第15話クラスのみんなを幸せにしよう大作戦⑥

 その帰り。

 僕たち三人は、途中まで電車が一緒だった。

 川村さん、梨々香、僕の順番で椅子に座りながら電車に揺られていた。

「秋良くんのイラスト。もう一回見せて!」

 梨々香が、そう言った。すると、川村さんは意外とあっさりそれを見せてくれた。僕は、そんな彼女を見て、水島くんのことが好きなことを誰かに話したかったのかもしれないと思った。

 川村さんによる水島イラストは、ホーム画面になっていた一枚だけではなかった。彼女のスマートホンの中には、水島くんのイラスト専用のフォルダがあり、そこには百枚を超えるイラストが入っていた。

 ブレザー姿の水島くんから始まり、学ラン、ジャージ、Tシャツにジーンズ、革ジャン、モッズコート、ゆったりとしたニット、パーカー、スーツ……。

 水島フォルダーはさらに続く。

 着物、民族っぽい服、アラジンっぽい衣装、ハリーポッターっぽいマント姿……。

 普段着から、ファンタジー衣装まで、水島くんは常に格好良く着こなしている。

 川村さんのイラストは、詳しくない僕が言うのもなんだけど、ほとんどプロと変わらないほど上手だった。

 ひとつ難点を上げるのなら、すこーし……いや、かなり水島くんがカッコよく描かれている。誰でも一目でこれが水島くんだとわかるが、本物の水島くんの顔は、ここまで整っていない。ほんと、僕がこんなことを言うのは、失礼極まりないのだけど。

「なんかさ」

 梨々香が、間を置いてから言った。

「瞳ちゃん。ちょっと、変態?」

 正直、僕もちょっとそう思ったが、口に出すという選択肢はなかった。

「え。ひどーい!」

 変態と言われたことがうれしかったのかと思うほど、川村さんはニヤニヤしながら言った。

「瞳ちゃん、秋良くんのことめっちゃ好きなんだね。てか、秋良くん、こんなにイケメンじゃなくない?」

「えー、そう? 結構、うまく描けてると思ってたんだけど」

「確かに、上手なんだけど。瞳ちゃんの脳内補正が、ちょっと詐欺レベル」

 川村さんは「ひどーい」と言いつつも、そう言われることがうれしそうだ。

「私、ここで降りるね。じゃあ、また明日」

 川村さんは、途中の駅で降りて行った。

「のど乾いた」

 駅に着くと梨々香がそう言ったので、自販機でジュースを買って、ヒノデ公園で少し腰を下ろすことにした。

 僕たちは、並んでブランコに腰かける。

「瞳ちゃんと秋良くん、ちょっと時間かかるかな」

「どうだろうね」

「絶対、お似合いだからな。仲良くなり始めたら、案外早いと思うんだけど。でも、秋良くんがああいう状況だから、読めないなー」

 梨々香は、サイダーを一気に飲んだ。

「次、どうする?」

「次?」

「次のカップルだよ」

 梨々香は、バッグの中から、クラスの好きな人が書かれたリストを取り出した。

「それ、持ち歩いているの?」

「肌身離さずね」

 お守りかっ、という突っ込みは、梨々香がまじめな顔でリストに目を落としているのでやめておいた。

「幸せ予備軍は、たくさんいるね」

 梨々香から、鼻歌が漏れ始めた。

「幸せといえばさ」

「ん?」

「自分の幸せはどうなの?」

「自分?」

「梨々香の幸せ」

 少し揺れていた梨々香のブランコが、止まった。

「私?」

「園部くん、進藤くん、横田くん、井上くん、深川くん。みんな、梨々香のこと好きだよ」

 梨々香の名前を頭の上に浮かべる人は、だんだんと増え、今ではその五人が彼女のことを好きになっていた。

 梨々香の頭上には、なんの文字も浮かんでいない。

 でも、同じようにして頭上に名前を浮かべずに司と付き合っている瑞希は、幸せそうに見える。

「ここには、書かれてないけど」

 梨々香は、リストを指さした。

 梨々香の名前を浮かべているクラスメートの情報は、リストに載せていない。

 また、その他、訳ありであるクラスメートの情報も、伏せている。付き合っている人と違う人の名前や、先生の名前を浮かべている人の情報なんて、たとえ梨々香であれ教えることはできない。

 だから、いま梨々香が持っているリストは、完全なものではない。僕の目を通したために少し改ざんされたものだ。

「まあ、私に渡すリストだから。私のことは書かないか」

「五人の中から選べるなんてすごいことだと思うけど。その中にいいなと思う人いないの?」

 うーん、と唸ってから梨々香は言った。

「私が好きな人じゃないと。相手の人にも失礼でしょ」

 その通りだと思う。

 でも、瑞希は好きじゃない司と付き合っている。彼女は、なぜ司と付き合っているのか。

 それでも、司は、瑞希のことが好きだ。彼は、瑞希が自分のことを好きでないと知ったらやっぱりショックを受けるだろうか。そして、瑞希のことを好きなまま、彼女と別れることにするだろうか。自ら、幸せを手放すだろうか。

「真人くんは、そういうことないの?」

「そういうこと?」

「人を好きになること」

 そう聞かれると、僕は口を閉ざしてしまう。

 今までは、恋愛なんて、自分とは無関係だと思っていた。だから、だれかを好きになることもなかった。

 でも、梨々香のおかげで少し人と話ができるようになった。そして、いろんな人の恋愛対象を見ると、人を好きになるって少し羨ましいなとも思えてきた。

 でも――。

「ダメなんだ」

「ダメ?」

「僕のことを好きな人はいない」

「そんなの、わからないじゃん」

「わかるんだって! 僕にはみんなの好きな人が見えるんだ」

 恋愛に対して少し憧れを持つようになってから、人の頭上に自分の名前を探すようになった。もしかしたらあの人が、ひょっとしたらこの人が、僕を好きだと思ってくれている。そんな期待が、わずかながらに芽生えてしまった。

 でも、現実は期待通りにはいかない。

 福本真人、という文字は、誰の頭上にもなかった。

 僕のことを好きだという人は一人もいない、ということだ。

 僕を認めてくれる人はいない。

 ほとんどの人と言葉を交わしていないのだから、それは当たり前なのかもしれない。期待するなんて、おこがましいことだったのだろう。

 でも、その事実は僕を傷つけた。僕の心の奥の奥のやわらかい部分を、ナイフで八つ裂きにされたぬいぐるみのようにした。

 僕には恋愛ができない。それが、証明されたようだった。

「違うでしょ」

 梨々香が言う。

「何が?」

「自分のことを好きだって思ってくれる人がいるのは素晴らしいけど。そういう人がいないからって、人を好きになってはいけないってことにはならないよ」

 というか、と言って梨々香は続けた。

「まずは、真人くんが誰かを好きになることからなんじゃないの?」

 梨々香の言葉は、染み入るように、じわりじわりと僕の身体に浸透してきた。

 まずは僕が誰かを好きになる。

 その通りなのかもしれない。

 まず僕が周りの人に興味を持たなければいけないのだ。

「決定!」

 梨々香が、張り切ったような声を上げた。

「クラスのみんなを幸せにしよう大作戦と並行して、真人くんが誰かを好きになる大作戦も同時に行います!」

 不覚にも、作戦にされてしまった。

 でも、雑然としていた部屋が片付いたような、すっきりとした気持ちになった。

 僕が誰かを好きになることができたら、悩んでいたことの答えがわかるかもしれない。瑞希の気持ちも、横山さんの気持ちも、他のみんなの気持ちも、全部腑に落ちて、僕が悩むことはなくなる。

 僕は、サイダーを飲み干すと、大きくブランコをこいだ。隣の梨々香も、同じように地面を蹴った。

 僕と梨々香のブランコは、ちょうどぴったり並んで、しばらく大きく揺れていた。

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