第17話 左腕の脅威

 螺旋状の出っ張りを進んでいくと、太い枝と枝の上にある家まで到着する。

 丸太を組み合わせて作られた家は少々の雨風ではビクともしなさそうだ。

 実のところ、木の上にある家を見ることは初めてではない。烏天狗なんかは木の上を好む。

 しかし彼らの家に比べて、ふた回りほど大きいし、地上にある家と変わらぬ作りをしたものは見たことが無かった。


 これほどの家を建築することができるのは、巨木の大きさもさることながら、どのように枝と丸太を組み合わせれば最善かを計算し尽くしているからだろう。


 感嘆しつつ、リリアナの家に入ると……一気に体の力が抜けた。

 な、なんというか……彼女の見た目から想像できないような部屋だったのだ。

 窓には原色そのままの橙色と朱色の布地(カーテンと言うらしい)、一枚板を削って作った明るい緑で塗りたくったひょうたん型の机に、鮮やかな赤に白の斑点が入ったきのこを模した椅子……。

 

「お、驚いておる。くふふ」

「……」

「どうじゃ、キュートじゃろう」

「……」


 無言でスタスタときのこ型の椅子へドカッと腰かけ、手を机の上に置く。

 無論、無表情でだ。


「な、なんじゃその顔は!」


 後ろから私の肩へ顔を近づけリリアナがご立腹の様子。


「別にいつも通りだが?」


 早く向かいに座れと机をコツコツ指先で叩いて促す。

 しかし、リリアナは座るどころか寄せた顔をそのまま私の左上に乗せくんくんと鼻を鳴らす。

 

「匂いのことを、聞きにきたんじゃろ?」

「その通りだ。他の者へ聞かれたくない。だから、二人で会いたいと言ったのだよ」


 転移術やリリアナの持つ属性に興味を引かれたことは事実だが、私が彼女へすぐに会いに来ると告げた目的は匂いのことに集約する。

 彼女は分かるのだろうか? 禁忌に触れた私の身体の状態が。


「えっちな奴じゃ。面と向かって二人きりでとか……」


 真剣に話をしようとしたらこれである。


「腕なら許容するが、頬を首に寄せてくるな」


 私をからかうために、左腕に近づくからそうなるんだ。不用意過ぎるぞ。

 私の予測に過ぎないが、左腕には催淫効果があるのだと思う。


「お主……まさか男色か? しかし、それはそれで……」


 すげない態度を取る私に酷い暴言を返して来るリリアナ。


「違う! そもそも同衾するために来たわけじゃあなかろう?」

「難しい言葉で誤魔化そうたってそうはいかぬぞ」

「……意味が分かってないのか……。まあいい」

「ハルト。男色なら、少しだけでも見せてくれんかの?」

「違うと言っているだろうに」

「そうとしか思えぬ。この距離で全く動じぬではないか」

「それは、貴君が私の左腕に惹かれているのだと思っているからだ」

「朴念仁じゃのう」


 リリアナはワザと私に近寄ってきているのかもしれない。

 匂いに自分を慣れさせるためか? 最初に左腕の匂いを嗅いだ時、彼女は目が潤むまでになっていたが今はそうではない。

 頬をほんのりと染めているだけだ。

 

 リリアナはようやく私から体を離し、向いに腰かける。

 

「匂いのことを教えて欲しい」

 

 改めてリリアナに頭を下げると、彼女は途端に真顔になって頷きを返す。

 

「ハルト。お主、左腕に一体何を飼っておるんじゃ」

「何とは……?」


 左腕は布都御魂ふつのみたまを降臨させるために……。


「その髪と目は刻印じゃろう? 『左腕にいる者』の」

「ま、待て。どういう意味だ?」

「その腕に巣くう何か。……ううむ。どう言ったものか。お主、魔族は知っておるか?」

「魔の者のことか?」

「生き物は死ぬと、瘴気が生まれる。多くは低位のモンスターになるのじゃが、中には魔族となる者が出てくる」


 リリアナの説明からすると、魔の者のことで間違いない。

 日ノ本の言葉では魔と言うが、リリアナの言葉を使うと瘴気ってわけだ。

 強い者、魂の器が大きい者は、低位の魔の者ではなく妖魔となる。妖魔は魔族ってわけか。

 

「よく……知っているさ。私がかつて行っていた職務はまさにその魔族を滅すことだったのだから」

「それなら話は早い。その腕にからはな、ぎゅううっと瘴気に似た何かが凝縮しておる」

「な、なんだと……」

「瘴気とはまた別物だと思うが、その匂い……妾にとっては……」


 リリアナは艶のある目で左腕を凝視する。

 

「やはり貴君にとって、この匂いは催淫効果があるのか?」

「その通りじゃ。開けば必ず危険だと分かっているが、魅力的過ぎて開きたくなるパンドラの箱とでも言えばいいのか」

「余計分かり辛くなったぞ……」

「一言で言うと『媚薬』みたいなもんじゃよ。ついつい近寄りたくなってしまうのじゃよ」

 

 媚薬とは催淫を誘発する薬物のことだ。

 となると私の予想が正しかったのだな。なら、先ほど感じたことも真ではなかろうか。

 

「また冗談を。匂いに耐性をつけようとしているんじゃないのか?」


 リリアナへ率直に聞いてみた所、彼女はばつが悪そうに唇を舌でちょろっと舐め目が泳ぐ。


「う……気が付いておったのか。それもある」

「それなら納得だ」

「じゃが、勘違いしないで欲しい。お主以外には至近距離へ寄ったりなぞしないからの。この距離なら平気なのじゃが、さっき手をつないでからの……」

「そうか。それはすまなかった。手を繋ぐことは、転移のために必要だったのだろう?」

「うむ」


 リリアナの不可解な行動の理由が明確になった。

 それはともかくとして……私の腕に魔が潜んでいるというのか。

 改めて感覚の無い左腕に目を落とす。鬼神を降臨させたのに、魔とはどういうことなのだ……。


「リリアナ。このまま放置しておくとどうなるんだ?」

「どうにもならぬよ。その髪と目の色はそのままなだけじゃ。左腕もどういうわけか動いておるが……変わらぬ」

「しかし、魔……瘴気が左腕に詰まっているということは、私が死ねば……」

「お主の心次第じゃが、少しでも邪な心があれば確実に魔族になる。それも強力な……少なくともエルダーデーモンにはなるの」

「それは高位の魔族ってことか」

「うむ。下手すればデーモンロード……通称『魔王』になるやもしれんな」


 禁忌とは……他人の命を犠牲にし、自らの身体を使うことから、禁じているだけに過ぎないと思っていた。

 生贄を使う関係上、禁止しなければいたずらに人の命を奪ってしまうからな。

 

 しかし、本当にリリアナの言う通りならば、先人が禁忌にしてきた理由は何も人命のためではなかったと分かる。

 使った本人が最低でもエルダーデーモン……つまり妖魔の中でも最高位に属する魔将や真祖になってしまう。下手すれば魔王誕生にまで至るとは。

 

「リリアナ、それは誠の話なのか……?」


 わなわなと手を震わせつつ、リリアナへ問う。

 否定してくれと心の中で願いながら。 


「『信じよ』と言ったところで、お主、会って間もない妾の言など信じられるのか?」


 困ったように首を傾けるリリアナの態度から私は確信した。

 彼女は嘘などついていない。少なくとも、彼女は私の左腕に詰まった魔によって、起こり得ることを事実として捉えている。

 

 もしあの時、皇太子が処刑を回避してくれていなければ……今頃。

 

「処刑にならず……よかった」

「お主を処刑しようものなら、かなりの確率で悲劇が起ころうな」


 処刑されて恨みを一切持たず、満足して死ねる者などいるのだろうか? いや、私自身、禁忌を犯したのだから処刑されて当然だと思っていたが、一切の悔いなくは不可能だ。

 現に私には悔いが残っている。十郎を死なせてしまったという痛恨の思いが。

 それに……。

 

「自死しても同じことだろうな……十郎……また貴君に助けてもらったよ」


 追放された後、このまま海の底に沈んでやろうと一瞬考えたこともあった。

 しかし、十郎に生かされた命。死ぬわけにはいかなかったのだ。

 

「なんじゃ、やはり男色なのか?」

「違うと何度言えば。彼は私の一番の友人だ」

「ふむ。まあよい。しかし、お主、妾の言葉をあっさりと信じるのじゃな?」

「貴君の態度から判断した。何かしら確信があって私に告げたのだろう?」

「もちろんそうじゃ。理屈があって言っておる」


 リリアナは立ち上がると、台所前にある張り出した机(カウンター)の上に乗ったポットを手で掴むと私へ目を向ける。

 

「そこのカップを二つ取ってくれんかの? お茶も忘れておったわ」

「了解した」


 木製のコップを二つ手に取ると、机の上に置く。

 リリアナはポットに入った液体をコップに注ぎながら、「自分の理屈」について説明を始めた。

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