楽屋(3)
自分の楽屋に戻って、しばらく佇んでいた。
一度決めたら、驚くほどスッキリとした。
「失礼します」
そう言いながら木葉が入ってきた。
「……おぅ」
梨元さんに逆らえば、恐らくこのマネージャーも管理責任を問われるだろう。それだけは唯一心残りだ。
「もうすぐ、本番ですね」
「……ああ」
「……」
「……」
沈黙が辺りを包む。
俺が勝手をすれば、まず怒られるのがコイツだ。いや、怒られるぐらいだったらまだいい。今回の件はおそらくそれじゃあすまない。
木葉はいつも俺の盾になってくれた。ふがいない俺の営業をかけて、ハッパかけて、どれだけスベっても、どれだけ呆れられても、相方から見捨てられても、コイツだけはいつもそばにいてくれた。
それなのに、こんな形で俺がコイツを裏切ってしまう。俺にずっとついていきてくれたコイツに、こんな最後はあんまりだと思う。
言わなくちゃ。
告げずに行くのは、コイツにとってはあんまりだ。
言っても、これから起こる事実は変わらないけど。
それでも、言わなきゃ。
「……あのさ、木葉」
「なにも言わなくていいです」
「えっ?」
「番組スタッフには了承してもらいました。『今日だけは新谷さんの好きにさせて下さい』って」
こともなげにそう答えながら木葉が水筒の番茶をすする。
「木葉……」
「どれだけ長く付き合ってると思ってるんですか。あなたのやることなんて、有能マネージャーの私にはだいたいわかるんですよ」
「……すまん」
「ホントですよ、まったく」
「……」
「はぁ……ほんっとあなたはままならないお笑い芸人でしたよ。Mー1の準決勝まで行ってハネるかと思えば大スベりするし、ツッコミ活かせって言っても全然聞かないで事あるごとにボケに回るし。果ては天下の梨元さんに逆らおうって言うんですから」
「……」
「まあ、私なんて超有能ですから、ここをクビになったとしても別会社で引く手数多でしょうからね」
「そうだな……」
「でも……もう新谷さんのマネージャーできないのは少し……寂しいけど」
「……俺もだ」
「えっ……」
「お前は最高のマネージャーだよ」
「……バカ」
「ほんと……すまん」
「いいんです。ここで、なにもしないようだったら新谷さんじゃないんですもん」
「……ああ」
「そろそろ……時間ですかね?」
「うん。じゃあ、そろそろ着替えるから」
「はい」
「……」
「……新谷さん」
「ん?」
「……ううん。私、見てますから。どんな結末になるかわからないけど、最後まで見守ってます」
「……うん」
そう答えて。
木葉は、楽屋を出る。
それから。
衣装に着替え、楽屋を出た。タキシードに金色の蝶ネクタイ。これが自分の戦闘服。誰もいない廊下を、急ぎ足で歩く。
持っていくのは怯まぬ心。全霊を捧げたお笑い技術のみ。
不思議と心は落ち着いていた。
大きく息を吐き、収録現場に入る。
すでに、メンバーは並んでいるようだが、視線は合わさない。
どんな顔をしてようが関係ない。
俺のやることは一つ。
大きく息を吐きながら、メンバーたちに視線を合わせた。
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