昔今庵
追いかけてどうする。追いかけてどうしたい。そんな考えが自分の中で何度も何度も思い浮かぶ。アイツのためにしてやれることなんてなんにひとつ思い浮かばない。俺なんかがなにを言ったところで……
それでも。
それでもアイツが。
ここにいるなら。
そう決めた。
・・・
「はぁ……はぁ……」
昔今庵に入ると、そこには誰もいなかった。
「そう……だよな」
当然のことだ。自分の助けが必要なんて、うぬぼれもいいところだ。アイツには、家族だって友達だってメンバーだっている。アイツの助けになってやれる人がいるのは、それは嬉しいことだ。
そう言えば、梨元さんに呼ばれてるんだった。
振り返って戻ろうとすると、目の前にマスターがいた。
「新谷ちゃん……大変だったね」
いつもの様子とは違って、俺を気遣う様子を見せる。それが、今回の事態の深刻さを示しているような気がした。
「……全然。俺は大変じゃないですよ」
「うん……まあ、そうなんだけどね。マスコミのアレは周囲にまで及ぶからね」
「……」
多分、マスターは日常的にこんな光景を見ているんだろう。スキャンダルで傷ついて、騒がれて、落ち込んで、泣きくれた人たちを。
報道は、人を傷つける生業を是としているのだろうか。『自分たちは事実を報道しているだけだ』、そんな風に言うのかもしれないけど。それは、事実であって真実じゃない。せめて、それを言うことによって、傷つく人がいることだけは知っておいて欲しい。
「……これ、おごりだから。食べてってよ」
マスターは、そう言って特製クッキーの小皿を俺にくれた。
「ありがとう……ございます」
正直、呼びだされてるので、ゆっくりすることも躊躇したがその心遣いが嬉しかった。それに、こんな気持ちで梨元さんに会うことも失礼だろう。
いつもの席に座ってひと息ついて、スマホを取り出す。
未だツイッターには大炎上。相手は、次のドラマで主演を務める人気俳優だ。たとえ、手を繋いで歩いていた程度でも、そのザワつきようは半端じゃない。
そんな時。
柿谷が入ってきた。下を向いた沈んだ表情で。
「お前……」
「……新谷さん」
「……」
「……」
「おっと……」
マスターは、その場から立ち上がって店の前に『臨時休業』の札を立てた。
「さあ、帰ってくれ」
手を何回も叩いて、数人いたお客を追い払おうとする。
「な、なんだよ俺はまだラーメン食ってーー」
「閉店だよ」
「は、はぁ!?」
「今日はゴルフ日和だから、ゴルフ行ってくる」
「なっ……いつもの気まぐれかよ……はぁ勘弁してくれよ」
ブツブツ不満を言われながらも、いつもの手慣れた様子でお客をはけさせていくマスター。
残された人が、柿谷と俺だけになった時。
「今日は、閉店だから、好きにくつろいでくれ」
そう言いながら、背中を見せて手を振るマスター。
そして。
俺と柿谷。
二人っきりになった。
「……」
「……」
沈黙があたりを包む。
「……」
「……好きだったのか?」
「……」
「そんなに……」
「……」
「泣くぐらい……」
「……」
「……恋をしてたのか?」
「……ウ゛」
「……」
「……ウ゛ウ゛ッ」
「……」
「……ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ッ」
「……そうか」
「ウ゛ウ゛ウ゛ッ……ヒック……ヒック……」
「柿谷……」
「……ヒック」
「そうだよな……」
「……」
「俺も辛かったな……そう言えば」
「……えっ?」
「なんだよ、お前だけだったと思ってんのかよ」
「……」
「俺もちょうどお前くらいの歳でさ。恋したときは、自転車で叫んだよ『うおおおおおおおおおおおおおおおっ!』って。で、彼氏がいるってわかったときは、信じられないぐらい痛いんだ……ここがさ」
「……」
「死にそうなほど痛くて、痛くて痛くて、でも生きられないほどじゃなくて、でも、だからこそどうにもならないほどもどかしくて。アレは、もう二度と味わいたくなかったなぁ」
「……」
「でもさ、なんでかな……人はまた……繰り返すんだ。また、懲りずに人を好きになる。そうやって、人は生きていくんだ。幸せにも……いや、不幸にも……かな」
「……新谷さん」
「ん?」
「新谷さん……あったかい……です」
「……」
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