クラスのみんなを幸せにしよう大作戦

第10話クラスのみんなを幸せにしよう大作戦①

 僕たちが、大道具の準備を始めて、ちょうど二週間が経った。

 空を見上げると、広大な青に、白い雲がくっきりと浮かんでいる。

 季節は七月に入り、本格的な夏がやってきていた。テレビから海やプールの特集、夏休み映画の予告が頻繁に流れ、世間はちゃくちゃくと夏休みの準備を始めている。

 蝉の鳴き声を外に感じながら、僕と梨々香は、冷房の効いた国語科準備室で背景となる絵を描いていた。

 スケッチブックに描かれた見本を見ながら、僕は森、梨々香はカンザスシティを描いている。

 冷房の効いた天国のような教室。綺麗な見本。それらは、すべて梨々香のおかげで手に入れたものだった。

 徐々に夏の暑さが猛威を振るいはじめ、体育館の裏での作業が難しくなったとき、梨々香が国語科準備室の使用権利を持ってきた。副校長先生にどこか空き教室がないかと尋ねたら、国語科準備室の使用許可と教室の鍵を手渡されたそうだ。

 見本となるスケッチブックは、美術部の緑川先輩に描いてもらった。道具を保管しているので、僕たちは頻繁に美術室に出入りしているが、そこで梨々香は先輩と親しくなったようだ。

 二週間、ずっと梨々香の隣で作業をしているが、彼女はすごい人物だった。

 副校長先生や、緑川先輩だけでなく、梨々香は誰とで仲良くできる。彼女のまわりにはいつも大勢の人が集まっていて、みんなが笑顔でいた。 

 それはひとえに梨々香のルックスのおかげではなかった。彼女の親しみやすさが、人を惹きつけているのだ。

「もうそろそろ時間だね」

 梨々香に言われ、時計を見ると、六時を指していた。学校の規則で、特別な理由がない限り、生徒の完全下校時間は六時となっている。

「そろそろ帰ろうか」

 僕は、筆をパレットの上に置いて、伸びをした。

 まだ一枚の四分の一も描けていない。先は、まだまだ長そうだ。

 一通りの片づけをすると、僕たちはそろって国語科準備室を出た。

 僕は、国語科準備室から校門にかけての道のりが苦手だった。歩いている間にすれ違う人達がみんな、僕のことを睨んでくるのだ。

 おそらく、隣に梨々香がいるからだろう。なんで、こんな地味なやつが、モデルをやるほど華のある桐谷梨々香の隣を歩いているのか。そう思っているに違いない。

 だから、この道のり、僕はできるだけ下を向き、誰とも目を合わせないようにしている。もちろん、梨々香とも必要最低限しか口を利かない。

「じゃあ、また明日」

 そう言って僕は、逃げるように梨々香から離れた。

「ちょっと、待って」

 引きとめられてしまった。

 校門の前。まだまだ、たくさんの人が校舎から出てくる。

 こんなところで梨々香と話をしていては、まわりからなんて思われるか。

 僕は、早くこの場から去りたかった。

 でも、僕を引きとめる梨々香を無視することはできない。彼女に罪はないのだ。

「なに?」

「あの話って本当なの?」

「あの話って?」

 首をかしげると、梨々香は僕の左の耳元に近づいた。

「みんなの好きな人がわかるって話」

 僕がこの能力について彼女に打ち明けてから、二週間。このことが、再び話題に上がることはなかった。だから、てっきり、冗談として受け止められたのかと思っていた。

「どうしたの、今さら」

 僕は、梨々香から一歩後ろに引いた。

「やっぱり、冗談だった?」

 梨々香の表情から、いつもの親しみやすさが消えていた。なにかを恐れたような様子だ。僕の能力に怯えているのか。

「本当だよ」

 僕は、おそるおそる口を開いた。

 頭上に浮かぶ文字は、消えることなく、今もまだ見えている。

「私の頭の上。今は、何か見える?」

 僕は、梨々香の頭上をちらりと見た。出会って以来、そこには何も見えない。

 僕は首を振った。

「見えない?」

「好きな人いるの?」

「え」

「頭の上の文字が見えない人は、好きな人がいないはずなんだけど。でも、わざわざ聞いてくるってことは、違うのかなって」

 梨々香の表情はいつもの柔らかなものに戻っていた。

「ううん。いないよ。私は、寂しい女だから」

「そう。じゃあ、なんでこの話をわざわざしたの?」

「ちょっと、考えがあるの」

「考え?」

 梨々香は、含みのある笑みを僕に見せた。

 何かを企んでいるようだ。

「今日の夜、ひま?」

「別に。何もないけど」

「じゃあ、また連絡する」

 梨々香は、ばいばーい、と言って去っていった。

 なにか、良からぬことを考えているような気がする。

 この場からさっさと離れたかったはずなのに、僕は、うしろ姿が小さくなるまで梨々香のことを眺めていた。


 予告通り梨々香から連絡があったのは、午後八時を少し過ぎたころだった。

 僕は、夕食を終え、自室のベッドでスマートホンを操作していた。

『いま大丈夫?』

 と、メッセージが来たので、すかさず、大丈夫だと返す。

『じゃあ、ヒノデ公園で待ってる』

 僕は、近所にあるヒノデ公園に呼び出された。

 半袖のまま外に出ると、昼間とはうって変わって、思いのほか肌寒かった。少し歩いたところで、上着を着てくればよかったと後悔したが、待たせるのも悪いのでそのまま向かう。

 しかし、ヒノデ公園に着いても、梨々香の姿はなかった。

 待ってる、って言ったのに。

 公園には、人ひとりいなかった。僕はベンチに座り、誰もいない公園にぼんやりと目をやった。

 目の前は、殺風景で、プラスチックでできた小さい滑り台以外、遊具がない。

 ここヒノデ公園は、昔から馴染みのある公園だった。僕は小学生まで、よくここで遊んでいた。僕が遊んでいたころはこんなに寂しい公園ではなかった。

 木製の大きい滑り台に、つり橋、その脇には上り棒も伸びていて、今よりスリリングな遊具で満たされていた。

 それらはすべて、安全を考慮して三年前に撤去された。

 確かに、僕には木でできた棒のところに頭をぶつけ、大きなたんこぶができた思い出がある。友達なんて、つり橋から落ちて骨折までしていた。それも、一人ではなく三人も。

 だから、無くなったのはしょうがないことなのかもしれない。けがする子供が減るので、合理的ともいえる。ただ、思い出の風景が様変わりしていくのは、少し寂しい。

 あの頃は元気だったな、と昔を思い出して、感慨にふけった。みんなで、鬼ごっこやかくれんぼ、ときには隣の小学校の子も交えて遊んでいた。周りにいる同世代の子はみんな友達だった。

 今では、隣にいる人とも仲よくなれない。

 僕は、いつからこうなってしまったのだろうか。

 いつから、透明な壁に隠れるようになってしまったのか。

「やあ」

 甘ったるい声が聞こえてきた。

 顔を上げ梨々香を見た僕は、思わずはっとした。そして、正直に言うと、ちょっとドキッとした。

 梨々香が、無防備な部屋着姿だったのだ。

 膝のかなり上まで露出しているショートパンツに、ぴっちりとしたTシャツ。その上にパーカーを羽織っているが、胸のふくらみがはっきりとわかる。

 女の子のこういう姿は、あまり見たことがない。目の前の梨々香は、なんというか、ちょっとエッチだ。

「どうした?」

 梨々香のことをじろじろ見ていることに気づき、僕は、とっさに目を逸らして立ち上がった。

「なんでもない。てか、考えってなんだったの?」

 梨々香は、へへっと笑った。

「聞きたい?」

「もったいぶらないでよ」

「いいじゃん。すぐ言ったらつまらないでしょ」

 梨々香は、その考えにかなりの自信を持っているようだ。にやにやしたまま、僕のことを見ている。

「なんだよ。早く、教えて」

「名付けて」

 梨々香はそこで言葉を切ると、少し間をあけて続けた。

「クラスのみんなを幸せにしよう大作戦!」

 梨々香は、勢いよく言うと、いえーいと言って小さく手をたたいた。

「なに、それ」

「クラスのみんなを幸せにする作戦だよ」

「どうやって?」

「真人くんの能力を使ってね」

「僕の能力?」

「真人くん、クラスのみんなの好きな人わかるんでしょ? だから、その能力でクラスのみんなをくっつけまくっちゃお」

 なんてことだ。

 僕は、言葉が出なかった。いまの梨々香のセリフが、とても美少女高校生の口から出てきたものとは思えなかった。

「つまり、クラスのみんなをカップルにするってこと?」

「うん」

「それ、本気で言ってるの?」

「あったりまえじゃん。私は、みんなを幸せにしたいの」

 クラスの恋愛感情は、恐ろしいと思うほど、入り組んでいる。

 そこに僕たちが介入していくことで、本当にみんなを幸せにできるのだろうか。とても、そうは思えない。

「そんなことしないほうがいいって。誰が誰を好きなんて、僕たちには関係ないことなんだから、関わらないほうがいいよ」

 もし関わってそれがうまくいかなかったら、クラスの人間関係が悪い方向に変わってしまう。その上、僕たちも責められることになるだろう。

 変なことはしないほうが無難だ。

「真人くんさ。どうして、クラスのみんなと距離を置いてるの?」

 梨々香が、そんなことを聞いてきた。

「それは、いま、関係ないでしょ」

「あるよ。ねえ、どうして。みんなのこと、嫌いなの?」

 梨々香が来て二週間。それは、僕がクラスで少し浮いていることに気づくには、十分な時間だったようだ。

「嫌いではないけど」

 むしろ、仲良くしたい。

「人付き合い、面倒だって思ってるの?」

「違うよ。僕だって、みんなと仲良くしたい。でも、その方法がわからないんだよ」

 梨々香の前では、なぜだか、正直な気持ちが言葉として出てくる。

「僕には、人と仲良くなる、自然なきっかけがないんだ。突然話しかけたら、うざいって思われるだろうし。気づけばいつも、周りはグループをつくってるから、なおさら話しかけられなくて」

「そんな怖がることないのに」

「怖がる?」

「人と関わることに」

 そうだ。僕は、人と関わって嫌われるのが怖いのだ。

「みんな、真人くんのこと嫌いにならないよ」

 梨々香は、そう言ってくれる。

 思えば、今回も自分が傷つくのが怖くて、梨々香の作戦に対して否定的になっていた。

 僕はいつもこうやって、逃げていたのだ。

 もしかしたら、一歩踏み出すだけなのかもしれない。そうするだけで、違った自分になれるのかもしれない。

「わかった、やろう。なんとか大作戦」

「クラスのみんなを幸せにしよう大作戦ね。そうだよ。せっかく神様からもらった能力なんだから、世のため人のために使わないとばちがあたるよ」

「ばちが当たるくらいなら、こんな能力、別にいらないんだけどな」

「そんなこと言わないの」

 梨々香は少し背伸びして、僕の頭をぽんとたたいた。

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