梨々香ちゃんは?」

 僕が黙っていると、またそう聞かれてしまった。

「いませんけど」

「マジかあ。いつ来る?」

「ここ一週間くらい、ずっと顔見せてません」

「そっか。最近、仕事のほうが忙しいみたいだからね」

 先輩は、そう言っているが、実際は僕と喧嘩をしたからだ。ただ、それをあえて言う必要はないと思い、黙っておく。

 緑川先輩と梨々香は、かなり親しい仲になっていたようだ。梨々香からよく先輩の話を聞いていた。それに、梨々香と先輩が仲良くなければ、大道具の仕事もここまでスムーズにはいかなかっただろう。

「何か用がありました?」

「ちょっと、お願いしたいことがあったんだけど」

「屋島先輩のことですか?」

 僕がそう言うと、先輩は、げっ、といった顔をした。

「あんた、健人とどういう関係なの?」

 先輩の頭上には、相変わらず『屋島健人』という名前が浮かんでいる。一カ月以上も前に別れた相手だが、まだ未練があるらしい。寄りを戻す計画を考えている、という話も梨々香から聞いている。

「いや。梨々香から、話は聞いているので」

 先輩は、悔しそうに目をつぶって、上を向いた。

「あの子、口軽いなー」

「寄り戻すって話ですよね」

「そこまで知ってるなら、もういいや。君にも話すよ」

「梨々香に用っていうのは?」

「梨々香ちゃん、人伝いに健人の新しい好きな人を聞いといてくれるって言うから。それが、どうだったのかなって」

「そうですか」

 梨々香が、屋島先輩の好きな人を知る。

僕の能力を頼る予定だったのだろう。

「ちなみに、屋島先輩の好きな人。知ってどうするんですか?」

 屋島先輩が、もう緑川先輩のことを好きではないことは、向こうから別れを切り出されたことからわかっている。だから、わざわざ彼の好きな人を知ってどうするのか。

「逆襲するの」

 先輩は、いたってまじめな表情でそう言った。

 逆襲。映画のタイトルでしか、聞いたことない言葉だ。

「逆襲って、具体的には?」

「それは、そのとき決める」

 きっと、先輩自身も自分が何をしたいのか、わからないのだろう。それでも、いても立ってもいられないから、屋島先輩の好きな人を知りたいのだ。

 おそらく、それを知ったら、諦めもつくだろう。

「その、屋島先輩に会わせてもらえますか?」

 緑川先輩は、訝しげな目を向けてくる。

「なんで」

「僕も力になれるかもしれないんで」

 先輩は、少し悩んだあげく、まあいっか、と言ってくれた。

 屋島先輩は、現在、第二美術室にいるとのことだった。緑川先輩と同じ美術部の彼は、夏休み中、ずっとそこで絵を描いているそうだ。

 第二美術室の中には、数名の生徒が、同じように絵を描いていた。そのほとんどが女子生徒で、男子生徒は二人しかいない。

「あの、奥の」

 入り口に立って美術室を覗き見ると、隣にいる緑川先輩が指さした。

 僕たちから対角線上に離れた隅で、小柄な男子生徒が筆を動かしてた。少し長めの髪の毛に、中性的な顔立ち。それは、すまし顔をした猫を思わせた。

「可愛いでしょ?」

 確かに、男の僕でも認めてしまうほど、矢島先輩は可愛らしい綺麗なルックスをしていた。緑川先輩がここまで執着するのも無理はないのかもしれない。

「屋島先輩に別れようって言われたとき。好きな人ができたって言われたんですよね?」

「そうだけど」

 屋島先輩の頭上には、文字が浮かんでいた。だから、その彼の言葉に嘘はない。

 僕は、屋島先輩の好きな人の名前を知ったら、後日、梨々香から聞いたと前置きして緑川先輩に伝えるつもりでいた。

 しかし、彼の頭上の文字を見て、それはできないと思った。

 屋島先輩の頭上には、男の人の名前が浮かんでいた。

 彼の恋は、そっとしておくべきだろう。

 僕は、緑川先輩に挨拶をして、その場を後にした。

 梨々香と緑川先輩の約束を思うと、今後、梨々香から屋島先輩の好きな人について尋ねられることがあるかもしれない。

 そのときは、どうしようか。

 たとえ、梨々香であれ、本当のことを伝えることはできない。だから、適当な名前を言ってごまかすしかない。何も浮かんでいないというもの、いいだろう。

 少し前から、僕はある考えを持ち始めた。

 知る、ということには、責任というものが伴っているのだ。

 本来、自分の秘密は、信頼した相手にしか話さない。秘密を打ち明けるという行為は、相手の秘密を他人に漏らさないという責任を信じることであって、それは大きなリスクだ。そうしないほうが、自分が傷つかなくて済む。

 人は、他人にあまり知られたくないことが積み重なって、その人を形作っている。そして、矛盾しているが、その形作られたものを他人に受け入れられたくて、秘密を共有する。秘密を知った方は、自分が信頼されていると感じ、自らの秘密も打ち明ける。

 そうやって、人と人は、密につながっているのだ。

 僕の能力は、人の信頼がなくても秘密を知ることができる。だから、それを知ったことに対する責任がないと誤解しそうになる。

 でも、それは違うのだ。

 僕には責任がある。まわりの人、全員の恋愛対象を知ってしまうから、膨大な責任を僕は背負わされている。

 改めてこの能力が、恐ろしい。

 早く解放されたい。

 もし、神様が僕にこの能力を授けたのであれば、何のためなのだろうか。なぜ、神は僕にこんな試練を課すのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る