第5話 昔今庵


 梨元プロデューサーとの無駄会談の後、収録まで時間もあったので、食堂に寄って今年のR-1のネタ作りをすることにした。お笑い芸人にとって一番重要なネタづくりを合間に行うのは、もはや習慣に近い。


 『昔今庵』は、このNXテレビの食堂だ。マスターは、バーと言いはっているが、完全にただのなんの変哲もない食堂だ。


「おっ、新谷君。この前のM-1見たよー。クソつまんなかったねー」


「……」


 陽気に言葉のナイフで刺してくるマスターを完全無視して、どの席が空いているかを探す。


 そんな時、ふと一人の少女に目が止まった。垣谷芽衣……と言うか、うんばば娘。なんだか、元気なさそうにしょげた様子。


 ……いや、なに考えてるんだ。人のことなんかに構ってる場合じゃないだろ。なんとか次のR-1で上位に残らないと。あんな小娘放っておいて、ネタ作りネタ作り。


          ・・・


 あーもうっ!


「……よう」


 渋々、柿谷芽衣に声をかけて隣に座った。どうやら俺に気づいてなかったらしく、びっくりしたような表情を浮かべる。


「あっ……新谷さん」


「なんか、元気ないけど」


「……自己紹介。本当にアレでよかったのかなって」


「……」


 いいわけ、ない。


 というか、猛烈に駄目だろ。


「私……カメラ向けられると訳わかんなくなっちゃって。気がついたら……『んばばー』って……叫んでて」


「……ははっ。そ、そうなんだ」


 俺はてっきり、なにかよからなものが憑依したかって思ったよ。


「一応、家族には披露して、大爆笑だったから。もしかしたらウケるって思ったんですけど……あんなに……ああ……」


「……」


 完全にイッちゃった子かと思っていたが、意外と普通だ。その落ち込んだ仕草が非常に可愛くはある。いやむしろ、尋常じゃなく可愛い。


「やっぱり、私ってアイドルなんて向いてないのかも……」


「一度ぐらいの失敗でクヨクヨすんなよ。そんなこと言ったら俺なんてめちゃくちゃ失敗してるぞ」


「新谷さん……」


「人はな、失敗をして成長するんだよ。アイドルだってそうだ。最初から完璧なアイドルなんていないし、仮にいたって面白くない」


 今、俺はすごくいいことを言っている。


「……そうですよね」


「ああ。こんな失敗ぐらいじゃなにも決まらないよ。それは、俺が保証する」


「はいっ!」


 弾けるような笑顔を見せる柿谷芽衣は、なんだかすごく眩しく見える。その表情は、希望と期待と情熱に溢れていて、不意に15年前に芸人を夢見たときの自分とダブった。


 ……俺も頑張らなきゃな。


「じゃあ、行くから。次の収録も頑張ろうな」


 コップの水を景気よく飲み干して、立ち上がろうとすると、彼女が服の裾をピッと引っ張る。


「……あの」


「ん?」


「ありがとうございます」


「いいってことよ!」


 ビッと親指を立てて微笑む。


「新谷さんだって……すごく悲しいはずなのに、私を励ましてくれるなんて……本当に凄い人です」


「……ん?」


「だって……視聴率20パーセント越えのM-1であれだけスベって、誰もクスリとも笑わずに3分間放送事故のような漫才をやっても、そんなに爽やかに笑えるなんて……本当に凄いです」


「……」


「私があなたなら、絶対に芸人を辞めて二度と表舞台には立たない。でも、新谷さんは……まるで、そんなこと気にしてなくて。それどころか、全然大したことない私なんかを励まして……全然そんな場合じゃないのに……私なんて励ましてる場合じゃないのに」


「……」


「私、クヨクヨしてなんかいられないって思いました! じゃあ、私行きますね!」


 タッタッタッ……


          ・・・


「……」













 泣くぞテメー。




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