第85話 残された本

「――とまあ、こんなわけだ」


 十郎は宗玄との戦いの様子を語ってくれた。

 凄まじい戦いだったのだな。彼を遥かに上回る剣技を持つ者なんて……想像もできぬ。

 

「十郎くんー!」

「うお!」


 十郎へ質問を投げかけようと口を開いた時、空からゼノビアが降りて来て十郎の頭を覆うように抱きしめた。

 余りの勢いにあぐらをかいていた十郎が後ろへ倒れ込んでしまう。


「ジュウロウさま……」


 彼の後ろで控えて立っていたシャルロットが口元を覆い、彼の名を呟いた。


「十郎くん、さっきから気になっていたんだけど、この女のコは……」

「……」


 十郎はゼノビアの言葉に応じようとしない、いやできないのか。

 何故なら、十郎の口はゼノビアの胸に押され息さえできなさそうだから。

 

「ハルト―! 妾も!」

「ま、待て!」


 迫ってくるリリアナの額を指先で押し、彼女の動きを止める。


「十郎。ちゃんと二人に折を見て話をしろよ」

「うわっぷ。ハアハア。ゼノビア、熱烈過ぎるだろ。シャル、宗玄の治療ありがとうな」


 ゼノビアのハグから脱出した十郎がシャルロットへ礼を述べた。

 苦戦して何とか打倒した宗玄を治療する彼の意見を聞きたかったんだが……。


「陰陽師殿、そして異国のご婦人方よ」


 突然の後ろからの声に驚き、思わず立ち上がる。

 まるで気配がしなかったぞ……。

 声の主――後ろに立っていたのは宗玄だった。

 

「……宗玄殿」

「それがしの役目は済んだ。もう主らとやり合う気はない」

「言葉では何とでも言えよう。また貴君が牙を剥かぬとも限らぬのだが?」

「それがしとしては、この場で腹を斬っても構わぬ。が」


 宗玄は十郎へ目を向ける。

 すると、十郎は挑戦的な目で宗玄を見つめ、頷く。

 

「おう。俺はもっと腕をあげて、じいさんに挑戦したいんだ。だから頼む。晴斗」


 そういうことか。

 サムライ同士の約定……宗玄ほどのモノノフならば違えることはないか。

 

「分かった。今は両人の言葉を信じよう。して、宗玄殿。貴君の役割とは?」

「ノブナガ殿に聞くといい。それがしは口下手なものでな。意図が伝わらぬ可能性がある」

「全てはノブナガか……」


 無理にでも宗玄に問うてもいいのだが、ここは十郎の顔を立てるとするか。

 彼の言うように正確な情報が入らず、聞いたことで逆に混乱してしまったら元も子もないしな。

 

 ◇◇◇

 

 宗玄が去り、私たちはこの場で座り込みしばしの休息を取っている。

 次の目的地は魔王ノブナガの居城だ。

 

 しかし、霊力が枯渇していて煙々羅えんえんらを操ることさえ怪しいくらいだった。

 そこで私はミツヒデが書いたという黒い本をパラパラと捲りながら、霊力の回復を待っている。

 

「ノブの奴、一体どこにいるんだろうな?」


 ゴロンとその場に寝転がった十郎がボソリと呟いた。

 先ほど念のために感覚の鋭いリリアナへ尋ねたが、彼も同じく何も感じないようだな。

 

 濃密な魔の気配、それも魔王となると相当距離が離れていても十郎やリリアナならば感じ取ることができる。

 それが、まるで感じないとなると……。

 

「おそらく、日ノ本にノブナガはいない」

「そうじゃろうなあ」


 私の考えにリリアナが同意する。

 

「しっかし、もうノブの奴は復活しているんだよな?」

「ミツヒデの言葉を信じるならそうだな」

「そのままノブを放っておいて大丈夫なのか?」

「問題ないじゃろう。少なくとも七日ほどはの」


 十郎の疑問へリリアナが応じた。

 私も彼女の考えに完全に同意する。

 もしミツヒデの言葉が全て誠だとすると、時間的余裕はあるはずだ。

 彼は言った「御屋形様はお待ちしている」と。ならば、私たちが全力で挑むための時間は与えるに違いない。

 ミツヒデと宗玄という試練を乗り越えた私たちが満身創痍になることは、ノブナガもミツヒデも想定の範囲内だろう。

 

「私もリリアナの考えに同意する」

「じゃろう。ハルト―。妾たちのMPが回復し傷が癒える時間を与えるはずじゃからな」

「わざわざくっつかなくてよい。理由はもう一つある」

「ほう?」

「これだよ。リリアナ」


 開いている黒い本を掲げて見せた。

 それだけでリリアナは私が何を言わんとしているか理解した様子だ。


「何のことかよく分からねえけど、しばらく寝ててもいいってことだな」


 そう言った十郎からすぐに寝息が聞こえてきた。

 な、なんて寝るのが早い奴だ。

 

「じゃあ、あたしもねよーっと」


 添い寝するようにゼノビアも体を丸めて十郎の横に転がった。


「全く……あ奴らは……シャルロット、お主も十郎に膝枕なんてしてもいいのじゃぞ?」


 リリアナよ。呆れたように腕を組むところまではいい。

 だが、シャルロットを煽るのはよろしくない。

 

「え、えといいのでしょうか」


 戸惑いつつも耳まで真っ赤にするシャルロット。

 

「リリアナ……彼女には教義があったのだろう?」

「膝枕くらいで教義には外れぬよな? シャルロット」


 ものすごくいい笑顔でリリアナがシャルロットへ問いかける。

 が、彼女はもじもじしたままその場で膝をつくだけだった。

 

「して、もう一つの理由の解はすぐに分かりそうなのかの?」

「分からない。見てみないことにはな」


 黒い本へ目を落とす。

 そこへシャルロットが遠慮がちに割って入ってくる。

 

「あ、あの。もう一つの理由とは何のことなのでしょうか?」

「それはの。ノブナガの位置を特定し、奴の居城まで行くことじゃ」

「この黒い本に全てが書かれているはずだ。暗号やらそんなものはないとは思うが」


 ミツヒデは見ればすぐ分かるようなことを言っていたし。

 

「少し読むことに集中する。しばらく待ってくれ」


 二人へ向け呟くと、黒い本のページを捲り始める私なのであった。

 片腕だと本を扱うのにも両腕の時のようにはいかないものだな……。これでは戦闘に支障が出る。

 一度、倶利伽羅へ絡繰りの腕を入手できるか相談してみるか。すぐに手に入るようなら、是非とも入手したい。

 

 それはともかく、順番にページを流し読みしていくと様々な陰陽術が記載されている。

 ざっと術の名称だけ見ていくと、半分くらいは見たことのない術のようだった。ミツヒデはここまで陰陽術の深淵に辿り着いていたのか……。

 これほどまでに陰陽術を極めていれば、魔の操り方まで熟知していても不思議ではない。

 残念ながら、魔に関することは何も記載されていないようだったが……。

 

 後は栞か。

 栞を手に取り、つぶさに観察してみるが文様の入った上質の和紙だと分かるものの、特にこれと言った文字は刻まれていなかった。

 

「何の変哲もない栞じゃな。見事な意匠は施されているがの」


 横で見ていたリリアナがしげしげと栞を見つめ、感想を漏らす。


「いや、ミツヒデが栞と言っていただろう。これは普通の栞ではないはずだ」


 袖から札を出し、指先で挟み込む。


「八式霊装 心眼」


 術式で霊力の動きを見る目を強化する。

 こ、これは。霊力で文字が刻まれていたのか。

 

 なるほど。

 そう言うことか。本は単に私へ今後の陰陽術を託しただけのものだった。


「栞に全てが記載されていた」

「なるほどの。陰陽術でしか見えぬ字なのかの」

「そのようなものだ。ここにはノブナガの居場所とある『言葉』を述べることでノブナガの元へ行くことができる転移術が施されている」

「ノブナガの居場所で悩む必要はなかったわけじゃの。全てがミツヒデの手のひらの上というのが気に喰わぬが……」

「(ミツヒデの思惑に)乗る以外にはないだろうな。癪に来るが」

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