第8話 三千大千世界

 全く……どんな敵を前にしても変わらないな。十郎は。

 苦笑しつつも、彼が最良だと言う言葉に私は微塵も疑いを持っていない。

 

 静かに目を閉じ……深い集中に入る。

 ――心を水の中へ……。深く深く瞑想し、自己の中へ埋没していく。

 私の身体からぼんやりとした青白い光が立ち込め……目を開いた。

 

「八十九式物装 雷切」


 術の発動と共に、指先で挟んだ札から紫色の雷光が迸り、全てが十郎の持つ名刀「小狐丸」に吸収されて行く。

 小狐丸は紫電をバチバチとあげながら、全ての雷光を吸い込んだ。

 通常、ここまでの武器強化を施すと身体能力がついて行かず、繊細に武器を扱うことができなくなる。少しのブレだけで斬れてしまうからな。

 溜めて、一点を叩き斬ることが困難になるのだ。

 しかし、十郎は違う。

 

「行くぜ!」


 クルリとその場で小狐丸を回すだけで、岩肌へ亀裂が走り、天へカマイタチが舞い上がる。

 その時、丁度黒い炎が収縮しきり、人の形を取った。

 黒が晴れ、青白い顔をした武家装束を身にまとった男が姿を現す。

 

 あ、あれは……。

 

「ノブ・ナガ……」


 実際に見たことが無いが、彼の肖像画は多数残っている。

 彼は二十年前に亡くなった日ノ本史上最大の反逆者。

 彼は悪鬼のごときカリスマと悪運を持って、日ノ本へ革命を起こす。

 「天下布武」を唱え、日ノ本の古いしきたりを一新し、新しい国を作るのだと。

 彼に従う者は後を絶たず、一時、日ノ本の半分ほどが彼の手に堕ちた。しかし、最後は最も信頼していた腹心に後ろから刺され命を落とす。

 彼のカリスマだけで持っていた軍は瞬く間に内部崩壊し、彼の夢見た「新しい国」の野望は潰える。

 

 確かに、彼ならば魔王となる格を備えているといっても過言ではない。

 大きな恨み、無念、そして巨大なる器と魂。

 

「さしずめ、魔王ノブ・ナガってところか! 手が形成されきったら斬る!」


 十郎の言葉へ私は頷きだけを返す。

 そうだ。機を待つことが肝要。魔王ノブ・ナガの肉体が形成されきってから斬らねば無為に終わる。

 肉体が形成されぬうちの妖魔は、いくらダメージを与えても黒い炎へ戻り再び肉体を形成し始めるからだ。

 焦って斬りかかってしくじった場合、雷切をかけなおし、十郎の再度の攻撃を行うには時が足らぬ。

 

 機を見た十郎の体から湯気のような赤い気が立ち込めてくる。

 頼んだぞ。十郎!

 

 今だ。と私が思った機と重なるように十郎が動く。

 彼は本当に生身かと思えるほどの神速で、魔王ノブ・ナガの元へ一息に駆けて行き、小狐丸を振り上げた。

 

「奥義・三千大千世界さんぜんだいせんせかい!」


 十郎の持つ全ての霊力を小狐丸に込め、魔王ノブ・ナガの頭へ向け小狐丸を振り下ろす。

 次の瞬間、小狐丸より出でた衝撃により耳をつんざくほどの凄まじい音がして、地面からもうもうと煙があがった。

 

「ッチ! 何て奴だ!」


 十郎は舌打ちすると、一目散に魔王ノブ・ナガから距離を取る。

 私にも気配から分かってしまった。

 魔王ノブ・ナガはまるで傷がついていないことを。彼の存在感が微塵たりとも削れていないのだ。

 彼の立っていた場所を中心に直径二十メートルほどの巨大な穴が開いているにも関わらずだ……余波だけでこれほどの威力を誇る十郎の攻撃を受けて尚……無傷。

 

「十郎。撤退する」

「何言ってんだよ。晴斗。ここで引いたら、被害が甚大になる。それに、こいつが動き出したら……誰にも止められねえぞ」

「しかし……貴君の攻撃でもまるで効果がなかったのだ。他の何者であろうともどうすることもできまい」

「……手はある。使え。晴斗」


 使えとは。何をだ。

 十郎。その壮絶な笑みは何を意味している?

 ま、まさか。

 

「それはできない。十郎。禁装きんそうは禁忌なのだ。使ってはいけない」

「お前さんの物装を受けた俺の『三千大千世界』以上の威力を持つ手段なんて他にあるのか?」

「……他の者に対し驕るわけではないが、正直……思いつかない」

「なら、ここで逃げても、何にもならねえ。使え。晴斗。それしかない」

「ダ、ダメだ。禁装だけはダメだ!」

「そんなに禁忌を破りたくねえのか? 全ての臣民が死のうとも?」

「違う! それしか手段がないのなら、禁忌を破ることもいとわない。私は例え禁忌に触れ、処刑になるとしても、使えるものなら使う」

「なら、何故!」

「分かっているだろう! 三千大千世界以上の威力を持つ禁忌……禁装は一つしかない」


 十郎へ向け絶叫する。

 何故、貴君はそのような顔をするのだ。

 ことここに及んで、穏やかで人好きのする笑顔を向けるのだ!

 認めない、私は認めないぞ。

 

「時間がねえ。あと一時いっときもすれば奴は動く!」


 十郎はそう言って、小狐丸を振り上げ――。

 自身の左胸に突き刺した。

 

「十郎!」

「はやく、使え。間に合わなくなる……」

「これだけの損傷……もう、助けることはできない。何をしているんだ。十郎!」

「……任せたぞ、晴斗」


 十郎はその言葉を最後に前のめりに倒れ伏す。

 岩肌へ赤い鮮血が流れ出て……。

 叫びたかった。泣きたかった。

 しかし、彼の命を無駄にはできない。

 

 静かに目を閉じ……深い集中に入る。このような時でさえ、私は集中に入ることができるのか……。

 自嘲しつつも、更なる集中状態へ向かう。

 ――心を水の中へ……。深く深く瞑想し、自己の中へ埋没していく。

 私の身体からぼんやりとした青白い光が立ち込め……目を見開く!

 

「九十九式 禁装 出でよ! 鬼神タケミカヅチ!」


 十郎の血が沸き立ち、私の左腕に吸い込まれて行く。

 左肩から骨が突き出てくるような激痛を感じ……それが指先に向けて走っていく。

 痛みが抜けた後は肌が赤黒く染まり、感覚が完全になくなる。

 

 その時、ついに魔王ノブ・ナガは目を開き動き始めた!

 だが、もう遅い。

 

 指先から黄金の光が漏れ出し、私の胸の辺りで刀を形成する。

 これこそ、鬼神タケミカヅチの化身である神剣「布都御魂ふつのみたま」だ。

 十郎の命で引き寄せ、私の左腕を持って形成した……究極の刀。

 

「貫け! 布都御魂よ!」


 私が号令すると、気が付いた時には魔王ノブ・ナガを真っ二つに切り裂いていた。

 十郎ならば刀の動きを捉えることができたのかもしれぬが、私にはまるで見えなかった。しかし、切り裂いたことは事実だ。

 

 魔王ノブ・ナガは一歩足を踏み出したところで、布都御魂に斬られ、そのまま霞のように消えて行った。

 

「十郎……」


 魔王を倒せたというのに、私の心は虚無に支配されている。

 他にやりようは無かったのか……何故、何故、十郎が……。

 

 ◇◇◇

 

 ――チュンチュン。

 鳥の囀る音で目が覚めた。

 酷い悪夢を見ていたようで、充分な睡眠をとったというのに気だるい……。

 寝汗もびっしょりとかいている。

 

 ベッドに腰を降ろし、左の袖をめくった。

 左腕は指先から肩口まで鬱血より赤黒い色をしている。

 左腕の感覚はまるでないが……動く。もちろん左腕を動かしているのは陰陽術に他ならない。

 

 昨日デュラハンと戦闘をしたことで、緩んでいるやもしれぬな。

 右手に札を挟み、目を瞑る。

 

「三十六式霊装 絡繰からくり」


 左腕へ包帯のように巻き付けた札がぼんやりと白い光を放ち、すぐに光がかき消える。

 左腕をぐるりと回し、何度か握って開いてを繰り返した後、ベッドから腰を上げた。

 

「階下へ行くとしようか」

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