スクールフェスティバル!

第40話スクールフェスティバル!①

 校門をくぐると、そこはもう学校ではなく、テーマパークのようだった。

 たくさんの生徒でにぎわう校舎は、個性豊かな看板が置かれていたり、いろんなチラシが貼られていたりして、カラフルにコーティングされていた。また、そこにいるみんなも普段のキチっとした制服ではなく、金髪のかつらをつけたり、メイド姿だったり、アニメのコスプレをしていたりと、バラエティに富んだ格好をしている。

 文化祭が始まった。

 僕はお祭り騒ぎの学校に入って、ようやく、そう実感できた。

 会場前のこの時間。周りのみんなは慌ただしく動き回っていた。あれが足りないだの、電気がつかないだののトラブルがあるらしい。

 そんな大変な様子も楽しそうだなと、のんきに思いながら教室へ向かう。

 当日のトラブルをどこか他人事のように感じているのは、今日、僕がするべきことはないからかもしれなかった。大道具係はこの日のために演劇の準備を完了させているので、今日はのんびりと校舎の中を歩き回ることができる。そういう意味では、僕の文化祭はもう終わっていた。後は、クラス演劇の成功を願うだけだ。

 教室に入ると、もうそこは立派なステージだった。昨日のリハーサルのときにもう完成していた会場は、周りの雰囲気と相まって、さらにファンタジックな雰囲気に包まれている。

 僕が到着するころには、もうほとんどのクラスメートが教室にいて、当日準備や最終チェックをしていた。それを見ていると、仕事があるのがちょっとうらやましく思ってしまう。

「あ、福本」

 騒がしい教室の中で、新垣くんに声をかけられた。

「おはよう」

「一つ仕事を頼んでもいいか?」

「仕事?」

 当日の流れはもう確定しているので、僕は何もしなくていいはずだった。何か頼まれるのは構わないが、僕たちのクラスにもトラブルがあったのだろうか。

「背景めくる係なんだけど」

 それを聞いて、僕は首をひねる。突発的なトラブルではないらしい。

「それって、担当の人がいたはずじゃ」

「それが、そいつがちょっと抜けなくちゃいけないみたいなんだ」

 当たり前のことだが、背景を変える仕事は、演劇の最中、ずっと教室に張り付いていなければならない。それなのに、その担当だった人が、持ち場を離れなくてはいけない用事ができたようだ。

 しかし、僕にも用事があった。

 僕はその場で、改めて文化祭のパンフレットを開く。目当てのミスコンテストは、体育館にて十三時三十分から始まる。

「ごめん。僕も抜けなきゃいけない時間が」

「何時?」

「午後の一時半」

 そう言うと、新垣くんの顔はぱっと明るんだ。

「ちょうどよかった。お願いしたいの、今日の午前中なんだ」

「てことは、十時からのと十一時からのやつ」

「そうそう」

 それなら、問題ない。

 僕は快く引き受けることができた。流れは完璧に頭に入っているので、急に決まった背景をめくる係だが、うまくこなせる自信はある。

「午後の一時半って、もしかしてミスコン?」

 新垣くんが聞いてきた。

 僕は少し照れながら、うん、と頷く。

 すると、新垣くんは、含みのあるにやけ顔を僕に向けてきた。

「なに、その顔」

「桐谷、出るんだもんな」

 確かに、僕の目当ては梨々香だ。

 僕はにやにやする新垣くんを不審に思いながらも、こくりと頷く。

「福本。桐谷といい感じなんだろ?」

「へっ?」

 間抜けな声が出た。

 僕が、梨々香といい感じ。それは具体的にどういう意味だろう。

「いい感じって?」

「みんな噂してるけど。付き合ってるの?」

 僕は、目をぱちくりさせてしまった。

 僕と梨々香が付き合っている。そんな事実とかけ離れたことを、みんなが噂しているはずがない。

「冗談でしょ?」

「さ、本番もうすぐだよ。はりきっていこ!」

 新垣くんはそう意気込んで、僕のものから離れていった。

 現在、午前八時四十五分。本番は、もう目前だ。

 教室前方に設置されたステージの右わきには、パーテーションで仕切られたスペースがある。そこは、演者の待機場所になっていた。教室の構造上、上手下手はなく、演者はみんなそこから登場し、そこへはけていく。そして、そこは舞台裏と直結していて、背景を操作するスペースもあった。

 背景はおおかた物語の順番通りに配列されているが、何度も登場するシーンがあるので、めくるだけではなく、戻す作業もしなければいけない。背景を切り替えるタイミングは把握していたが、その作業をスムーズにこなせるかわからなかったので、僕は何度か練習した。

 その後ろでは、演者が出たり入ったりしている。みんな、緊張しているのだろう。落ち着きがない。

「緊張してんの?」

 そこには、深呼吸をしている瑞希の姿もあった。主役である彼女は、舞台に出ずっぱりだ。

「まあね」

 瑞希は僕をちらりと見て、苦笑いする。

「昨日のリハーサルすごくよかったから、今日も大丈夫」

 僕はそう言いながら、背景を引いたり戻したりした。すると、僕の方も少し緊張してきた。

「ちょっと、いい?」

 しばらく練習していると、瑞希の方から声をかけられた。

「どうした?」

「屋上、誰もいないかな?」

 僕は、天井を一瞥してから、瑞希の顔に目をやった。彼女は、足元を見つめていた。


 屋上には誰の姿もなく、そこだけが普段の学校と姿を変えずに閑散としていた。ふとフェンス越しに下の様子を見ると、一般の人がこの校舎のまわりにたくさんいるのがわかった。みんな、ここの生徒の家族や友達だろう。

 瑞希は、屋上の扉を閉めると、ずっと黙っていた。僕も口を開かずに、なんとなく地上にいる人の動きを目で追っていた。

「あのさ」

 瑞希が、ぽつりと言う。僕は、彼女に向きなおった。

「うん」

「オズの魔法使い、成功するかな」

「さっきも言ったけど、大丈夫だって。楽しみにしてるよ」

 僕がそう言うと、瑞希はまたうつむいてしまった。

 またしても、沈黙が落ちた。

 学校のまわりにいる人は、どんどんと増えてきている。それを見て、文化祭の始まりが刻一刻と近づいているのがわかった。校舎のざわつきも、どんどん熱を帯びているように感じられる。

「あのさ」

 瑞希が口を開いた。

「司くんと寄り戻した」

 瑞希の頭上には、何も浮かんでいない。

「そう。よかった」

 瑞希が自分の気持ちに嘘をついているわけではないことはわかっていた。

 もう、誰の頭上にも文字がない。

 僕は、能力を失ったのだ。

「私、司くんのこと好き」

「うん」

 瑞希は、司とまた付き合い始めた。彼女は、それを伝えるために、僕をここに連れてきたのだろうか。

「ひとつ、聞きたいことがあるんだけど」

 どうやら、そうではないようだ。

「なに?」

「真人に、私が司くんのこと好きじゃないって言われたとき。私、本当に司くんのこと好きじゃなかった。でも、どうしてそれがわかったの?」

 あの日のことだ。僕が、瑞希の涙を初めて見た日。

「それは……」

 本当のことを言っても、信じてもらえないだろう。それに、昨日まで持っていた能力は、なぜだか、もう完全に消えてしまった。根拠はないけど、もうあの文字が戻って来ることはもうない気がする。

「それだけじゃない。私が司くんのことを好きだって思い始めたときも、真人はそれを見抜いた。それがわかったのって、本当に私たちが幼馴染だからなの?」

「それしか考えられないでしょ」

「じゃあ、なんで私が真人に抱いていた気持ちには、気づいてくれなかったの?」

 瑞希は、まっすぐと僕を見ている。

 瑞希が僕に抱いていた気持ち。考えても、心当たりはない。

「瑞希の気持ちって?」

「真人のことが好きだ、って気持ち」

 僕は何か言い返そうとしたけど、できなかった。

「私、ずっと真人のこと好きだったんだよ」

 校舎から聞こえてくる喧騒が、ぷつりと切れた。

「そうなんだ」

 それしか言葉が出てこなかった。

 瑞希が僕のことを好きだった。そんなことを言われて、どう言葉を返せばいいのかわからなかった。

「私、司くんに告られたって真人に報告したよね」

「うん」

「そのときね。私、真人に気持ちを伝えようとしたんだよ」

 どうして。

 どうして、瑞希は今になってこんな話をしてくるのか。

「冗談でしょ」

 瑞希はゆっくりと首を振る。

「そう思うかもしれないけど、ほんとの話」

「じゃあなんで、そのとき気持ちを伝えてくれなかったの?」

 僕がそう聞くと、瑞希は、ふっと噴き出した。

「伝えてたら、どうなった?」

「え」

 どうなったのだろうか。それは、僕にもわからない。

「真人が私に恋愛感情を持ってないのは、はっきりわかってた。それでも、もしかしたらって思って、聞いたんだよ。真人は好きな人いないのって。真人がちょっとでも私に振り向いてくれるのを期待した。でも、だめだった。真人は、私の下心なんてこれっぽっちも気づいてなかった。だから、吹っ切れたの。もう、真人とは幼馴染のままでいいやって。それで、司くんと付き合うことにした」

 本当に瑞希の気持ちに気付いていなかった。

 今更になって情けなくなる。

 そのうえ、僕は司と付き合った瑞希に、本心を暴くようなことを口にした。

 司のことは好きじゃない。

 好きじゃない人とどうして付き合うのか、と。

「ごめん」

 そんな言葉が漏れた。

「いいよ、謝らなくて。そのおかげで、私、結果的に司くんのこと好きになれたかもしれないし」

 瑞希は、笑顔でそう言ってくれた。

「でも、どうして?」

「ん?」

「どうして、今になって僕に気持ちを話したの?」

 うーん、と瑞希は唸った。

「これからも真人と幼馴染を続けていくなら、ここで伝えておきたいなって思った。私の自己満足だけど。でもおかげで、すっきりした」

 瑞希は、それに、と言って続けた。

「真人も、少し変わったみたいだから」

「僕が変わった?」

「ただのお人好しじゃなくなった」

 ただのお人好し。確かにそうだったかもしれない。僕は他人に嫌われないようと、常に考えて生きていた。

「なんか、真人を囲んでいた壁が、きれいに無くなったって感じ」

 瑞希にそう言われて、はっとした。

 僕を取り巻いていた壁。自分が傷つかないようにと、他人と僕との間につくった透明な壁。気づけば、それは僕の前から消えていた。僕はそれについて意識すらしていなかったせいで、無くなったことに気づかないでいた。

 最近、なんだかわくわくすることが多かった。それは、壁が無いせいだったのかもしれない。

「確かに、少し変わったかも」

 瑞希は、ふふっと笑みを漏らした。

「でも、たぶん私、昔の真人のことが好きだった。何とかしてあげないとって思っちゃう真人のことを気に入っていたのかも。だから、今の真人はつまらないな」

「なんだよ。説教ばっかしてきたくせに」

「それが楽しかったのかな」

 僕にしてみたら、楽しくともなんともなかった。いい迷惑だと思って、受け流していた。でも、瑞希は僕のことをずっと心配してくれていたのだ。

「それに、今の真人のまわりにはたくさんの人いる。もう友達づくりが苦手な真人は、どこにもいないよね」

「うん」

 かつての僕は、友達がいないと言われることを恐れていた。それについて深く悩んでいた。でも、いつしかそんな悩みは、どこかへ行ってしまっていた。

 それもこれも、全部、ある人のおかげだ。その人との出会いが僕を変えてくれた。

「僕も好きな人ができたんだ」

「知ってる」

「え?」

「梨々香ちゃんでしょ?」

「う……」

 ばれていた。

 僕は照れたように首の後ろをさすった。

「なんでわかったの?」

「私たち、幼馴染でしょ。真人のことは何でもお見通し」

「そっか」

 人の気持ちなんてわからない。

 それでも、想像することはできる。

 思いやりってやつだ。

「その気持ち、ちゃんと伝えるんでしょ?」

 瑞希がいう。

 僕は首を振った。

「どうして?」

「梨々香は僕のこと好きじゃないから」

「聞いたの?」

 僕はまたあきらめたように首を横に動かした。

「自信が無いだけじゃないの?」

 そうだ。僕には自信がない。

 だって――。

「僕のことを好きだと思ってくれている人は、ひとりもいないんだ」

 少なからず僕を傷つけた事実。僕を認めてくれている人はいない。

「そんなの、わからないじゃん」

「わかっちゃったんだよ」

 知りたくなかった。でも、知ってしまった。かつて僕にあった能力のせいで。

「私は?」

「えっ」

「私、ずっと、真人のことが好きだったんだよ」

 瑞希はまっすぐ僕のことを見つめていた。

「真人には魅力がたくさんある。だから、好きになっちゃう人は、必ずいる」

 瑞希の言ってくれていることが本当なら、僕にもチャンスがあるかもしれない。

 ん?

 一つの考えが、僕の脳裏に浮かんできた。

 僕の能力が現れ始めたのは、確か、クラス演劇の係決めをした後だ。つまり、瑞希が司に告られたと打ち明けてきたときと重なる。

 そして、その日は、瑞希が僕への気持ちをあきらめたときでもあるようだった。

 瑞希が僕への気持ちを失くした。

 つまり、その時点で、僕のことを好きな人はいなくなった。

 もしかしたら、僕のことを好きな人が一人もいなくなったせいで、能力が現れたのかもしれない、と思った。

 そうすると、あの能力は神様から僕へのメッセージだったのだろうか。あるいは、警告。神様が僕に何かを伝えたかったのかもしれない。

「ありがとう」

 僕を励ましてくれた瑞希に言った。

「クラス演劇、絶対成功させようね」

「そうだね」

 瑞希はどこかすっきりしたような表情をしていた。それを見た僕も、喉の奥につっかえていたものとれたような、そんな気持ちになっていた。

 時刻は、九時二十分。もう、一般のお客さんも校内に入っている。

「そういえば」

 教室に戻る途中で、瑞希が立ち止まった。

「どうした?」

「噂なんだけど」

 瑞希は深刻そうな顔を僕に向けた。

「梨々香ちゃん。ニューヨークに留学するって話を聞いた」

「ニューヨーク?」

 そんなこと、梨々香の口からは聞いていなかった。

 梨々香が、留学。まさか。

「噂でしょ? たぶん、そんなことないよ」

 とは言ったものの、それは僕の胸にずっと引っかかっていた。

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