第14話クラスのみんなを幸せにしよう大作戦⑤
「すごーい」
そう言う梨々香の目線の先には、大量のイワシの群れがあった。
「ねえ、真人くんも瞳ちゃんも、見てみて! イワシがいっぱいいるよ」
確かにいる。でも、イワシはスーパーにもいる。せっかく水族館に来たんだから、もっとここでしか見られないものに感動するべきだろう。
「梨々香ちゃん。イワシ好きなの?」
「いや、特別好きというわけではないけど」
「じゃあ、もっと珍しい魚がたくさんいるよ」
僕の言いたいことを、川村さんが代弁してくれた。
日曜日。結局、僕、梨々香、川村さんの3人で水族館に遊びに来ていた。
水族館には、たくさんの人がいた。来場者の内訳は圧倒的に家族連れが多く、子供のキャッキャッする声があちこちから聞こえてきている。
ちょうど足元を、僕の腰にも満たない背丈の子が、すごいスピードで走り去っていった。
それでも、展示されている水生生物たちの存在感は、そんな子供たちに負けていなかった。どの魚たちも、自分がこの中で一番個性的だ、と言わんばかりに、水槽の中で泳ぎまわっている。久しぶりに水族館に足を踏み入れた僕は、その生物たちに魅了され、自分も魚たちと同じ水槽に入っているかのような気持ちで、優雅に水の中を舞う魚に見入っていた。
その中でも、特段、僕がくぎ付けになった魚がいた。
ナンヨウハギ。
背中から腹にかけての、ブルーのグラデーション。それを横切る漆黒のラインと、黒に縁どられくっきりと輝く尾びれのイエロー。まん丸の目と神経質に見えるおちょぼ口は、決して美しいとはいえない。しかし、それらが合わさって何とも言えない魅力を彼(彼女?)は放っていた。
僕は、小さい水槽の向こうにいる、その魚を、時間を忘れて眺めていた。
「うわー、きれー」
耳をくすぐるような声がして、ちらりと横を見ると、間近に梨々香の顔があった。
知らないうちに、僕と梨々香は、二人して小さな水槽で泳ぐナンヨウハギを見ていた。
「あ、あの子、子供かなー。ちょっと、ちっちゃいよね」
梨々香はそういって、僕の方を見た。
梨々香の顔が、すぐ目の前にある。
近い。
小さい水槽に二人してへばり付いているため、梨々香の笑顔が異常に近い。
僕はどきっとした気持ちを振り切るように、視線を水槽の中へと移した。
「見えてる? あれだよあれ」
「わかってるよ」
梨々香の吐息が、少し頬に振れてくすぐったい。
ドクドク、と自分の心臓の音が、やけに響いて聞こえてくる。
さっきまで魚に夢中だったくせに、梨々香が隣にいるせいで、ちっとも集中できない。
「あ、瞳ちゃん、あんなところにいる。真人くんも行こ」
梨々香にTシャツの裾を引っ張られ、僕はナンヨウハギから離れることになった。
川村さんは、クラゲの水槽を覗き込むように見ていた。
「わあ、可愛いね」
「知ってる? クラゲってプランクトンなんだよ」
川村さんが、クラゲの動きに合わせて黒目を移動させながら言った。
「プランクトンって、ミジンコとかの?」
僕が聞くと、川村さんは嬉しそうな顔をして振り向いてきた。
「そうそう。泳ぐ力が弱くて、水の流れに任せて動くものを全部プランクトンって呼ぶの。だから、クラゲもプランクトンなんだよね」
それからは、川村さんの独壇場だった。彼女は、ほとんどの魚についてかなり詳しく、見る魚ごとに性質とか生息している地域なんかを教えてくれた。
「お腹すいたね」
水族館を一通りまわったところで、梨々香が言った。時計を見ると、そろそろ夜ご飯の時間だった。
日本一高い建造物に併設された水族館のまわりには、たくさんのレストランがあった。梨々香と川村さんが、何を食べようかと悩みに悩んでいるので、僕はすぐにご飯にありつけなかった。
「結局、ここが一番かな」
梨々香が言うと、川村さんも同意した。
「真人くんも、ここでいい?」
「僕はなんでも。お腹すいた」
やっとの思いで入ったお店は、梨々香と川村さんがわざとじゃないかと疑うくらい長い時間をかけて決めたスパゲティ屋だった。食にこだわりのない僕は、食べ物であればなんでもよかった。だから、お店が決まったときは思わず安堵のため息が出てしまった。
僕はミートソースのスパゲティ。梨々香と川村さんはたらこソースのスパゲティを頼んだ。梨々香はそれに加え、マルゲリータのピザを注文した。ピザはてっきりみんなで取り分けて食べるのかと思ったが、梨々香にそんな気はなかったらしく、それがテーブルに届けられるなり、皿を自分の目の前に置いてスパゲティと並行して食べだした。
「それ、一人で食べるの?」
「お腹すいてるからね」
梨々香は、食べても太らない体質らしい。
「いっこもらい!」
梨々香のとなりに座っていた川村さんが、すきを見て、ピザを一切れ横取りした。
「ああ、私のピザ!」
「梨々香ちゃんが太らないように、協力してるんじゃん」
「余計なお世話。私は食べても太らないから」
「うわ、それ、ちょっとぽっちゃりした私への嫌味?」
「瞳ちゃん、ちょっともぽっちゃりしてないし」
「梨々香ちゃんのとなりに並ぶと、そう見えちゃうんだよ」
川村さんは、今日一日で、少し明るくなったような気がした。梨々香といる彼女は、普段のおとなしい姿からは想像できないくらい、饒舌で、大胆な行動に出る。
そう思うと、僕も、梨々香には他人に見せない一面を見せている気がした。
梨々香には周りの人を楽しくさせる力があるのだろう。
二人が会話に夢中になっている最中に、僕も梨々香のピザを一切れもらった。
我ながら鮮やかな手口。
「ああ、真人くんまで」
梨々香は、ピザを取られただけで、まるで親友に裏切られたみたいな表情をしているので、面白い。
「私の胃袋の恨み!」
梨々香はそう言って、僕のミートソースに彼女のフォークを刺した。
「福本くん、梨々香ちゃんのスパゲティも食べちゃうなら、今だよ!」
川村さんに促され、僕は、無防備に放置された梨々香のたらこソースからスパゲティをフォークひと巻きいただいた。
僕と川村さんが協力して、梨々香をおもちゃのように扱う。
そんなことが、僕にはとても心地よかった。
高校に入学してから、こんな楽しいと思えることがあっただろうか。
司と瑞希と以外に、こんなに無防備な笑顔を見せられる相手がいただろうか。
目の前にいる梨々香と川村さんが、司と瑞希に重なった。
司と瑞希が付き合い始めてから、司との会話は日に日に少なくなっているように感じる。瑞希に関しては、一度も口を利いていない。
二人は、いま、どうしているだろうか。僕のことなんか、もう忘れてしまっているだろうか。僕らの関係は、使い捨ての缶電池が切れるみたいに、いつかふっと消えて無くなってしまうのだろうか。
梨々香と川村さんが目の前に置かれたパンケーキを、スマホでバシャバシャ写真に収めているのを見ながら、僕はコーヒーをすすった。冷房によって冷え切った身体を、温かい液体が貫いていく。
「げ!」
身体に染み渡る温かさにしみじみとしていると、梨々香がだしぬけに大きな声を出した。
「瞳ちゃん。今、待ち受け見ちゃったんだけど……」
「やだっ……」
川村さんは、スマートホンの画面を隠すように胸に押し当てた。
彼女の色白な顔は、異常なほどに赤くなっている。
「ちゃんと、見せて」
梨々香が、川村さんからスマートホンを取り上げた。
川村さんのスマートホンのホーム画面。そこに映し出されているのは、漫画のイラストだった。
英国貴族が着るような華やかな衣装を身にまとっている、男の人のイラスト。その男の人の顔は、誰がどう見ても、水島くんの顔だった。
「これ。瞳ちゃんが描いたの?」
川村さんは、恥ずかしそうに頷いた。
「秋良くんだよね?」
「もう、やめて!」
川村さんは、スマートホンをテーブルの上から取ると、投げるようにバッグに入れた。
川村さんは、自分で描いた水島くんのイラストを、ホーム画面にしていたのだ。
「やっぱり、秋良くんのこと好きなんだね」
「誰にも迷惑かけてないんだからいいでしょ」
川村さんは、ふてくされたように言った。
「秋良くんと遊びたい?」
「だから、私はそういうの望んでないの」
「じゃあ、秋良くんからデートに誘われたらどうする?」
川村さんは、顔を真っ赤にしたまま、うつ向いてしまった。
「瞳ちゃん、これ見て」
梨々香は、自分のスマホをテーブルの上に置いた。
そこには、今日、3人で集合したときの写真が映し出されていた。そして、画面は、チケットを買っている川村さんの後姿に切り替わる。
それからオートで切り替わる写真に、3人は見入っていた。
大きな水槽を見上げる僕。クラゲの水槽をつっつく川村さん。イワシの群れ。僕が腕を伸ばしてシャッターボタンを押した、3人で写るセルフィ。スパゲティを頬張る僕と川村さん。パンケーキ。
それは、今日一日の出来事を追った、スライドショーだった。
「瞳ちゃん。今日、楽しかった?」
「うん。すっごく楽しかったよ」
「秋良くんのこと。見てるだけで、楽しい?」
「うん」
「こうやって遊びに行って、おいしいもの食べたり、写真撮ったりしたらもっと楽しいよ」
「……」
「今日みたいに、秋良くんとお出かけできたら、すっごく幸せだよ」
「私には無理。だから、見てるだけでいいの」
「ダメだよ!」
梨々香が、少し大きな声を出した。
「好きな人が、すぐ手の届くところにいるんだから。そんな諦めてたら、もったいない。この世の中には、取り返しのつかないことが起きて、後悔することだってあるんだよ?」
梨々香の剣幕に、僕と川村さんは、ぽかんと口を開けていた。
ここまで感情的になった梨々香を、僕は初めて見た。
梨々香は、どうして他人の幸せに、ここまでむきになれるのだろうか。
取り返しのつかないこと、って何なのだろうか。
「ごめん」
落ち着きを取り戻したのか、梨々香はぽつりと言った。
川村さんは、梨々香の謝罪を否定するように首を振ってから、口を開いた。
「私、自信がないの。水島くんともっと近づきたいけど、私なんかが話しかけたらうざいって思われるような気がして。それが怖いの」
水島くんから嫌われるのが怖い。
川村さんは、僕と同じだ。嫌われることを恐れて、動けないでいる。それだから、現状で満足している。でも、変わりたいとも思っている。
水島くんは、弟たちの世話で忙しい。それでも、好きな人から声をかけられて嫌な気分になるだろうか。
川村さんと水島くんが、仲良くなればいい。
僕は、素直にそう思えてきた。
「ちょっとずつでいいんじゃない?」
梨々香が口を開いた。
「秋良くんとちょっとずつお話するくらいなら、怖くないんじゃない?」
「でも、水島くんに話しかける機会なんてない」
水島くんは、学校で隙を見せない。僕たちも、学校で彼と話すことに苦労した。
「私たちが手伝ってあげる。ね、真人くん」
「うん」
僕は、迷いなくうなずくことができた。川村さんと水島くんのために。二人には、幸せになってほしい。
「さ、パンケーキ食べよ」
梨々香が、おいしそー、と言いながら、パンケーキにナイフを入れた。
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