第74話 脱出

 穴に指先を引っかけ、グググッと腕に力を入れた。そのまま一気に穴の外へと伸び上がる。

 しかし、頭が穴の外に出た瞬間に、殺意を含む気配を感じた。

 咄嗟に札を指で挟み、陰陽術を唱える。

 

「五式 霊装 鉄身」


 術を構築するに必要な集中もできず、咄嗟に唱えたため不完全な術となってしまった。

 それでも本来全身を覆うはずの「鉄身」を右腕の肘から先にだけかき集め、何とかこの部分だけでも術を発動させる。

 そのまま、右腕を顔と斜めになるように前へかざした。


 ――ガギッ!

 金属の打ち合う鈍い音が右腕から響く。

 私は腕を頭上へ振り上げ、相手の武器を弾き飛ばすと左手を瓦の上につけ、着地する。

 

「む」

 

 気配の方へ目を向けるが、風景だけが映り誰の姿も確認できなかった。

 姿隠しか……。


「リリアナ。上には敵がいる。しばし待て」

「妾も行く!」


 穴の中へ向けて声をかけるが……敵に怯むリリアナではないか。

 

 こうしている間にも追撃が来るかと思ったが、敵が動く様子はないな。

 立ち上がり、両手に札を挟み僅かに腰を落とす。

 敵の獲物が何かも確認できぬが、そこにいることだけは分かるぞ。

 魔の気配は感じぬ……敵は人間に違いないだろう。

 

「なるほどな……仲間が来るまで待っているのか」


 ワザと気配へ聞こえるように声を出す。

 それだけで気配から動揺を感じとることができた。不意の一撃であっても、私でさえ防ぐことができるのだ。

 この気配の実力は大したことがないはず。だから、下手に追撃をせず仲間を集めて仕留めようってことなのか?

 

 しかし――。

 私に時間を与えたのは間違いだ。

 

 ほら、暴れ姫がやって来たぞ。

 

「リリアナ。出力は押さえろよ」

「うむ。妾に合わせよ。ハルト」

「分かった」

 

 私は私で準備をするとしよう。

 新たな敵の気配は……五。ここに到着するまで後四秒ってところか。


 ――心を水の中へ……。深く深く瞑想し、自己の中へ埋没していく。

 私の身体からぼんやりとした青白い光が立ち込め……目を開いた。


「精霊たちよ、我に力を! ヴァイス・ヴァーサ御心のままに。出でよ。ビックフット」

 

 凛としたリリアナの声へ重ねるように私も術式を開放する。

 

「四十五式 物装 金剛力」


 リリアナの持つ杖から淡い緑色の光が弾け、網のようになった光が一か所に集まり人型を形成する。

 人型は目と口以外全身が緑がかった灰色の剛毛に覆われた巨人となった。身の丈はおよそ二メートル五十という堂々とした姿だ。

 ずんぐりとしているが、胸板も厚く、腕と太もももリリアナの腰くらいの太さがある。

 

『グウウウアアアアアアア!』


 巨人は胸へ両手の拳を打ち付け、凄まじい咆哮をあげた。

 その直後、私の札から出でた黄色がかった光金剛力がビックフットへ吸収される。

 

「リリアナ……」

「すまぬ……」


 これほどの音を出してしまっては、何のために空から奇襲したのか完全に台無しだ。

 いや、そうでもないか。

 既に侵入者の存在を告げる鐘の音が響き渡った後だった。

 

 もたもたしているとどんどん敵がやって来るか。

 巨人の姿を見やりつつ、倶利伽羅から預かった「印」の術が込められた札を指に挟む。

 この札は状況次第ですぐに対応できるようにと思ってのこと……何故なら、この「印」は彼をここへ呼び寄せる合図になっているからだ。

 

 敵の気配が来るまで……あと二秒。

 残り一……。

 

「行くのじゃ。ビックフット」


 リリアナが右手を前に突き出し、巨人が唸り声をあげ両手を天へ伸ばした。

 

「悪いな。リリアナ」


 不意に後ろから十郎の声が聞こえる。

 穴から飛び出してきた彼がくるりと体を一回転させ、巨人の頭の上にスタリと着地した。

 ニヤリと口元に笑みを浮かべた十郎は、小狐丸をすらりと抜き放つ。次の瞬間、彼の手首がブレれ、キラリと小狐丸に反射しただろう日の光だけが目に入る。

 

 ――ドカリ。

 屋根瓦を打つ音が都合四つ響き渡り、首を失った鎧武者の死体が姿を現した。

 

「十郎。皇太子様は?」

「案ずるな。私はここだ」


 振り返ると、皇太子とシャルロットが三角形の穴のすぐ傍に立っていた。


「下は『塞いで』来たぜ」

「全く……何で塞いだのかは問うまい」

「まあ、細かいことはいいじゃねえか。ズラかろうぜ」


 追手が駆け付ける前に煙々羅えんえんらで空に逃げるとするか。

 倶利伽羅から預かった「印」を持たぬ方の手で札を挟む。

 

 その時……殺気を感じとる。


「ッチ」


 十郎が舌打ちし、巨人の頭の上に立ったまま小狐丸を構えた。

 どこだ?

 さきほど感じた殺気が霧のように霧散してしまった。

 

「ここはお任せください。Mon dieuおお、神よ! 我が道に光あれ!」


 両手を前に組み祈りを捧げたシャルロットの全身から柔らかな光が溢れ出る。

 彼女から溢れ出た光は彼女を中心にして円形に伸びていき、十メートルほど先で何かに引っかかった。

 

 空中に浮かぶ赤い炎が計八つ。

 あれは、札が燃えているのか?

 赤い炎はすぐに燃え尽き、それと共に漆黒の忍び装束に身を包んだ八人の新手が姿を現した。

 彼らはみな長弓を構えており、矢の先から炎が燃え上がっているではないか。

 これは……火矢だ!

 

「ウォーター・ハンマー」


 リリアナの力ある言葉に応じ、直径五メートルほどある水の円柱が真っ直ぐに忍び装束らへ襲い掛かる。


「解放せよ!」


 対するリーダーらしき三日月の印が施された鉢がねを身に着けた忍び装束が叫ぶ。

 リーダーの声に応じ、彼らは一斉に弓を投げ捨て懐へ手を突っ込んだ。

 リリアナのウォーター・ハンマーが彼らに届く直前、彼らは漆黒の札を投げ捨てる。

 

 だが、彼らの動きもそこまでだった。

 彼らは水の円柱を避けることは違わず、そのまま飲み込まれて行く。

 しかしながら、彼らは圧倒的な水の圧力に吹き飛ばされるかと思いきや、水柱が通り抜けた後も彼らはそこにそのまま立っていたのだ。

 

「奴ら……魔の者か……」


 先ほどまで微塵も感じさせなかった魔の気配を彼らから感じる。

 魔の密度から階位は「妖魔」だろう。

 

「あの黒い札で人に擬態しておったのか。魔族ならばもう少し威力をあげておったんじゃがのお」


 リリアナは目を細め忍び装束の妖魔たちを睨みつける。

 

 ……どう動くか非常に悩ましい。

 皇太子を守護しつつ撤退せねばならないのだが、空も安全とは言えないだろう。

 相手が人間だったなら、空に出さえすれば矢と式神に注意するだけでいい。しかし、妖魔となれば話は別だ。

 

 それだけでなく、奴らは人に擬態する札と気配を消す札を持っているのだから厄介極まりない。

 シャルロットの「姿暴き」の魔術で気配を消す札を燃やすことができるとはいえ……いつまでも術をかけ続けることは難しいだろう。

 皇太子を近衛部隊のところまで届けさえすれば、いかな妖魔とはいえ早々侵入はできなくなる。

 

 だが、ここから近衛のいる京まで逃げ続ける……いや。

 

「ここにいる妖魔は全て滅するか」

「皇太子様がいらっしゃるだろう、どうすんだ?」


 私の呟きに十郎が問い返す。


「リリアナとシャルロットに皇太子様を死守してもらい、倶利伽羅へ近衛をこちらに向かわせるように伝えるか?」

「なるほどな。ここで近衛が到着するまで籠城ってことか。いいねえ。実に俺好みだ。全滅させるってことが!」


 といっても屋根瓦の上で守護を行うことは考えていない。

 護りやすく、見通しの良い場所がいいな……。

 

「ハルト。壺の出口はどうじゃ? 警備の者が使っていた詰所もあるじゃろう」

「妙案だ。向かうか」


 頷き合う私とリリアナに向け、皇太子が口を挟む。

 

「そなたら、忍び装束の妖魔どもは?」

「ご安心ください。奴らは既に事切れております」


 リリアナが残念そうに「もう少し威力を……」なんて呟いている間に十郎が全ての妖魔を目にもとまらぬ速さで切って捨てていたのだ。

 私たちは魔の気配で分かるが、戦闘の心得がない皇太子では目視して妖魔たちの姿から判断するしかない。

 

「なるほど。足先から消えていっている」


 皇太子は納得したように忍び装束の妖魔たちを指さすのであった。

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