異国に渡った陰陽師は静かに暮らしたい~ハイエルフと行く妖魔討伐~
うみ
第1話 追放されて海を越えたら別世界のようだった
苔が浮いた桟橋から見える小船は、酷く頼りないものだった。
小船には喫水もなく、寝ころべば頭がつかえるほど狭い。
「進め!」
ネズミを彷彿させるような小男が、私を後ろから急かす。しかし、彼も彼につかえる二人の兵士も決して私へ触れてこようとはしない。
私は彼の言葉に従い、ゆっくりと歩を進める。
ギシリギシリと踏みしめるたびに、古くなった残橋が悲鳴をあげた。その音が妙に私の耳に残る。
「全く、陛下に寵愛されているのをいいことに……
小男が吐き捨てるように呟き、足を止めた。
「慈悲深い皇太子様が、汚らわしいお前をお見送りにいらっしゃる。そこで待て」
小男の言葉に従い、私はその場で立ち尽くしたまま踵を返す。
振り向いた私と目を合わせようとする者はいない。ただ蔑みの視線のみを感じる。
そこへ簡素ながらも意匠を凝らした神輿が到着し、中から優雅な仕草で一人の少年が足を地へ降ろした。
彼こそが、日ノ本を統べる帝のご子息であらせられる皇太子である。これまで彼には様々なところで助けてもらったものだ。
最後のこの瞬間まで私のために顔を出してくれるなど、なんとお優しいことか。
「
憂いを帯びた顔で皇太子は告げる。
「何をおっしゃいますか、皇太子様。この男――
「……分かっておる」
歌うように軽やかに述べる小男へ皇太子は、一瞬、眉をひそめ一言だけ彼に応じた。
しかし、小男の言葉は止まらない。
「あれをご覧になってください。あの銀色の髪、そして、赤い瞳! あれこそ、奴が禁忌を犯した証拠でございますぞ」
「分かっておるといっておろう!」
皇太子は声を荒げる。彼がこうして感情的な態度を取ることは非常に珍しい。いつも笑顔を絶やさぬ人として有名なのだから。
その証拠に、小男はあっけにとられたように口をパクパクとさせるばかり。
「皇太子様。私のために最後までありがとうございます。処刑にならず、追放となったのもあなた様のご尽力あってこそです」
「すまぬな。これ以上のことはできなかった。晴斗。そなたにはやむにやまれぬ事情があったのだろう。やはり話してはくれぬか」
「申し訳ありません」
深く頭を下げる。
顔をあげようとした時、皇太子の悲哀を帯びた声色が聞こえた。
「私はそなたが……いや……」
頭をあげ、皇太子の顔をしかと見つめ、再び深く礼を行う。
「皇太子様。あなた様のご健勝をお祈りしています」
「……必ず、調べ上げる……ではな。晴斗よ」
皇太子は背を向け、神輿へと戻って行く。
皇太子様……、どうかそのお優しい心を臣民へお向けください。
私は心の中でそっと彼へ祈りを捧げたのだった。
「とっとと船に乗れ!」
皇太子の姿が見えなくなった途端、元の尊大な態度に戻る小男。
私は彼の命に素直に従い、小船の上へ座す。
――ヒュン。
そこへ、小石が飛んできて私の額に当たる。
額からつつつっと一筋の血が流れてきた。
「とっとと行け。そして海の
小男は石を私にぶつけたことで留飲を下げたようだが、私は彼へ憎しみが沸くどころか別の感情が生まれていた。
自らの額から垂れた血を小指ですくい、それを舐める。
血の味だ。人の血の味。
私にはまだ人の血が流れていたのだ……。
安心といえばいいのかとにかく、少しだけホッとしたことは確かだ。
小船に備え付けられた櫂を手に取り、海へそれを沈め上下に動かす。
それに伴いゆっくりではあるが、小船は動き始める。
「全く、皇太子様も困ったものだ。慈悲深いのは美徳なのだが、こんな奴にまで慈悲をかける必要はあるまいて。なあ、お前ら」
「
「陰陽師の装束までそのままで追放など。過ぎたるは猶及ばざるが如しとはまさにこのこと」
ゲラゲラゲラ――。
彼らの笑い声もすぐに遠ざかって行った。
元陰陽師の私こと、
友を死に追いやり、禁忌を犯した私はそれでも尚生きようともがいていた。
彼のおかげで「あの時」生き延びたのだ。だからこそ、自死するわけにはいかない。
どこかの島にでも漂着し、そこでひっそりと生きていこうではないか。
そうこうしているうちに、残橋が見えなくなるほど沖まで小船が進んでいたのだった。
◇◇◇
沖に出てしばし……たいして進むことなく穏やかな波の上をゆらゆらと揺れるに任せている。
そろそろ日が陰ってくる頃だ。
気配は……目を瞑り耳を澄ます。
……。
船、空、共に気配なし。
無いとは思うが、念のために調べておくか。
手の甲辺りまである長い袖の装束を振るい、手の平に収まるほどの長方形の紙……札を出す。
中指と人差し指で札を挟み、指先に霊力を込める。
「
力ある言葉と共に、
「……いないか」
どうやら、左大臣らは追っ手を差し向けなかったようだ。
ならば、問題ない。
動くとしよう。
手に札を持ったまま、静かに術式を構築……。
「十六式物装 物体強化」
小船全体がぼおうと白い光を放ち、すぐに元の状態に戻る。
小船へ素早く札を張り付け、封を結んだ。
これで、小船はどんな嵐に遭遇しても沈まない。
「どこに向かうか……」
そこで私はあることを思いつく。
ここ瑞穂国、別名「日ノ本」は日の出ずる国と呼ばれている。日ノ本の東は海が広がっているだけで、国はない。
本当に海しかないのなら、それはそれで一興。おそらく小島の一つや二つはあるだろう。
海しかないと誰もが認識しているから、東へ船を向ける者もいない。隠棲するにはちょうどいいと言えよう。
眩しさに目を細めながら、太陽の向きを確認し櫂を手に持つ。
「十郎……私は行く。生きあがいてみせる……」
今は亡き、魔王と共に倒れた友人の名を呼び黙とうを捧げる。
そして、東へ向けて小船は進み始めたのだった。
三日が過ぎる。
しかし、島一つ見当たらないでいた。
途中一度雨が降り、飲み水は充分だ。食料に関しては、陰陽術を使い魚を釣り上げ、焼いて食べている。
陰陽術がある限り、私は何日でも大海原を航海することができるだろう。
「とはいえ……こうも風景が変わらないとなると、萎えてくるな……」
ならば、一気に加速するか。
海平線を
「十八式 激装 暴風」
背後から物凄い勢いで風が吹き、船が空を飛ぶかのように加速する。
次の日の早朝、私は砂浜へ漂着したのだった。
◇◇◇
勢いがつき過ぎた小船は止まらず、波打ち際の浜辺へ突き刺さるような形で停止する。もし、小船を強化していなかったなら完全にバラバラになっていたことだろう。
それほどの衝撃だったのだ。
その証拠に濡れた砂が高く舞い上がり、私の頭にパラパラと……。
肩の砂を払いつつ、首を振ると長い銀髪も揺れ太陽の光へキラキラと反射し、自分でいうのもなんだが美しいと思った。
私の髪色は元々黒髪だったのだが、禁忌の代償に銀色となった。呪われたものほど妖艶さを醸し出すのか……。きっとこの赤い瞳もさぞ綺麗に見えるのだろう。
美しいからといって決して私の心が躍るわけではない。むしろ逆だ。これこそ私の
それに……。
私は自分の左腕を右手で掴む。
「これが一番の代償だろうな……」
まるで感覚の無い左腕へ目を移し、右手で左の袖をまくりあげる。
出て来たのは、浅黒く染まった色。これは打ち身で青くなっているのではない。
これは、禁術を使った時の――。
「★▽××。◇◇×!」
その時、遠くから声が聞こえ私は自分の長考を切り上げ、そちらへ気を払う。
振り返ると、十二歳くらいの少年が人懐っこい笑顔で手を振っていた。
明るい茶色の髪を逆立てた活発そうな釣り目。歳相応に小柄であるが、体躯のバランスがよく将来は一流のサムライにも成れるのではないかと思わせる。
しかしそれよりなにより、私の目を引いたのは彼の服装だ。
八分丈の黒色をした綿の
下は膨らみの無い袴のようなものを身にまとっている。靴も変わっていて、脛にかかるほどの長さのある革靴を革紐で結び固定しているようだ。
「まさか、海の向こうに人の住む地があろうとは……」
髪色、服装、言語……全てが瑞穂国と違う。
私の言葉を聞いたからだろうか、少年は困惑したように身振り手振りを加えて話しかけてくる。
「××▽△」
向こうからしたら私の格好は不審者そのものだろう。しかし、少年は誠実に私へなんとか意味を伝えようとしてくれていた。
こんなお人よしで彼はこの先大丈夫なのだろうかと不安になってくるが、悪い気はせずクスリと口元へ笑みを浮かべてしまう。
袖を振り、札を指先へ挟むと頭の中で術を構築する。
「
「兄ちゃん! んー、やっぱり俺の言葉が分からないかあ」
よし、うまくいったようだな。
「少年。貴君は私の姿を見て、よく話しかけようと思ったな」
「え? あれ? 言葉が通じる? さっきまで、確か……」
突然私が少年と意思の通じる言葉を使ったことで、彼は困惑したように口へ手をやる。
「陰陽術で言葉の壁を取り払ったのだよ」
「『陰陽術』? 『魔術』じゃなくて?」
魔術……。聞いたことが無い。
ひょっとして、霊力を利用した術も全て異なるのか?
面白い。単なる思い付きで東へと進んでみたが、こんなことになろうとは。
「少し話をする時間はあるかな?」
「うん、少しくらいなら大丈夫だぜ」
少年と私は近くの潅木の上に腰を降ろす。
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