第30話目に映る事実と気持ち⑦
リビングにあるテレビをつけた。
午後九時五十五分。目当てのテレビドラマが始まるのは、あと数分後。
リアルタイムでドラマを見るなんて何年振りだろうと思った。もしかしたら小学生とき以来かもしれない。
普段は毎週録画予約して好きな時間に見るテレビドラマだが、今回ばかりは放送される時間に見たいと思うほど、それを楽しみにしていた。
待ちに待ったドラマ。そのキャスト一覧には、桐谷梨々香の名前がある。それは、梨々香の出演するドラマだった。
内容は学園ものだそうだ。クラスメートの不可解な自殺の理由を紐解く学園ミステリー。僕はそれを、梨々香とのラインのやりとりで知った。彼女は、ドラマ撮影のため、二学期になってからほとんど学校に顔を出していない。
テレビには、コマーシャルが流れている。ぼんやりそれを眺めていると、ピロンッとスマートホンがメッセージの着信を告げた。
『はじまるよ!』
川村さんからだった。彼女も僕と同じように、テレビに張り付いているみたいだ。
『テレビつけて、スタンバイ中』
そう返信すると、ドラマがスタートした。
主役である新人教師が、前の会社を辞めるシーンから始まった。長年の夢であった教師になるために、退社する。主役である三十前くらいの男は同僚から花束をもらっていた。主役を演じる役者は、最近、若手イケメン俳優から演技派へと成長したと評価を受けている売れっ子だった。
開始から十五分ほどが経っても、梨々香は登場しない。彼女の出番は、新人教師が初めて担任を受け持つクラスの教室に行くときだ。
一応確認しておくと、テレビの向こうの人の頭上には文字が見えなかった。理由はわからないが、テレビや写真と、実際に顔を合わせない人の頭上はすべて正常だった。
新人教師が、職員室で挨拶をする。その後、自分のデスクをついたところで、隣にいた初老の教員から、一か月前に生徒が自殺したことを知らされる。
そうして、新人教師は担任を受け持つ教室へ。
もうすぐ梨々香が画面に映る。
僕のわくわくは最高潮に達していた。
新人教師が教室の扉を開く。
画面は、クラス全員を映した。しかし、わずかな時間だったため、梨々香を確認することはできなかった。
新人教師が、教壇へ向かう。
「こんにちは!」
元気よく挨拶するが、生徒からの反応はない。
いた!
二回目のクラス全体を映したシーン。窓側後方の席に梨々香がいた。前もってその場所を聞いておいたおかげで、またも一瞬のシーンだったが、彼女を確認することができた。
反応のない生徒に、苦笑いする新人教師。彼は、黒板に何かを書こうと、生徒に背を向けた。
そのとき。
新人教師は黒板を見て、目を見開き、口をあんぐりと開けていた。
『次はお前を殺す』
黒板には、でかでかと、そう書かれていた。
内容的にも引き込まれるシーンだった。
僕は、ごくりと唾を飲み込む。
またも、ピロンッと川村さんからのメッセージ。
『梨々香ちゃん、映ったね!』
彼女も興奮しているようだ。
『ちゃんと演技しているところ見たいね』
『台本にはセリフは無かったって聞いたけど』
知らなかった。今日は、無口な梨々香を見ることになるらしい。
出演者一覧を見る限り、梨々香は主要キャストではないようだった。だから、ドラマを通して梨々香のセリフは限られているのかもしれない。
と、思ったときだった。
「冗談ですよ。冗談」
テレビから聞きなれた声がした。梨々香の声だ。
新人教師が黒板に書かれたことについて問い詰める中、梨々香が声を発した。
画面は梨々香にクローズアップする。
梨々香はにこっとすると、立ち上がった。そして、黒板に向かう。
「先生を歓迎するためにこうやってネタを作ったのに。そんなに怒んなくてもいいじゃないですか」
テレビの中の梨々香はそう言って、黒板にある文字を消した。
普段隣にいた梨々香が、テレビの向こう側にいる。なんとも、奇妙な気持ちだった。そうして、画面にくぎ付けになっていると、やがて教室のシーンは終わった。結局、生徒役のなかで梨々香が一番目立っていた。
川村さんから電話が来た。
「見てる!?」
かなり興奮した声が、スマートホンから聞こえてくる。
「セリフあったみたいだね」
「ほんと、びっくりした!」
「変更があったのかな」
「梨々香ちゃん可愛かったから、監督さんが急遽セリフをつけたんだよ」
「そうなのかなあ」
「梨々香ちゃん、あのクラスの中で一番可愛かったもん」
川村さんは、興奮気味な声のトーンを落とすことなく、そう言った。
さすがに女優やアイドルを集めているから、生徒役の中に綺麗な人が数人いたと思う。だから、好みによって一番可愛い人は別れるだろう。でも、僕もあの中で梨々香が一番綺麗だと思った。もっと言ってしまうと、梨々香しか目に入らなかった。
川村さんとの電話を切った後も、何度か教室のシーンがあった。しかし、梨々香にセリフがあるシーンはなく、彼女は何度か見切れて映るだけだった。
初回拡大版で一時間と少しあったドラマは、あっという間に終わった。
次回予告まで見終えると、部屋に戻り、僕はツイッターでそのドラマについての評判をチェックした。
学園ものだけあって、僕と同じ高校生の視聴者の意見がたくさんあった。その内容は、おおむね好意的なものが多く、次が楽しみとか、久しぶりにドラマにはまりそうといったもの、主演俳優についてのツイートがほとんどを占めていた。
『黒板消した女の子可愛かった!』
そんなツイートもあった。
黒板を消した女の子。それは、梨々香のことだ。
このドラマは梨々香のドラマデビュー作だ。だから、彼女の名前を知っている人はほとんどいないのだろう。その後も、黒板を消した女の子について、その容姿を褒め称えるツイートがいくつか見つかった。
桐谷梨々香は、やはり目立っていたのだ。
嬉しいはずなのに、僕の中に黒くもやもやとした感情が込み上げてきた。正体のわからない不安に襲われるような感覚。梨々香についてのツイートが見つかれば見つかるほど、その黒いもやもやは膨らんでいくようだった。
スマートホンを投げ出して、ベッドに身を投げた。白い天井をじっと睨む。
川村さんの話によると、梨々香にはセリフがなかったようだった。それなのに、テレビの向こうの梨々香は言葉を発した。それだけでなく、黒板の文字を消すという演技もやってのけた。
ドラマの演出の人が、急遽、梨々香にその役を任せたのだろうか。無名でセリフのなかった梨々香だが、現場にいる彼女の容姿やオーラを見込んで、チャンスを与えたのだろか。
もしそうであれば、その演出家はたいしたものだ。ツイッターを見る限り、生徒役の中で梨々香についてのツイートが圧倒的に多かった。彼女には、芸能で成功する力があるのだ。
そう思うと、また漠然とした不安に襲われた。
梨々香がどんどん遠くに行ってしまう。ずっと隣にいたはずなのに、手の届かないところに消えてしまう。
思えば、二学期に入ってから梨々香と顔を合わせていない。彼女はもう既に、僕の隣からいなくなってしまったのかもしれない。
不安の正体がはっきりしてきた。
梨々香の成功が怖い。
川村さんは、梨々香の活躍を心から喜んでいるようだった。
でも、僕は素直にそれを喜ぶことができなかった。成功しなければいいとすら思っている。梨々香はドラマの現場にいるだけで、セリフは全くない。テレビに出たことはいい思い出で、それ以降はまた普通の高校生に戻る。そんなことを望んでいる自分がいる。
僕にとっての梨々香のテレビデビューは、ほろ苦く、後味の悪いものだった。
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