第39話桐谷梨々香⑧

 とうとう、文化祭が明日に迫った。

 学校内の活気は、最高潮だ。

 みんなが明日に控える文化祭に向けて、校庭に模擬店となる建物を組み立てたり、教室の中をメイド喫茶や、お化け屋敷に改装したりしている。どこからか楽器の生演奏が聞こえてきたと思ったら、談話スペースの脇でダンスの練習が始まった。

 全校生徒が、大忙しだ。

 二年三組の教室には、机がなかった。全て、国語科準備室に追いやったのだ。しかし、椅子は教室後方に並んでいる。これが観客席になる予定だ。キャパは、三十人。でも、後ろのスペースに立ち見の人が並んだら、五十人は同時に見られるだろう。

 教室前方には、ステージが作られていた。体育館の倉庫に眠っていたひな壇が、平べったく並べられている。それがあると、床より三十センチくらい高いところで演技をすることができ、後ろからでも演技がよく見えるよう工夫されていた。

 ステージの奥には、僕と梨々香が汗水垂らして完成させた背景画がある。今は、森の絵が正面にきているが、その他の絵もその裏に重ねられていて、それらをめくることで、背景を変える仕組みになっている。

 すべての窓には、暗幕がされていて、教室内は、電気を消すと真っ暗になる。ステージの下に設置されたカラフルな照明が全体を照らすと、そこは教室とは思えないほどのファンタジックな空間に早変わりだ。

 照明と並んで、いくつものスピーカーも置かれていた。それらは、水島くんが卒業した中学校から借りてきたものだ。スピーカーからはそれぞれ配線が伸びていて、それらが向かう先には、水島くんが操る機会がある。音声テストを聴いている限り、そこで、音楽を変えたり、音の調節をしたりしているみたいだ。

 ステージの上には、瑞希と司を含めた演者が並んで、演技の確認をしている。彼らは、みんな、本番さながらの衣装を着ている。どこかから買ってきたのかと疑うほど完成度の高い衣装は、川村さんのいる衣装係の作品だ。アパレル関係の人がこの劇を見に来たら、あの衣装デザインした人と話がしたい、となるかもしれない。素人の僕から見ても、それほどのできだ。

「メイクさせてー」

 二人の女子生徒が、演者に声をかけた。

 つい三日ほど前、この演劇に、メイクアップアーティストという役割が追加された。クラスの女子二人が願い出たのだ。彼女らは、メイク術を紹介する動画をいくつかユーチューブに公開している、僕にはよくわからないが、その腕は確かなようだ。だから、クラスのみんなは大賛成で、クラス委員の新垣くんがその役割を承認した。

「そろそろ、リハ始めまーす」

 演出担当が、声を上げると、クラス全体が一斉に静まり返った。

 緊張感が教室全体を包み込む。

「水島くん、オッケー?」

 後ろで機材をいじっていた水島くんが、親指を突き出した手をかかげる。

 教室の電気が消され真っ暗になると、ステージに薄っすらライトが灯された。

「これはどこにでもいるような少女ドロシーの、不思議な不思議な物語」

 ナレーションが響く。包み込むように、心を落ち着けてくれる声だ。

 リラクゼーション音楽のような優しいメロディーが流れると、照明が徐々に光を強め、ステージにドロシー役である瑞希が現れた。

 瑞希のセリフ。落ち着いているが、どこか儚げな声を出す。意外だけど、ドロシーにピッタリはまっている。

 背景画も、ほんのりとした照明に照らされて、いい雰囲気を出していた。背景なんて、脇役中の脇役だけど、どこか誇らしい気持ちになる。

 ドロシーの町に、やがて嵐がやって来て、場面は暗転。

 それから、三十分。

 リハーサルが終わった。

 クラス中からの拍手、歓声。

 僕も手を叩いて、その素晴らしさを称えた。

 文句のない、完成度だった。エンターテイメント性に富んだ、誰が観ても楽しんでもらえる劇が完成した。

 教室の電気がついた。

 みんなの興奮は冷める気配がなく、騒ぎはなかなか終わらなそうだ。

「ドロシー可愛かった」

「あのシーンの音楽、めっちゃいい」

「やばい、泣きそう」

 いろんな声が、飛び交っている。

 僕は、そんなクラスの様子を、後ろのロッカーに寄りかかって眺めていた。一時は中止まで検討されたクラス演劇が、こういう形で文化祭本番を迎えられて、本当によかった。

 あれ?

 突然、視界に違和感を覚え、僕は、目をこすった。薄暗かった場所が突然明るくなったので、目が光の量を調節できなかったのかもしれない。

 何度か瞬きをして、前を見た。

 何か物足りない。視界に写るはずのものが、写っていないのだ。

 僕は、その違和感の正体をつかんだ。

 みんなの頭の上に浮かんだ文字がない。誰の頭上にも、文字が浮かんでいないのだ。

 梨々香と定食屋に行った時も、同じことが起きた。でもそのときは、数分で元通りに戻った。だから、しばらく、文字が見え始めるのを待っていた。

 ふと、横山さんが目に入った。彼女も、今まで見せたことがないような笑みを浮かべていた。それを見て、僕も安心した。彼女も楽しんでくれてよかった。

 いろんな人の喜んだ顔がある。でも、その頭の上には何もない。

 ずっと、待った。何度か目をこすったりもした。

 しかし、結局、みんなの頭上の文字が、再び見えることはなかった。


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