第36話 意外な結末
「シャルロット! 上だ!」
叫んだものの、気がつくに遅すぎた。しかし、鞭の姿が出て来るまで全く見えなかったのだ。
一欠片の油断も無かったのか問われれば、油断はあったとしか言いようがないな。例え見えずとも警戒のしようはあるのだから……。
私だけではなくこの場にいる誰もが真祖へ大打撃を与え、ほぼ討伐に近い形へもっていったと思っていた。
私が先ほど自分で言ったことと重なるが、「真祖は生き汚く、完全に消滅するまでは安心できないこと」を把握しているにも関わらず。
もちろん、緊張の糸は緩めてなどいない。普通の攻撃ならばすぐに気が付いた。
しかし、真祖が隠遁で気配を断ち、血で出来た鞭を出してくることは予想だにしていなかった……。
これほど狡猾な手を使ってくるとは、これまでの真祖の動きからまるで想像ができなかったのだ。
警戒を解いていない証拠に、私の目はずっと真祖の気配を探り続けている。
だから、元は真祖のモノだった赤紫の煙は先程から一歩たりとも動いてはいないことだって分かっていた。
「え……」
私の声に反応したシャルロットが上を見上げた。
その時、シャルロットは何者かに右側から腰へ手を回され、グイッと引き寄せられた。
一体誰に? 彼女を助けに入れるような人物は近くにいなかったはず……。
そう、先ほどまで確かにそこには誰もいなかった。
しかし、何もない空間から突如、一人の男が出現したのだ。
男はキツネを模した仮面で鼻から上を覆い、日ノ本でよく見る部屋着である着流しを着ていた。
浅黒い肌に短い黒髪。額からは小さな角が左右対になって生えていた。筋肉質な体をしており、背には大太刀を背負っている。
この背格好……私は彼をどこかで……。
不意に体の重心を右へと寄せられたものだから、シャルロットはバランスを完全に崩し膝から地面に転びそうになる。
しかし、男が彼女をギュッと片腕で抱き寄せた。
結果、シャルロットは着流しの男の右腕の中に収まり、彼の右胸辺りへシャルロットの頰がペタリとついた。
その一瞬後、驚きで目を見開くシャルロットの
「姉ちゃん、少しジッとしといてくれよ」
シャルロットを手の中に収めた男は口元を綻ばせ、安心させるように彼女の髪をくしゃっと軽く撫でた。
「あなたは……?」
気恥ずかしさからか、ポッと頰を朱に染めたシャルロットが問いかけるも、男は真祖を睨みつけたまま不動。
「貴様ぁあああああア。裏切リやがったナああああ」
ガラスをひっかいたかのような真祖の金切り声が男に向けられた。
声と共に、赤紫の煙が胸から上だけの姿の真祖へと実体化する。やはり、まだ姿形を取れるほどの力が残っていたのか。
真祖は再び赤い鞭を出し、今度は男の頭上から地面へ向け鞭を振りぬく。
対する男は顔色一つ変えず、シャルロットの腰に両手を回しひょいっと持ち上げ……軽く飛び上がり鞭を躱すと、血の色をした鞭を器用に両足で踏み抜いた。
「晴斗。この姉ちゃんを頼むぜ!」
「え?」
私の名を呼ぶ、その声。
その声は……酷く懐かしい……何故一言目で気が付かなかったのだろう。
いや、この声が彼のモノではないと無意識に思いたかっただけだったのだ。
――十郎。
貴君なのか?
茫然としている間にも男は、シャルロットを掴んだ両手を振りかぶり彼女を放り投げた。
雑だ。
非常に雑だ。
しかし、それこそ十郎を思い起こす。
「ハルト! ぼーっとせず受け止めてやるのじゃ」
リリアナの声。
「あ、ああ」
両手を広げ、空から降ってくるシャルロットを無事受けとめ地面に降ろす。
と同時にステータスオープンの術を小声で唱え、男へ目を向けた。
『名称:イチガヤジュウロウ(市ヶ谷十郎)
種族:エルダーデーモン(酒呑童子)
(階位:魔将)
レベル:九十九
HP:九百五十
MP:二百五十
スキル:刀
武技
サムライ
格闘
天凛
六道』
「や、やはり……十郎……」
このスタータスは間違いない。
「ハルト……あの魔族……真祖より遥かに……」
リリアナが口元を震わせ、私の袖を引く。
「晴斗。今は何も言えねえ。俺は俺の仕事をここでするだけしかできねえんだ」
真祖から目を離さぬまま男――十郎は呟いた。
一方、真祖は生き絶え絶えな下半身の消失したボロボロの体ではあったが、目線の高さまで浮き上がり十郎を睨みつける。
「殺してヤる。全て、全てダ」
両手を広げた真祖は三日月のように口を歪め、目から血の涙を流し始めた。
すると、赤紫の瘴気が彼の元へ集まり始める。
「ご苦労さん。魔の収集感謝するぜ。でも、あんたとの同盟は組めねえ」
「お前ラが裏切っタのだろう? よりによって聖女を救助するトハ」
「それだよ。騙し討ちなんぞするような奴と一緒に組めるかっての。いつ背後を刺されるか分かったもんじゃねえ」
「コんドは忌まわしき枷はなイ。クリムゾ……」
しかし、真祖の呪詛が終わらぬうちに、十郎が動く。
ゆらりと自然な動作で彼は背中の大太刀……子狐丸を抜き放つ。
「無拍子」
十郎の声が聞こえた瞬間、既に彼は真祖を頭から袈裟に切り裂いていた。
断末魔の声さえ聞こえぬ。瞬きする間の出来事だった……。
彼はまるで買い物でもするかのように鼻歌混じりに真祖を滅してしまったのだ。
斬られた真祖は、煙となり闇に溶けて消えていく。
先ほど私たちが真祖へ痛撃と与えた時とは異なり、赤紫の煙はこの世に残ってはいなかった。
「な、なんという技のキレ……。まるで捉えられなかった……」
私たちの中で一番真祖に近い位置にいたジークフリードが、絞り出すように呟いた。
彼の構える聖剣の切っ先が心の乱れから揺れている。
十郎の攻撃は捉えようとして何とかできるものではないと私は思っている。
斬られてもいいように術で塞ぎ切るしか対応策はない。彼とまともに切り結べる者もいるのかもしれないが、私は武芸者ではないし……彼の攻撃を受け止める者が想像できないが……。
「その聖剣を使ってくれてもいいんだぜ。俺は魔族なのだからな。あんたらに斬られる理由はある」
刀を肩に置き、首を回す十郎。
対するジークフリードは蛇に睨まれた蛙のように一歩も動くことができないでいた。
十郎はチラリとジークフリードへ目を向けるが、自然な動作で彼の横をスタスタと歩き、そのまま私の方へと近づいてくる。
「晴斗」
「十郎……」
「ああ、そうだぜ。俺は十郎だ。晴斗。これ、お前さんのだろ」
私の目の前に立った十郎は狐の面を手で掴むと、私へ向けてそれを放り投げた。
パシっと受け止めた私へ彼は人好きのする笑みを浮かべひょいっと私の耳元へ口を寄せる。
「晴斗……俺を……止めてくれ……」
「え、どういうことだ?」
十郎の囁きへ驚きの声をあげた時、彼の姿は忽然と消え去っていたのだった。
狐の面を持ったまま唖然と立ち尽くす私の肩へリリアナが手を乗せる。
「ハルト、おい、ハルト。しっかりせい」
「あ、すまぬな」
「何者じゃ……あやつ。数百年生きておるが、あれほどの化け物は初めて見た」
「……彼はかつての私の友人にして、日ノ本最強と言われていた男だ……」
「お主の国はどうなっておるんじゃ……あんな奴らばかりなのかの」
「そうでもないさ。十郎ほどの使い手は他にいない」
もっとも……彼を脅かす程度の武芸者ならいるがな……。
無粋なことはリリアナに言うまい。
「あの男……まるで隙がありませんでした。剣を振るった瞬間に逆に斬られるイメージしか出てきませんでした……」
こちらに戻って来たジークフリードが渋面を浮かべながら呟いた。
「結果はどうであれ、真祖を滅すことはできたのです。ジークフリード殿」
「そうですな。態勢を整えた後、ラーセンの街へアンデッドを掃討しに向かいます。お三名方は撤収していただいて大丈夫です」
そう言ってジークフリードは痛む脇腹へ手をやりながら、私たちへ笑顔を向ける。
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